【昔話】出会い②
剛岩に隣接する小さな土地、高鐘の豪族として賢孝は生を受けた。
真雨皇国の北部地方にあるこの一帯は元々、土地が痩せている上に妖怪の出没が多い場所だ。
それでも人間が暮らせているのは、ひとえに剛岩に住んでいる皇族のおかげであった。
剛岩の雨一族は武に長けている。度重なる妖怪被害も彼らが出陣すればすぐに鎮圧されるので、人々は安心して暮らしていた。
……それも、渾沌が現れるまでの話であったが。
「今宵もまた、あの怪物が現れるのか」
賢孝は生気の失った瞳で屋敷から外を眺め、絶望に呻く。
その妖怪が現れたのは、突然だった。
長い毛を持つ犬のような姿をしたそれは、山ほどもある巨大な妖怪だ。
全身が粟立つような咆哮を上げ、狂ったように笑いながら人里に降り立ち、一夜で全てを蹂躙した。
それまで在った村々を灰燼に帰し、人を喰らい、夜明けと共にさっていく。
悪夢のような光景であった。
当然、高鐘の豪族は兵を集めこれに対抗しようとしたが、あまりの力の差に何もできずに倒されてしまう。
これが四凶に数えられる伝説じみた妖怪の一匹、渾沌の力か。
潰される村を、踏み荒らされる田畑を、殺される人々を、何もできずにただただ見ているだけの自分の不甲斐なさが口惜しかった。
今日にでも剛岩からの援軍が到着するという話であったが、それもどこまで対抗できるか定かではない。
渾沌の力はあまりに強大で、いかな剛岩の一族といえど勝てるとは思えなかった。
そんな絶望の淵に沈む最中、背後から声をかけられる。
「おう、あれが渾沌の仕業か。酷いな、山が抉られている」
「!?」
振り向くとそこには、まだ十歳かそこらにしかならない黒髪の少年が立っていた。
全く気配すら感じなかったのに、いつの間にか賢孝の後ろの立っていて、まるで昔からの知り合いであるかのように親しげに話しかけてくるではないか。
賢孝が戸惑っていると、少年は腕を組み顎に手をやると、眉根を寄せて独り言のように呟く。
「うーん。なかなかなやられ具合だ。高鐘の豪族はなぜもっと早くに救援を依頼しなかったんだ?」
ふと、賢孝は少年の身につけている着物が蒼色であることに気がついた。皇族の証である貴色を身に纏っているとなれば、少年は雨一族の一人なのだろう。
賢孝は少年に向かって頭を下げつつも、少し挑発的な口調で返答をした。
「あまりにも唐突に妖怪が襲ってきたもので、連絡が遅れたのでございます」
「そうか。まあ、妖怪というのはいつでも急にやって来るからな。ところで俺の名前は凱嵐。お前の名は?」
「賢孝にございます」
「ならば賢孝。渾沌についての詳細と、この辺りの土地について聞きたい。教えてくれるか」
やたら偉そうに少年は賢孝にそう命じ、それからこんな爆弾発言を付け加えた。
「早速妖怪討伐に向かうからな」
豪奢な剣を持ち上げ笑ってみせた少年に、賢孝は目を向いて叫んだ。
「……あなたが!? 渾沌を!?」
「おう、そうだ。そのために俺は高鐘まで来た」
「お待ちください、援軍というのは……!」
「俺のことだ」
凱嵐と名乗った少年は自身の胸を親指でぐいと示すと、さも当然のように言い放つ。
賢孝は衝撃のあまり眩暈がしてきた。
「…………まさかあなたお一人ではないでしょうね!?」
「後から父と軍勢が来る予定だが、まあ要らんだろう。あ、住民の退避とか後始末とかに人手が必要だから、要らんことはないか」
賢孝は凱嵐の言っていることが一つも理解できなかった。
