皇帝は命令を下す
「くそう」
締め出しを食らった凱嵐は頭をぐしゃぐしゃとかきむしり、諦めて放り出された着物を身につけて刀を腰にさしてから川沿いを歩き出す。
油断していなかった、といえば嘘になる。何せ十年ぶりのあたたかい食事だ、腹が満たされ良い気分で少しだけ警戒が緩んでいた。
おまけに全身痛いし、丸一日川を流されたせいで体が芯から冷え切っていた。罠だとわかってて嵌まりに行ったが、思いのほか手強い相手だった。迂闊だった、自惚れていたと認めざるを得ない。俺もここまでかと死を覚悟した瞬間、紫乃と花見が現れ、半ば強引に助けさせた。
天は俺を生かしてくれた。
あの時の紫乃はまるで天の使いのようであった。
冷ややかな態度と太々しい言動とは裏腹の心のこもった食事の数々は、疲労した凱嵐の五臓六腑に染み渡った。均一に切られた美しい野菜、食べやすい大きさに拵えられた干し肉、全ての具材が腕に入るよう、計算し尽くされた盛り付け。見事の一言である。
「まるで紅玉のようであった」
ポツリと呟き、それからうむうむとしきりに頷いた。
「全く僥倖であったな」
「何が僥倖ですと?」
はっはっは、と笑いながら歩いていると木の上から声が降ってきた。遅れて人が降ってくる。
「おぉ、流墨」
黒い着物に身を包んだ男を流墨と呼び、凱嵐は喜びを露わにした。
「全く……わざわざ敵方の罠に飛び込んでいったかと思えば、案の定殺されかかってしまったじゃないですか。私がこの二日間、どれほど探し回ったと思っているんですか」
「すまんすまん」
「陛下が死んだとあっては、国が荒れます。もっと御身を大切に考えなされませ」
「流墨はカタイな」
「陛下のお考えが柔軟すぎるのでございます」
「ここまで主君に意見する影衆というのも珍しい」
大股で歩く凱嵐の横を歩きながら流墨は言葉を詰まらせる。凱嵐からすればただの軽口のつもりだったが、流墨にとっては一大事だ。凱嵐の言葉一つで己の命など軽く散る。しかし、だからといって、気軽にほっつき歩く皇帝に苦言の一つや二つや三つ言いたくなるのも当然だ。
何せ罠だと知っててハマりに行く凱嵐は、護衛の一人もつけていなかったのだから。
崖から落ちた時だって、助けに行こうとする流墨を目で押し留めたのも凱嵐その人だ。流されていく主君を見失った時には心臓が止まるかと思った。
「時に、流墨。一つ調べて欲しい事が出来た」
「何でしょうか」
「この神来川のほとりに住む紫乃という人物についてだ」
「……この秘境に、人が?」
俄には信じ難い話に流墨の顔が険しくなるが、凱嵐はああと気軽に頷いた。
「紫乃のおかげで一命を取り留めた。俺は、あの娘が欲しい」
「それはまた……とうとう陛下にも春がやって参りましたか」
「そうかもしれない」
アッサリ認める凱嵐に流墨はギョッとした。膨大な妃候補を抱えながら決して首を縦に降らなかったこの美貌の今代皇帝陛下が、まさか険しすぎて猿も住まないと噂の屹然に住む田舎娘に執着するとは。打ちどころが悪く錯乱しているのではないかと流墨は心配になった。
「まあ、聞け流墨。紫乃はただの田舎娘ではない」
そして凱嵐は助けられてから締め出しを食らうまでのいきさつを話して聞かせた。
「成程……山の掘建て小屋に住みながらも、鰹や昆布で出汁を取り、目にも美しい料理を作る娘ですか」
「あぁ」
「確かにただの田舎娘ではなさそうですね」
この国の民は、日々の食事でいちいち出汁を取ることなどしない。切った野菜を鍋で茹で、塩を振って食べるのがせいぜいだ。おまけに紫乃の盛り付けは、どう考えても庶民のそれではない。
「一汁三菜……通常、庶民であれば一汁一菜がせいぜいなはずです」
「だろう? しかも紫乃は、鮎と猪肉を惜しげもなく調理して出した」
