拗ねる、疑う
牛鍋を平らげた凱嵐は寝殿までの道のりをご機嫌で歩いていた。
「賢孝、牛鍋の味はどうだったか?」
「牛鍋の味でございました」
「お前はそういうところが面白みがないよなぁ」
「私に面白みがない事など、陛下が一番ご存じでしょう」
「拗ねるな」
「拗ねてなどおりません」
横を歩く賢孝はむっつりとしており、誰がどう見ても拗ねていた。
忠義に厚い賢孝だが、凱嵐が独断で物事を運ぶのを嫌っている。おそらく凱嵐には、賢孝が今何に拗ねているのかが手に取るようにわかるのだろう。我が主人に隠し事は不可能であると賢孝は知っていた。
「猫又妖怪の件か」
「……なぜ黙っておられたのです」
「あれは害がない」
「そう言う問題ではありません」
賢孝ははぁ、とため息をつくとこめかみに人差し指を当てる。
「大問題でございますよ。妖怪を使役し、元影衆と関わりのある人間など、得体が知れないにも程があります。なぜ野放しにしているんです?」
「妖怪を使役できる人間は限られているが、そこまで珍しくもないだろう。見たところ使役しているのはあれ一体のみだし、一般的に猫又はさほど害のある妖怪ではない」
妖怪を調伏し、支配下において使役する人間というのは一定数存在している。
凱嵐の最大の敵である白元妃も妖怪使役に長けているし、皇族の中には使役が得意な者も多い。この天栄宮に無数に張り巡らされている護符は、妖怪避けとして専門の役職の人間が貼っているものだった。特定の妖怪以外は入れないように守られているのだ。
にもかかわらず。
賢孝は話をはぐらかそうとしている主君を胡乱な目で見つめる。
「…………誤魔化さないでください。この天栄宮内で妖怪を使役する。それ自体が異質であると申し上げているのです」
「………………」
「わかっておいででしょう。あの娘、もしかせずとも」
「賢孝。それ以上は言うな」
凱嵐は賢孝の言葉を遮った。口調は強くなくとも、言葉には圧力がある。口をつぐんだ賢孝に、凱嵐は諭すように言った。
「紫乃については、きちんと調べさせよう。報告を待て」
「…………御意に」
陛下にそうまで言われてしまっては、もう賢孝から言える事など何もない。
凱嵐は、人を見る目に長けている。心の底から自分に仕えてくれる人間を見抜く天性の目が備わっていると常々感じていた。
賢孝が最初に凱嵐に出会った時もそうだった。
剛岩近郊の土地を支配する豪族の一人に生まれた賢孝は当時、付近に出没する妖怪・渾沌の被害に怯えながら暮らしていた。
渾沌というのは『四凶』に分類される伝説上の妖怪で、巨大な犬のような姿の化け物だ。
突如として現れた渾沌は瞬く間に里を襲い、人間を食い散らかし、対抗する軍を圧倒的な力で蹂躙した。
後に聞いた話だが、先代皇帝は強すぎる渾沌の討伐を諦め、土地ごと封印する決意をしていたという。
妖怪に蹂躙され、腐敗した土地に取り残された人々は軍に助け出される事もなく、渾沌ごと封印される予定だった。
ーーそこに現れたのが、凱嵐だったのだ。
「よう、化け物。俺が相手してやるよ」
まだ十歳の少年だった凱嵐は、身に合わぬ剣を振り回し、何百人もの人々を紙切れのように食いちぎって殺した妖怪にまるで恐れずに立ち向かう。
三日三晩の戦いの後、立っていたのは凱嵐だった。
その様を見て、賢孝は思った。
あぁ、この方に一生を捧げようと。
味方を増やす凱嵐の手腕は並はずれている。敵に向かう時には苛烈に、味方に対してはとことん信じ抜く。
時に危うささえも見せる凱嵐の性格を補佐するため、自然と賢孝は冷静に俯瞰して全てを見るようになった。増え続ける味方の中には、時に凱嵐に快くない感情を持っている者もいる。
だから、見極めなければならない。
あの娘が本当に敵にならないかどうかを。
ーー御料理番頭という役職は、その気になれば最も容易く凱嵐を毒殺できるのだから。