「渾沌は、高鐘の三千の軍勢を一夜で壊滅に追い込んだ化け物ですよ」
「おう、聞いてる」
「それを、あなたが一人で倒すと?」
「そうだ」
駄目だ。この少年は正気ではないと賢孝は思った。賢孝はそっと凱嵐の肩に手を置き、諭すように言った。
「いくら腕に自信があっても、無茶なものは無茶です。諦めてお父上が来るまで待機を……」
「よし、じゃあ早速作戦会議だ。どこから渾沌が現れるのか教えてくれ」
「聞いてませんね!?」
凱嵐は賢孝の話を全く聞かず、賢孝を部屋の中に引き摺り込んでいく。
そこには背の高い女子が一人、待機していた。意志の強そうな黒い瞳を持つ女子は、凱嵐を見るなり頭を下げて言う。
「ご依頼されておりました高鐘一帯の地図を手に入れて参りました」
「ご苦労、大鈴。話を聞いたらすぐにも妖怪討伐だ。危ないから下がっていろよ」
「はい」
「本気で討伐に行く気なのですか!?」
「さっきからそうだと言っているだろう。大体、四凶相手とあればいくら兵を集めても勝てんよ。強者が一人、相手をすればそれで十分だ」
この少年、己を強者と言い切るのか。
随分と自信があるようだが、あまりにも無茶である。
しかし賢孝がなんと言ったところで少年は聞き入れてくれず、仕方なしに賢孝は凱嵐が望むままの情報を話す羽目になったのだった。
「ふむ。では渾沌はこの山を根城にして、夜毎に村を襲いに降りてくると。ならば話は簡単だ。陽が高く渾沌が眠っているであろう時間に奇襲をかけ、そのまま討伐してしまおう」
「簡単と言いますが、それをした高鐘の軍はあっという間に全滅しましたよ」
「そうか。ならば、気をつけて奇襲をかける」
地図から目を離さずに言う凱嵐に、賢孝はたまらず問いかけた。
「恐ろしくはないのですか? 相手は三千の兵の命を奪い、高鐘の村里を蹂躙している四凶の一角、渾沌なのですよ。長い毛は皮膚を守って剣を通さず、六本の脚で大地を踏み荒らし、四枚の羽で空を飛ぶ。おおよそ人間が一人で立ち向かって勝てる相手ではありません」
すると凱嵐は地図から目を上げると、意外とでも言いたげに紫色の瞳を丸くする。それから顎に手を当てると考えるようにして言った。
「妖怪や盗賊を相手取ることに、恐怖はない」
「なぜ……」
「それよりも俺は、罪もない人々が傷つき死んでいく方がよほど恐ろしい」
凱嵐の口から飛び出したその言葉に、賢孝は反論の言葉を出せなくなった。
「皇族たる雨一族は、か弱き者を守る責務がある。俺に力があるのなら、それを使わずにしてどうする? 年端もいかない子供や、力を持たない女子が虐げられて殺されるのを黙って見ていろと言うのか。そんな事をするくらいなら、俺が矢面に立って降り注ぐ火の粉から皆を守ってみせるさ」
「…………」
ごく当たり前のようにそう語る目の前の凱嵐こそ、まだ年端もいかない十歳の少年である。にもかかわらず、凱嵐の口振りは数多の死線をくぐり抜けてきた歴戦の戦士のそれであり、妙な説得力があった。
奥に控えていた大鈴という名の女子がみじろぎをし、恍惚とした表情で凱嵐を見つめている。きっと彼女は、凱嵐が助けた人間の一人なのだろう。
賢孝が屋敷の奥に引きこもって高鐘の惨状を嘆いている間に、凱嵐は外へ飛び出し敵に立ち向かう。それは正しく民の上に立つ豪族や皇族の在り様だ。
賢孝は今、深く感銘を受けていた。
膝の上で震える拳を握り締め、凱嵐をじっと見る。心が決まるのは早かった。言葉はすんなりと口をついて出る。
