帰ろう
「これが、殿方を夢中にさせる飴……?」
「ええ、そういう話」
天栄宮の政務殿の一角にある東屋で、二人の姫がコソコソと話をしている。
政務殿は重要な政を行う場所であり、断じて姫たちの雑談場所ではないのだが、この光景は至る所で見ることができた。
逆に言えば政務殿の正面入り口に面する庭以外は固く立ち入りを禁じられているので、姫たちが集う場所は必然的にこの場所と相場が決まっている。
「ちょっと怪しいのではなくて? 本当に大丈夫なのかしら」
「渡してきたのは御膳所で働く毒味番だったから平気だと思うわ。陛下のために毒味をするような人間が、まさか変なものを渡したりしないでしょう」
柿色の着物は御膳所で働く人間の証だと、この天栄宮に出入りする人間ならば誰もが知っている。そのような尊い場所で働く人間が、まさか毒入りの飴などをくれるはずない。そんな事をしても利点など何もないからだ。
「ふぅん……ねえ、貴方はこの飴を誰に渡すつもりなの?」
興味を持ったらしい姫が、紙包みを見つめつつ問いかけてみる。それにもう一人の姫が答えようとしたその瞬間、低く柔らかく、それでいて決して抗えないような強さを含んだ声が聞こえてきた。
「私に決まっていますよね?」
「え…………」
「け、賢孝様……!?」
滅多にお目にかかれない、目にしたとしてもよほど高位の姫以外は声をかけることすら許されない、文字通りの殿上人。今代皇帝の右腕と称される美貌の男が、二人の背後に立っていた。
驚き慌てふためく二人を全く気にせずに賢孝は回り込んで東屋の中へと入って行くと、立礼する二人に顔を上げるようにと命じる。
「偶然通りかかったら、面白い話を耳にしたのでね。飴をお持ちで?」
「えぇ、はい」
「私、実は甘いものに目がなくて。最近は喉を使いすぎて痛めていて、頂けると嬉しいのですが」
賢孝が柔らかな笑顔を湛えてそう言えば、姫たち二人はひええと喉を震わせた。
あまりに間近に迫る美麗な顔立ちに、真っ赤になった顔をごまかすように飴を突き出す。
「……っどうぞ! お受け取り下さい!」
「ありがとう。ところで貴女が持っているのは、これ一つでしょうか」
「…………っ」
にこりと微笑む賢孝に、姫は袂に忍ばせておいたもう一つの飴の包みを大人しく差し出した。
「あの男、スゲーな」
一連の流れを草陰からこっそりと見つめていた花見は思わずそんな感想を漏らしていた。紫乃としても同じ意見である。顔だけであそこまで姫たちを赤面させ、あっさりと目当てのものを手に入れてしまう賢孝は凄い。やってることは脅しに近いのだが、手腕が鮮やかすぎてそんな気持ちには微塵もさせないのもまた見事である。
ちなみにこの姫で、十人目だ。十人もの姫をその顔の良さで骨抜きにした罪深き男は、おそらく声をかけた姫たちに微塵の興味も持ち合わせていない。ただひたすら、飴を回収するという使命を果たしているだけだった。
「そんな場所で何をしている」
颯爽と東屋から出てきた賢孝は、草陰に目をやると紫乃たちに声をかけてきた。先ほどまでの愛想の良さからは考えられない口調である。基本的にこの男の本性というのは、このあまり人当たりがいいとは言えない方なのではないかな、と短い付き合いながらも紫乃は思い始めていた。
ガサガサと草陰から出てきた紫乃と花見、大鈴、そして旦那。
「昼餉の御料理番頭の足が隠れきれていなかった。次回からはもう少し遠くで眺めたらどうか」
「む…………申し訳ありません」
