後宴をはじめようではないか
「あぁ〜、ようやく終わったか」
「お疲れ様にございます」
桜雲殿を出て、一度寝殿へと戻った凱嵐は大きく息をついた。
すでに陽は落ち、夜も更けた時刻だ。
招待客は雨綾に構えている自分たちの屋敷へと戻ったり、天栄宮の割り当てられた貴人殿に宿泊したりしていて既に場は散開していた。
労いの言葉をかけてくるのは賢孝だった。
「お前とて今日は疲れただろう。やたらに盃に酒を注がれていたじゃないか」
「陛下ほどではございません」
無駄に豪奢な着物を脱ぎ捨てる凱嵐に、賢孝はなんでもなさそうに顎を反らせた。
妃の座を狙う姫たちが愛想を振りまきながら凱嵐に話しかけようとするのはいつものこと。そして同じく妻を娶っていない賢孝にも、同じように色目を使う姫がにじり寄ってくる様を凱嵐は面白おかしく見守っていた。
賢孝は堅物すぎて、その目に美しい姫を映してはいてもちっとも心が揺らいだ様子など見せていない。それを知ってか知らずか、躍起になって賢孝の気をひこうとする健気な姫たちが滑稽でならなかった。
皇帝の右腕、繊細な顔立ち、柔和な物腰。
皇妃の座など恐れ多い、しかし権力は欲しいと思う姫たちにとって、賢孝の妻というのはちょうど良い。
打算的すぎる考えで擦り寄る姫をあえなくいなす賢孝は、中々に厄介だろうなと凱嵐は心の内で苦笑する。
「それより、白元妃のご様子が私は気になりました」
「お前もか」
賢孝ははい、と頷く。
春来の祝宴はその権力によって座る席が決まっている。
最奥に座す皇帝から始まり順に並んで座るのだが、現時点では凱嵐の次に奥に座るのは白元妃。本来ならば皇帝と皇妃が並んで座るのだが、現在凱嵐に妻が一人もいないので次席は白元妃となっている。
ここも普通であれば、凱嵐の育ての親なり肉親なりになるはずなのだが、当然のように先代皇帝の妻が居座っているのだから問題だ。
剛岩の一族が天栄宮での地位にこだわっていないという理由もあるのだが、それにしたってあからさますぎるだろう。
賢孝はいけしゃあしゃあと皇帝の次の席に座る白元妃を苦虫を噛み潰すような面持ちで見つめていたのだが、当の本人はなんとも思っていなさそうである。それどころか。
「随分と愉快そうな顔をしていましたねぇ」
「何か企んでいるのは明らかだろう」
凱嵐は後宴に備えてゆったりとした着物に着替えると、賢孝に向き直った。なお、左腰に刀は帯びたままだ。
賢孝は凱嵐の気持ちを落ち着けようと己の見解を口にする。
「祝宴はつつがなく終わりました。さしもの白元妃とて、宮中の一大行事中に事を荒立てるような真似はしないでしょう。何か起こるとすれば……貴人たちが帰った翌日以降の警備に緩みが生じている時かと」
「そうであろうか」
「と、言いますと」
凱嵐は左腰の剣に手を置き、かすかに眉根を寄せた。
「あれは何を考えているかよくわからない。警戒を怠らない方がいいと俺の勘が告げている」
根拠も何もあったものではないが、凱嵐の勘というのは良くも悪くもめっぽう当たる。
「特に、紫乃の件が知られている今となってはどんな強硬策に出るかわかったものではない」
「…………夜中、警備を怠らぬよう衛兵に今一度言いふくめておきます」
賢孝は頭を下げてそう言うと、凱嵐の御前を退去した。
凱嵐は襖を開けて庭を見る。
闇夜に彩られた空は穏やかで、ごく平和な春の日そのものであったが、凱嵐は胸の内が嫌にざわめくのを押さえられなかった。
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豊楽殿での後宴に参加するのは凱嵐含めて七人。
凱嵐の肉親は父と母、それに姉と弟二人の五人、ここに賢孝を合わせた人数だ。
