花街の妓楼
雨綾を北に行くと、一際華やいだ楼閣が立ち並ぶ通りに出る。
四方を壁に囲まれた通りはまるで美しい牢獄のようでもあり、男が自由に出入りする一方、囲われた女たちは外に出る事が許されない。
むせ返るほどの香を着物に焚き染めた女たちが、今宵も男に声をかけられるのをじっと待つ。
ここは花街、妓楼が立ち並ぶ場所だった。
暮六つから本格的に動き出す夜の町に、変装した凱嵐と賢孝は足を踏み入れている。
皇帝とその補佐官とわからないように、しかしやんごとない身の上であると仄めかすような絶妙な塩梅の着物に身を包んでいる二人は、周囲の女たちの目線を多分に集めていた。
黒々とした艶やかな髪を高く結え、しっかりとした体躯と上背を持つ精悍な顔立ちの凱嵐と、優しげで繊細な美貌を有する賢孝という組み合わせは実に人目を引く。
二人は声を顰め、会話をした。
「……で、ここにいるというのは本当なんですか?」
「あぁ。流墨の持ち帰った情報によると、確かにこの場所で遊女として働いていると」
「元天栄宮の女官が今や遊女とは、落ちたものですねえ」
「仕方がなかろう。冤罪であえなく放逐されたようなのだから。むしろ命を取られなかっただけ僥倖だ」
「あの女も情けがあるのか無いのか、よくわかりませんね」
「少なくとも、我らには容赦が無い。そしておそらくこれから先は……紫乃に対してもだ」
「…………」
凱嵐の言葉に賢孝が返事をせず、二人は通りを歩いて行く。
やがて目当ての妓楼にたどり着くと足を止める。格子状の張見世にはずらりと遊女が座っており、客に声をかけられるのを待っていた。
目立つ美貌を有する凱嵐と賢孝が目を向けると、期待に満ちた眼差しで見つめ返してくる。
中の一人に目を向けた凱嵐は、紫色の目を細めた。
唇の右下に黒子のある女は、美しくはあるのだが、何かを諦めたような虚ろな表情でじっと座っていた。
みじろぎひとつしない女に、凱嵐と賢孝は目配せをする。
敷居を跨いで中に入ると、茶屋者がやって来て揉み手をした。
「気に入りの者はおりましたか?」
「唇の右下に黒子のある女を」
「はい、かしこまりまして。お連れの旦那様はーー」
「同じ者で良い」
「は……」
凱嵐の言葉を予期していなかったのか、茶屋者は愛想のいい顔を強ばらせ、目を見開いた。
反対に凱嵐と賢孝は、それはそれは美しい笑みを浮かべる。
「二人で相手をする。もちろん金は、二倍払おう。構わぬだろう?」
「も……勿論にございます!」
「それから部屋は、一番良い部屋を。周囲から音が聞こえぬような部屋ならば尚良い」
「しかしあの遊女の等級でそれは……花街には花街の、規則というものがございます」
一口に花街の妓楼と言っても、格が存在している。
凱嵐と賢孝が足を運んだのは、大見世と言って最上位に位置する楼閣だ。
ならばどれだけ金を積もうともこちらの意見がまかり通るとは限らない。むしろ、金にまかせて強引に事を押し通そうとすれば、下品な客と見做されて放逐されかねなかった。
それを重々承知している賢孝は、凱嵐より一歩進み出て取次をする茶屋者に迫る。
男であろうと赤面してしまう迫真の美貌を持つ賢孝は、茶屋者の耳にそっと唇を近づけ、囁いた。
「……この方はそなたが思うよりやんごとなき身の上のお方。大人しく従ったほうがそなたのためとなろう」
「しかし……」
「もっとはっきりと言葉にした方が良いか? こちらにおわすのは、真雨皇国の頂点に君臨するお方であると」
そこまで言われた茶屋者は、はっと何かに思い至ったようで、顔どころか体中の筋肉を硬直させた。
それから賢孝と凱嵐を交互に見比べると、その場に膝をつき頭を垂れようとする。鋭く叱咤したのは、賢孝であった。
「本日は身分を偽っている。やめよ」
「は……はい!」
「して、我らが要望、聞き届けてくれるな?」
「勿論にございます! すぐにお部屋にご案内を!」
泡を喰った茶屋者がバタバタした足取りで先導するのを、二人は悠々と後をついていった。
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天栄宮の豪華ながら趣のある装飾とは異なり、けばけばしい華美な装飾に彩られた部屋に通された二人は、深々と頭を下げる一人の遊女と向き合っていた。
賢孝は女に声をかける。
「……華月、という名前だそうだな。かつて天栄宮にて、皇太子秋霖様の世話係をしていたそうだが」
これにびくりと肩を震わせた女は、顔を上げて凱嵐と賢孝を見つめた。呆気に取られた顔をしており、まさか、とでも言いたげな表情である。
凱嵐は華月の様子を見て、くつくつと喉を震わせて笑う。
「驚いておるか? 我らには優秀な諜報部隊がいる。そなたの正体を掴むなど容易い」
「……私に、何をお望みで?」
距離を空けて座ったままだというのに、女は圧力に屈しそうであった。
「何、簡単なことだ。お前が天栄宮を追われる原因になった出来事を、詳らかに話して欲しい」
「断ると、申しましたら……」
「ここにおわすは今代皇帝、凱嵐陛下である」
賢孝は、決して大きくはないが抗えない声で言った。女の逃げ道を確実に塞ぐよう、優美な顔に一切の情を浮かべず、淡々と。
「断れば命は無いと思え。生きていたくば知っている事、洗いざらい喋るがいい」
「へい、か……? ひっ、ひぃい!」
華月は想像だにしていなかった凱嵐の正体に慌てふためき、再び平伏した。
床と一体化してしまいそうなほどに身を低くし、震える恐縮する姿は哀れですらある。
凱嵐は渋い顔をすると、咎めるように賢孝に視線を移した。
「賢孝、お前はどうしてそう悪役めいた言い方しか出来ないのだ」
「陛下の威厳を保つためにございますよ」
「だからと言ってこれは無いだろう。顔をあげよ。悪いようにはしない」
恐る恐る目線を上げた華月は、未だ恐れ多いとでも言いたげな表情であった。
「我らは知りたいのだ。……当時の夕餉の御料理番頭が、秋霖殿を毒殺しようとした理由。秋霖殿付きの使用人全てが罷免された、あの事件を」