四人で草陰に隠れていたらはみ出しもするだろう。小柄な紫乃と花見はともかく、大鈴と旦那は体躯が大きい方なので尚更だ。大鈴は立ち上がり、あちこちにくっついてしまった葉っぱを取り除いている。紫乃の頭に乗った葉っぱも取ってくれた。
「そんな事より。回収した飴はいかがでしたか?」
「ここだ」
賢孝が紙包みを二つ突き出すと、花見はそれを受け取った。
「うん、間違いない。これで十二個目だにゃあ」
「随分沢山回収したが、まだあるのか」
「多分、あと一つ」
うーんうーんと唸っていた花見だが、気配を感じ取ったらしく「あっち!」と指を差した。その方角を見て、賢孝が一言。
「奥御殿の方ではないか」
「にゃあ?」
「もし美梅が中に入ってしまっていたとしたら、私でも立ち入りは出来ない」
今までの飴は全てこの政務殿周辺で回収できた。姫たちが一箇所に集まっていたお陰とも言えようが、それがなぜ急に、奥御殿。確か奥御殿は皇帝以外の男性は立ち入りが禁じられている場所で、今は政敵の白元妃が住まう場所として、皇帝すらも迂闊に足を踏み入れられない魔境の地である。
「まだ奥御殿に入っているとは限らない。急いで行ってみるとしよう」
紫乃の掛け声に一同は頷き、早足で歩き出した。
+++
美梅は歩いていた。
その目はキョロキョロと忙しなく動いており、袖の中に忍ばせている紙包みに触れてはしきりに弄んでいる。
頭の中にあるのはただ一つ。
この飴を、配らなくては。なるべく多くの人に喧伝し、多くの人がこの飴の虜になるように。
なぜそうしなくてはならないのかの理由は定かではない。
これは義務である。頼まれた以上はやり遂げなければならないという美梅の義務だ。
幸いにして天栄宮には色恋沙汰に敏感な年頃の姫たちが数多く集まっており、渡すのは簡単だった。御膳所特有の柿色の着物を着た美梅は信用を得やすく、得体の知れない食べ物さえもすんなりと受け取ってもらえる。
(好都合だわ。あとはこれを、奥御殿にいるあの方にお渡しすれば……)
「美梅」
背後から名前を呼ばれ、美梅ははっと立ち止まった。
恐る恐る振り向くと、そこにいるのは美梅の想い人。無口で愛想がないように見えるけれど、実直で、料理に対してとことん真摯に向き合っている、そんな人だ。
「旦那…………」
旦那は美梅を痛ましいものでもみるかのように見つめ、一歩近づいてきた。
「どうしたんだい? こんな所で」
「それはこっちの台詞だ。この先にあるのは奥御殿だぞ。こんな場所に来て、何をするつっもりだったんだ」
いつもは喋らない旦那の口数が妙に多い。旦那は美梅との距離をだんだんと縮めてくると、とうとう目の前に立った。見上げる旦那の表情は相変わらず苦しげだ。
美梅は旦那が何を言っているのかわからず首を傾げた。
「奥御殿?」
「そうだ。美梅、夜も宿舎に帰らなかったと聞いている。夜通し歩いていたのか? ……草履も着物の裾も、泥だらけだ」
「あ…………」
言われて足元を見ると、確かに己の草履は泥にまみれて薄汚れていた。
一体こんな所で何をしていたんだろう。
飴を配らなければという思考に支配され続けていた美梅の頭が徐々に動き出す。まるで、頭にかかっていた靄が取り払われるような気分だった。
旦那が右手を差し出してくる。
「帰ろう」
その顔は泣きそうなのを堪えているような、なんとも言えない表情をしていた。
美梅はなぜか、自分も泣きそうになるのを感じた。潤みそうになる目尻に力を入れ、震える唇から言葉を吐き出す。
「…………ええ」
そして旦那の右手に、自分の左手を乗せた。
いつも包丁を握っている旦那の手は大きく無骨だったが、あたたかくて美梅をほっとさせた。





