雨綾の大市
初めて繰り出した雨綾の街並みは、人がとにかく多かった。
山育ちでせいぜい近隣の里にしか行った事のない紫乃としては、あまりの人の多さに圧倒された。天栄宮の中も人が多いが、皆仕事があるために整然とした動きで、無駄というものに乏しい。
しかし雨綾を行き交う人々にはそうした整然さが無縁だった。
雑踏には雑貨や化粧品などを扱う露店が立ち並び、それを冷やかす人々が唐突に足を止める。
荷箱を棒の両端にくくりつけ肩に担いで売り歩く者、それを呼び止めて買う者など様々だ。
「さぁさぁ、甘酒だよぉ!」
「油はいらんかね?」
「食器が欲しいモンはおらんかぁー!?」
元気な物売りの声が飛び交い、物珍しさに紫乃は目線をあちこちに彷徨わせる。
昼下がりの大市は活気に満ちていた。
「紫乃、見て。茶屋!」
「お」
花見が指差した方角には、確かに甘味処の暖簾が下がった小屋が建っていた。
「ワテ、団子が食べたいにゃあ。行こう!」
「うん」
元気に紫乃の手を取り、一目散に茶屋へと向かう花見。
入り口に桜色の着物をきた茶屋の看板娘が立っていて、二人に気がつくとにこりと微笑みながら声をかけてきた。
「いらっしゃいまし。ご注文は?」
すると花見は軒先の赤い布が敷いてある縁台に腰を下ろすと、指を三本突きつけながら言う。
「三色団子、三十本!」
「さんじゅっ!?」
「おう。紫乃は?」
「私はお汁粉」
「てことで、よろしく!」
「え……さんじゅ……三十本!?」
「早くしてくれだにゃあ」
「にゃあ……!?」
色々と情報量が多すぎて、看板娘は困惑しながらも注文を伝えるべく店の中へと入って行った。
程なくしてこんもり皿に盛られた、三色の団子とお汁粉が運ばれてくる。
「おぉ、きたきた」
目を喜びに輝かせた花見は、早速団子を三本手に取ると、一気に頬張った。
「うーん、美味いけど紫乃が作る団子には敵わないにゃあ」
とても失礼な感想を述べつつも、花見の団子を食べる手は止まらない。
紫乃は熱々の湯気を立ち上らせるお汁粉にそっと口をつけた。
小豆の香りと甘い味付けは、中々にパンチがある。甘すぎるというほどではないが、くどさがあるのはこうした味が雨綾の人に好まれているからなのだろうか。
箸を手に取った紫乃は、はふはふと湯気の立つ餅を頬張った。
餅米を杵でついて作り上げる餅は、紫乃も母に教えてもらいながら作ったことがある。
あの時の餅米も黒羽が持ってきたものであった。もしかしたらそれも天栄宮から持ち出したのかもしれない。
しかし、黒羽が仮に天栄宮の人間なのだとしたら、なぜ紫乃の前に姿を現してくれないのだろうか?
せっかくだから会ってみたいのだが、接点がないとそれも出来ない。
お汁粉を食べながらそんな事を考えていると、ものすごい勢いで団子を食べ続ける花見が、
「団子、二十本追加にゃあ!」
と言った。
「は……!? つ、追加!?」
「早く、早く!」
小柄な花見があり得ないほどの団子を食べている様は、異常だ。
恐ろしいものでも見るかのような目で看板娘が花見を見るが、本人はどこ吹く風である。
花見が大食いであるとよく知っている紫乃としては、看板娘に助けを求めるような眼差しを送られても介入するつもりはなかった。花見の胃袋は、妖怪だ。普通の物差しではかるのは間違いである。
そんなふうに思いながら、紫乃はぼうっと雨綾を行き交う人々を見つめ続ける。
目の前の食事処の軒先には人が立っていて、
「さぁさぁ、雨綾名物『白米丼』はいかがかな!?」
と威勢のいい声で客引きをしていた。空の丼を手に、口上を述べている。
「この丼の大きさを見よ! たっぷり2合の白米に、漬物、味噌汁がつくよ! これで午後の仕事も精が出ること間違いなし!」
二合とはまた大盛りだな、と思いながら紫乃はその男の話に耳を傾けていた。特盛の店なのだろうか。
しかし隣の飯屋からも人が飛び出してきて、これまた負けず劣らずの巨大な丼を掲げた。
「寄ってらっしゃい見てらっしゃい、うちは二合半の白米を出してるぜ。ツヤツヤの白米に、豆腐の味噌汁、沢庵! これを食べりゃあ力がもりもり湧いてくるぜ!」
「二合半って」
思わず紫乃は呟いた。
隣で団子をかっ食らう花見ならば余裕だろうが、普通の人間にそんな量の白米を食べられるはずがない。
紫乃はそう思いながら隣り合う二件の食事処の客引きを聞いていたのだが、意外にも足を止め、客が入っていくではないか。しかも、二合半の白米丼の店の方に客が集中している。
入っていくのは働き盛りの男たちばかりで、二合の白米を出す食事処の主人は悔しそうな顔をして客が隣の店に吸い込まれていくのを見つめていた。
「花見、白米丼だって。どう?」
「にゃあ?」
「雨綾名物らしいよ」
「うーん」
声をかけられた花見は三色団子をもぐもぐしながら乗り気ではない顔をしている。
「確かに白米もいいけど、麦飯に比べると腹にたまらないんだよにゃあ……」
最近、朝餉が白米なのだが花見はあまりお気に召していないようだ。
紫乃としても白米より麦飯の方が好みなのでこの意見はわかる。白米は腹持ちが良くない。夕餉前にお腹が空くので、食べる量が必然的に増えてしまうのだ。
しかし使用人宿舎の朝餉を見ていても、大量に米を食べている人が多いので、雨綾ではこれが普通なのかもしれないと紫乃は考え直す。
何にしろ、米のみで満腹を得ようとする食べ方は紫乃の好みではない。
母の教えでも、「米、野菜、肉と魚を満遍なく食べないと病気になるぞ」と言っていた。
そんな訳で紫乃は断然、凱嵐に出しているような一汁三菜の食事が好みである。
「ご馳走様だにゃあ。よし、次に行こう」
団子を計五十本食べた花見は腹をさすりながら立ち上がる。それを慌てて呼び止めたのは、茶屋の娘だ。
「ちょっと、お客さん、お代を払っておくれよ!」
「にゃ?」
「あ」
言われて紫乃は気がついた。手ぶらで出てきてしまった。
「お金持ってきてないや」
「えぇ!?」
茶屋の娘は素っ頓狂な声を上げた。
「困りますよ、団子五十本も食べておいて!」
「ツケじゃ駄目?」
「駄目に決まっているでしょう!」
困った。まだ働き始めて日の浅い紫乃は給金を貰っていない。
そもそも山で生活していた時には自給自足か、黒羽が持ってきてくれる食材を使うか、たまに里で物々交換だったので、お金を使う機会がほぼ無かったのだ。
出かける=金を持っていくという発想が完全に欠けていた。
「無銭飲食は犯罪ですよ、役人を呼びにいくから中で待ってておくんなし!」
「いや、ちょっと待って」
紫乃と花見の腕をつかみぐいぐいと引っ張る娘。
仕方ない、天栄宮の名前を出そうかと考えていたその時、紫乃の肩をぽんと叩く手があり、続いて妙に快活な声が降ってきた。
「やあ、紫乃! お前こんなところにいたのか、探したぞ!」
誰だと思って振り向くと、そこには頭に笠を被り、粗末な衣装を身につけた長身の美丈夫が立っていた。