賢孝がこの場に並ぶのは、それだけ彼の地位と実績が素晴らしいものであるからだ。四凶が一角、渾沌を倒したあの日から賢孝は凱嵐に忠誠を誓い尽くしてきた。
方々の妖怪を狩り、盗賊どもを討伐し。そうして凱嵐の評判を上げたのはひとえに賢孝の功績によるところが大きい。
何せ凱嵐は己の功績を人に誇ることがほとんどない。
困っている人の話を聞くとフラッと行ってフラッと敵を倒す。「倒したから」と笑っていう凱嵐が特に年端もいかない少年であった頃は、里の人々は凱嵐の言うことが俄には信じがたく、狐に包まれたような顔をしていた。
これではならないと思った賢孝は、凱嵐の出自を声高に知らしめ、彼が今までもたらした功績の数々を大袈裟すぎるほどに話し、そしてこの皇族の少年が本物の傑物であると信じさせた。
凱嵐の評判は年々上がり続け、先代皇帝崩御の際、次の皇帝になるようにとの声が国の各地で出たのはそれまでの実績と賢孝の撒いた噂の両方が合わさってのことであった。
「皇帝陛下の御成にございます」
銅鑼の音と共に広間へと入った凱嵐を迎えるのはやはり平伏した人々。
しかし凱嵐の「面をあげよ」という声にて顔を上げた人々の顔には、ニヤニヤとした笑みが貼り付けられている。
「よぉ、凱嵐! 先程のお前は見事であったな!」
「本当に。すっかり皇帝としての姿が様になって」
「父上、母上」
豊楽殿の宴会の間に凱嵐が足を踏み入れると、立ち上がった凱嵐の父と母が凱嵐に春来の祝宴の感想を述べてきた。
姉の風呼も目を細めて凱嵐をまじまじと見つめてきた。
「水縹色の正装がよく似合っていた。が、今の着物の方が動きやすそうだな。これなら敵が現れてもすぐさま応戦できるだろう」
「兄上! 後で手合わせをお願いしてもいいですか!?」
「烈牙か。いいぞ、いくらでも相手してやろう」
凱嵐が快諾すると、拳を握って「やった!」と末の弟が喜びを露わにしていた。
二番目の弟はどうしているかと目を向けると、なんとなく輪の中に入りづらそうにこちらを眺めていた。
「雷震、久しいな」
「あ……はい。お久しゅうございます」
「この父と母の相手をするのは何かと大変だろう? 今日はゆっくりと休んでいけ。手合わせばしたければ、いつでもするぞ」
「いえ、僕なんかではとても兄上には太刀打ちできません」
「何を言う。お前は筋がいいから、努力すれば俺なんぞ追い抜かしてしまうだろう」
「そんな……」
謙遜する弟の目線に合わせるように膝を折ると、両肩に手を置いた。居心地が悪そうに泳いでいた雷震の視線が凱嵐に合わさってぴたりと止まる。
「雷震、お前は自分で思っている以上の才能を秘めているぞ。胸を張れ。この喧しい家族に引け目を感じる必要はない」
「聞き捨てならんな、喧しいだとぉ!?」
「うお、父上」
中腰となっている凱嵐の肩にずっしりと重さがかかった。首に齧り付いてきた父の我雄が全体重をかけてきている。
「一番喧しかったのはお前だろうが、凱嵐。口を開けば妖怪討伐だ盗賊の殲滅だと……ひと時とて屋敷にじっとしていた事はなかっただろう。挙句、『ちょっと皇帝になって来る』とはなぁ! はっはっは!」
「昔の話です」
「まぁそれで本当に皇帝になったんだから、凄まじいものよのう!」
既に酔っ払っているかのような賑やかさだが、剛岩の一族は酒豪でありいくら飲んでも酒に飲まれない。つまりこれはしらふでのテンションだ。
家族の中では雷震は大人しい性格で、この個性の強い家族に挟まれ肩身の狭い思いをしているのを凱嵐は見抜いていた。
なので、剛岩を離れている今くらいはゆっくりと心を休めて欲しい。
「普段、側にいてやれないからな。今日は兄として俺を頼っていいんだぞ」
「ありがとうございます」
ペコリと頭を下げる雷震に凱嵐は「うむ」と声を掛ける。
「では、後宴を始めようではないか」





