棒手振りの男
「あっ、姐さん見てください。きっとあの人だかりですよ!」
雨綾の通りを進んでいると、伴代が声を上げる。
なるほどそこには確かに、他と比べても一際大きな人だかりが出来ていた。皆が皆、棒手振りの前へ行こうと、笊と小銭を握りしめて押し合いへし合いを繰り広げている。
あまりの盛況ぶりに、紫乃は首を傾げた。
「一体何を売っているんだ?」
「へへ、それはですねえ……」
鼻の下を人差し指で擦った伴代が得意げに言葉を発する前に、町人たちの会話が耳に飛び込んでくる。
「ねぇお前さん、あたしに柿、五個売っておくれよ!」
「こっちは十個だよ。主人の大好物なんだ」
「そんなに買ったらあっという間に無くなっちまうだろ! ねえ棒手振りさん、一人一個に制限したらどうだい?」
ざわざわと騒がしく棒手振りに群がる人々の話を聞き、紫乃は首を傾げた。
「柿? 干し柿か?」
「それがですね、生の柿を売っているらしいんですよ」
「そんな馬鹿な」
紫乃は即座に伴代の言葉を否定する。
柿といえば秋の果物の代名詞。干し柿ならばともかく、こんな春先に生の柿が売られているはずがないではないか。
しかし紫乃の言い分などわかっているとでも言いたげな伴代は、悠々と人だかりに近づくと、「ちょっと通しておくれよ」と言って紫乃と花見、野菊を後ろに伴って棒手振りの前へと出ていく。
基本群がっているのは女人だが、欲しいものを目の前にした女人というのはなかなかに手強い。背丈の高さを使ってなんとか前へ出た四人の前には、ぎっしりと柿が詰まった桶を棒の両端にぶら下げた棒手振りの男が、愛想のいい顔で柿を売り捌いていた。
「さあさあ、柿だよ柿だよ。柿を食っておくれよ!」
本当に生の柿を売っているようだ。
艶やかな橙色の光沢を放っている柿は、まるでもぎたてのように新鮮でみずみずしい。
一体この季節に、どうやってこれほど状態の良い柿を手に入れたのだろうか。
そして男を見た途端、紫乃はえも言えぬ違和感に襲われた。伴代や他の客に気づかれないように少し屈むと、花見と野菊にそっと耳打ちする。
「なあ、あの男……じゃないか?」
そして紫乃の言葉に、花見と野菊も頷いた。
「あぁ、みたいだにゃあ」
「ですのう」
「やっぱり」
二人の返事を聞いた紫乃は、紫乃にしては珍しく声を張り上げる。
「ーー申し訳ないが! この柿は全て私が買い上げる!!」
これにギョッとしたのは柿を買おうかと集まっていた町人たちだ。
非難がましい声を上げてすぐさま紫乃に詰め寄った。
「ちょっとぉ、独り占めしようったってそうはいかないよぉ!」
「そうよ! 後からやってきて何様のつもりなんだい!?」
「あたしは今日、柿を買って帰るって、旦那に約束しちまったんだから!」
どれほどなじられようと、頑として譲るつもりはなかった。
紫乃は居並ぶ町人を黙らせる、伝家の宝刀を抜き去る。
「私は天栄宮が御膳所で働く、御料理番頭の一人。この珍しい柿は、全て陛下に献上するため、買い上げとする! ーー棒手振りの男、構わないな?」
常に懐に入れて持ち歩いている身分証の木札を掲げて大声で言うと、紫乃が思っていた通り町人たちの声はぴたりと止まった。
勝手に凱嵐の名前を使ったのは申し訳ないと思うが、これは緊急事態なので仕方がない。事情を説明すれば、許してもらえるだろう。
棒手振りの男は何が何だかわかっていなさそうだったが、「柿が売れればそれで良い」と思っているのだろうか、気前よく紫乃に桶ごと柿を売り渡してくれた。
不満そうな、残念そうな顔で雨綾の町へ散っていく人々と、上機嫌でいる棒手振りの男。
大量の柿を手に入れた紫乃は、そっと野菊に頼み事をした。
「……野菊、あの棒手振りの男を見張っててくれないか」
「了解ですのう!」
「ありがとう」
野菊をつけておけば、花見が気配を頼りにどこにいるかを見つけられる。
「よし、じゃあ、柿を持って天栄宮に戻るとしよう……うっ、重いっ!」
「あ、姐さん、俺が持ちますよ……って、持ち上がらねえ!?」
ずっしりと重い桶を伴代と二人で持ち上げようとしたところびくともしなかった。
「ワテが持とう」
そんな二人を尻目に、花見が桶をひょいと片手に一つずつ持つ。
「……花見さんって、見た目からは考えられないくらいに怪力ですよね」
「まあ、普通の人間じゃないからね」
呆然とする伴代と、もはや慣れた紫乃。天栄宮へと戻りながら、伴代は疑問を呈した。
「にしても、どうして全部買い上げるような真似をしたんです? 確かに珍しい果物だから陛下がお喜びになるかもしれませんけど、この量は必要ないでしょう」
「あぁ、それは」
紫乃は去って行く棒手振りの男をちらりと振り返りながら言った。
「あの男、ちょっと……普通じゃないから」
紫乃の紫色の瞳は、棒手振りの男の正体を見透かしていた。





