影衆という存在
天栄宮には三つの門が存在している。
北門は使用人宿舎に近く、宮で働く者や商人などが出入りをするための門。
東門は貴人殿に近く貴人や上級官吏が出入りするための門。
西門は奥御殿に近く、そこに住まう女たちが出入りするための門。
そして南門は、正殿に近く皇帝のみが使用できる門である。
「帰ったぞ」
「陛下!」
誰か人が来る前にと凱嵐に急かされ、襲撃現場から離れた。そして有無を言わせずに南門から天栄宮へと強制的に帰還させられたのがつい今しがた。ちなみにこの門をくぐるのは、馬に乗って連れて来られた時以来、二度目である。流墨はいつの間にか姿を消していたし、花見は「えー牛鍋は!」と言ってぶーたれていたが、「そんな血まみれの状態で飯屋に行けるか。また今度だ」と凱嵐に言われて渋々従った。もう人間の姿でいるのが嫌になった花見は、猫に戻って紫乃の肩に襟巻きのように巻き付いている。
花見の猫形態は、本物の猫よりも軽い。まるで綿が巻き付いているかのような軽さなので、紫乃の肩に乗っていてもほとんど気にならなかった。ただ、時々頬を掠める髭がくすぐったい。
そんなこんなで二人で無駄に豪奢な作りの門をくぐると平伏して待っていたのは賢孝だった。
「ご無事でしたか」
立ち上がった賢孝は凱嵐を見る。柳眉を寄せたその顔には心配でたまらないとありありと書いてあった。凱嵐の粗末な装いには泥と土埃と小鬼を切り伏せた返り血がこびりついており、一目見て何かがあったのだとわかる有様だ。
「ああ、今回もまた刺客に襲撃された」
「またですか」
「恒例行事のようなものだ」
命を狙われるのが恒例行事とは、随分物騒な話であるが、二人の様子からは本当に日常であるのだろうと思わされる。
賢孝は嘆息するとちらりと紫乃に視線を送った。その眼差しは凱嵐に向けていたものとは異なり、非常に冷ややかだ。
「……で、なぜこの娘を連れているのです?」
「都でたまたま行き合った。賢孝、紫乃について話がある、ついて来い」
言って凱嵐は紫乃の腕を掴んだまま、天栄宮の内部に向かってズンズンと歩き出した。
一際豪華な建物が立ち並ぶ正殿群に入り、その奥に存在する五階建ての青塗りの宮殿へと足を進める。そこは一番最初に紫乃が凱嵐に夕餉を運んだ御殿だ。
凱嵐の姿を見つけるたびに平伏する見張りの兵には目もくれず、凱嵐は御殿に入ると階段を登り、あまり広くない一つの広間に紫乃を連れて行く。
賢孝も追って広間に入ったところで、広間の扉を閉めた。
「……ここは皇帝の住まう寝殿、私的な御殿で入れる人間は限られている。特に二階以上となると、俺の許可なく勝手に立ち入った場合、それだけで死罪となる」
「それはまた大層な場所ですね」
「さて、本題に入ろう」
紫乃の相槌に反応せず、凱嵐は立ったまま賢孝を手招きした。紫乃の目線に合わせるように二人は背を曲げ、三人は額を突き合わせるほどに近づいた。ここには花見もいるので正確には三人と一匹なのだが、賢孝は花見に目もくれない。花見の姿が見えないのだ。
「紫乃、影衆の一人黒羽と知り合いというのは本当か」
「影衆と……?」
凱嵐の話に怪訝な顔をしたのは、賢孝だ。紫乃は言葉を慎重に選びつつ、口を開く。
「知り合いっていうか……小屋に定期的に食材や調味料を届けてくれていました。さっきの暗器に包みがくくりつけられていて。直接会った事はないし、姿を見たこともないです」
「だとしても、由々しき事態だ」
凱嵐と賢孝は極めて真剣な表情で紫乃を見下ろしている。
「待って。そもそも影衆って何」
話の見えない紫乃は混乱したままに凱嵐に問いかけた。すると凱嵐は、重々しく口を開き、事実を告げる。
「影衆というのは、代々皇帝に仕える隠密集団。黒羽はその中でも抜きん出た才能を持ち、先代皇帝に重宝されていた影衆の長だ」
そして凱嵐は真っ直ぐに紫乃を見つめ、言った。
「先代皇帝亡き後、俺が帝位に就いた時、黒羽はいなかった。いつの間にか姿を見せなくなった、と流墨は言っていた。……その黒羽とお前が、なぜ関わり合っている?」
「なぜと言われても……」
「……紫乃、お前は何者だ」
凱嵐が紫乃を見る目には、いつもの快活な色は宿っていない。
ただひたすら、得体の知れないものを見るような疑いの色だけが宿っていた。