「どちらも贅沢品……一度の食卓に出すことはまずあり得ませんが、陛下に気遣ったのでは?」
「それなら俺を無下に小屋から追い出したりしないだろう。敬語すら使わない娘だぞ?」
凱嵐はキッパリ言う。
「まだあるぞ」
「なんでございましょう」
「…………」
凱嵐は紫乃が猫又を従えていた事を言おうとし、口をつぐむ。
古来より真雨皇国に存在する妖怪は、時に人をたぶらかし、時に人に手を貸す存在だ。強大な妖怪は天災と変わりなく、特に鬼や九尾狐はもはや伝説上の生き物である。
しかし、本当にあの娘が猫又妖怪を従えていたのだとすれば、事態はかなり厄介だ。
首を振り、凱嵐は「なんでもない」と言ってから言葉をつづける。
「ともかく、只者ではないと言えよう。よって流墨、今より紫乃の見張りにつけ」
「ですが、陛下の御身は」
「俺は平気だ」
会話をしながら歩いていると、いつの間にか山を抜けて麓までやってきていた。ガサガサと草をかき分け平野に出ると、そこには一面に兵が詰めかけている。鎧に身を包んだ兵たちは一様に右腕に藍鉄色の布を巻き、一人の兵は旗を掲げていた。
水縹色の旗には、天に昇る龍を従えた女神、善女龍王が金糸で縫われている。
ーー今代皇帝のみに仕える軍、蒼軍が居並んでいた。
「陛下!」
「今代陛下!」
皆が一様にこちらを見て、膝をつき地面へと首を垂れた。平伏の所作に凱嵐が「面をあげよ」と言えば、一人の一際立派な鎧を身につけた兵が進み出て、凱嵐の前に跪く。
「ご無事で何よりでございます。帰りをお待ちして申しておりました。今回の事件の首謀者は、すでに陣中に捕らえております」
「よくやった」
鷹揚に頷いた凱嵐は、兵を見渡す。
「全員捕らえているか」
「それが、未だ二人ほど山中で逃げているようで捕らえられておらず」
「すぐに探せ。俺は空木に会いに行く」
「はっ」
蒼軍大将の案内に従い、張られた水縹色の幕の内側へと進んで行く。
やがて最奥に位置する場所に、縄で括られ地面に転がされている人物が一人。
「空木」
「くっ……凱嵐! 生きておったか!」
巨躯の空木は頭から血を流しながらも憎々しげな顔つきで凱嵐を見据えている。
「鷹狩りに誘われた時から、お前の仕組んでいた罠には気がついていた。そんなにこの俺を皇帝の椅子から引き摺り下ろしたいか」
「ぬかせ!」
空木の鋭い眼光もなんのその、凱嵐ははぁ、とため息をつくとしゃがんで目線を近づける。
「お前も馬鹿な男だな。白元妃の言うことを聞いても得られるものなど何もないだろうに」
「元妃様は何も関係ない。儂が勝手にやった事だ」
「そうか。それはこの後の調べではっきりするだろう」
言って凱嵐はそれ以上の興味を示さず、立ち上がった。
「見張りを絶やすな。決して逃すなよ」
「はっ」
幕の外に出た凱嵐は嘆息する。
「お疲れ様でございます」
「これで白元妃の尻尾を掴めると良いのだが」
「きっと上手くいくでしょう」
その慰めに、凱嵐は内心でどうかな、とこぼした。先代陛下の妃、白元妃は手強い。宮中に数多の手駒を持ち、政にもするりと紛れ込ませてくる。凱嵐が帝位に就いた今でも白元妃の影は常にちらついており、凱嵐の命を奪わんと狙っている。
皇帝になって十年。国の外にも中にも未だ凱嵐の敵は多い。
「陛下! 今代陛下!」
「どうした」
と、そこに慌てたように飛び込んできた一人の兵。右腕からは血を流しており、鎧の至る所がボロボロであった。凱嵐が目を向けると、重傷でありながらも膝をついて地面に額を擦り付け礼の姿勢をとり、大声で言う。
「恐れながら申し上げますーー屹然、神来川のほとりにて何やら怪しげな男と、巨大な荷物を背負った娘が兵と交戦中! 増軍をお願いします!」
「!!」
心当たりのありすぎる人物像に、凱嵐は直ちに幕を出て現場へと向かうべく用意を整えた。