「ならば私も……高鐘の民を守る豪族の一員として、その討伐に参加させて頂けませんか」
しかし凱嵐は、一世一代の賢孝の決意を前にして非常に嫌そうに顔をしかめた。
「俺は一人で戦いたいんだよ」
「きっとお役に立ってみせます!」
「うーん。大鈴もよくそう言ってたんだが……足手まとい」
「なっ、足手まとい!?」
「邪魔」
「邪魔!?」
賢孝の生涯最大の決意は、凱嵐の「足手まとい」「邪魔」という言葉を前に辛くも崩れ去った。
歯に衣着せない凱嵐の物言いを前に賢孝がショックで固まっていると、凱嵐は剣を手に立ち上がった。
「と言うわけだから、俺は行ってくる。大鈴、この男が俺についてこないように見張っていろ」
「かしこまりました」
そうして凱嵐は、賢孝を振り向きもせず屋敷から出ていく。
残された賢孝は、口をパクパクとさせながら、行き場のない感情を持て余して固まっていた。
「賢孝様、凱嵐様の言うことは正しいので……何を言っても無駄でございますよ」
大柄な体躯にしては控えめな声で大鈴が賢孝に声をかけてくる。賢孝が目を向けると、大鈴は困った様に笑っていた。
「あの方は、誰かを巻き込んで死なせるのを恐れているのです。自分一人で全てを片付けようとする」
でも、と大鈴は言葉を続けた。
「そんなあのお方の勇姿を、間近で見たいと思うのは仕方がないと思いませんか? ……邪魔にならない様な場所で、こっそり見届けましょう」
+++
妖怪の断末魔が聞こえ、血飛沫が飛び散る。
山と見紛うほどの巨躯が倒れ、四凶の一角である渾沌が今、絶命した。
その前に立っているのは、小さな体の少年ーー凱嵐である。
凱嵐は肌身離さず持っている愛剣、天泣の血を着物で拭った後に鞘に納め、紫色の瞳で死にゆく渾沌を眺めていた。
「手強かったな」
息を吐いて言う凱嵐に駆け寄った賢孝は、小さな少年の後ろ姿を畏怖の念を込めて見つめていた。
「ほ、本当に倒した……たった一人で、四凶を……」
「だから言っただろ。俺は、一度言ったことは守る人間だ」
「だが、相手は四凶だぞ!?」
「四凶だろうが冥府の番人だろうが関係ない。真雨皇国の平和を乱す輩は成敗する、ただそれだけだ」
この台詞を言ったのが、まだ十歳の少年であるという事実に賢孝は恐れ慄いた。
自分と大して変わらない、年端もゆかない子供が命を投げ打つ覚悟で妖怪に立ち向かう。
どれだけの肝が据わっていれば出来るのだろう。
気がつけば賢孝はその場に膝を折り、首を垂れていた。
凱嵐は賢孝のそばまで歩み寄ると、不思議そうに声をかけた。
「何をしているんだ?」
「高鐘の豪族の一人として、かの妖怪を討伐してくださった凱嵐様に感謝の念を。……この先、私は、あなた様に一生を捧げると誓います」
「あぁ、またそういうのか。大鈴も似たようなことを言っていた」
賢孝が見上げると、凱嵐は首の裏を描きながら困ったような顔をしている。
何か困らせるようなことを言っただろうか、と賢孝が思っていると、目があった凱嵐は腕を下ろして息をつく。
「俺はあまりそういうのに慣れていないんだ。もっと気楽に接してくれ」
「しかし」
「しかしもへちまもない」
仕えるべき人物にいきなりそのように言われ賢孝は戸惑う。
しかし凱嵐の望みであれば、聞き入れるほかあるまい。
「善処いたします」
「うむ。そうしてくれ。さて」
凱嵐は白み始めた空を見上げ、言った。
「皆が心配しているだろうし。……帰るとするか!」
賢孝十三歳、凱嵐十歳の頃の出来事である。





