陛下が無茶を言う
厨に料理人が集まった。十人の料理人は、紫乃の指示で動く。
紫乃は集まった面々を見回し、まずは献立について切り出した。
「夕餉には取肴で鯵のたたきを出す」
紫乃が言うと、厨の中はざわめきに満ちた。
「姐さん、それは難しいと思いますが」
料理人の一人がおずおずと手を上げて言うも、紫乃は「大丈夫」と請け負った。
「鯵のたたきは傷まないように工夫をして出すから、問題ない。他の献立は平に鴨肉と野菜の炊き煮、焼き物は鯛の塩焼き、なますはわかめと大根で、汁は豆腐にしよう」
「わかりました。俺たちは何をすればいい?」
「今朝と同じ。麦米を炊いて、食材の下拵え」
はい、と一斉に十人の声が重なり即座に動き出す。
誰が何を担当するか短く言葉を交わして決め、食材を洗う者、火を熾す者とそれぞれだ。
紫乃は朝と同じく鯵の準備をする。凱嵐のために選んだ鯵は艶やかで、鰓は鮮やかな赤色をしている。これを今からたたきにするぞと勢い込み、紫乃は包丁を手に取った。
+++
給仕番を束ねる大鈴は、本日、夕餉前にちょっとしたトラブルに見舞われていた。
皇帝である凱嵐が無茶を言い出したのだ。迷いのない足取りでズンズンと天栄宮を進む凱嵐に、大鈴は小走りでついていく。
「陛下、本当に行かれるんですか?」
「くどいぞ、大鈴。俺に二言はない」
「ですが……賢孝様はもうご存じなのでしょうか?」
「賢孝には後で言う」
「さぞお怒りになられるのでは……」
この大鈴の言葉に、凱嵐は眉を吊り上げた。元の顔立ちが良いので、こうして怒り顔となっても絵になるのだが、ときめいている場合ではない。
「大鈴。この国で最も権威ある人物は、俺ではなく賢孝か?」
「滅相もございません。陛下こそが十の諸国を従える真雨皇国の皇帝にございます」
「なら、いちいち賢孝の顔色を伺わなくても良かろう」
「はい、おっしゃる通りにございます」
「大体お前たちは心配性過ぎるんだ。飯の時くらいもう少しくつろぎたいと思うのが人間だろう。剛岩の時はいつでも飲めや歌えやの大騒ぎだったというのに」
「それは、まぁ、お立場が変わりましたので仕方のない事かと」
「またそれか」
足をピタリと止めた凱嵐が大鈴を振り返り、心底嫌そうな顔をした。
「お前も賢孝も、天栄宮に入ってからどうにも俺と距離をとり過ぎている。昔のように一緒に卓を囲めば良いではないか」
その言葉は凱嵐の本音なのだろう。
剛岩にいた時はもっと距離が近かった。共に食事を摂るのが普通だったし、朝まで飲んで大騒ぎしたのも一度や二度ではない。
とは言われても、戦場の天幕内や旅の途中の野営地ならばともかく、一介の臣下にすぎない大鈴がこの天栄宮で凱嵐と食事を摂っていたらあまりにも変な光景だ。
それを重々心得ているからこそ凱嵐も今まで無茶を要求してこなかった。帝位就任直ぐに起こった毒殺未遂があってからは、賢孝の過剰過ぎるほどの御膳所への指示も渋々受け入れていた。
そんな微妙な均衡を破ったのが紫乃である。
紫乃は昨夜、「明日からは、厨近くの部屋で待機してて欲しい」と言った。
「少しでも出来立ての料理を食べて欲しいから」とも。
それは料理人として至極当然の要望だと思う。冷め切ったまずい料理など食べて欲しくない、出来立ての一番美味しい状態を味わってほしい、紫乃の言葉には純粋にそのような気持ちが込められていた。今まで御膳所の誰も言い出せなかった、けれど誰もが胸に抱えていた本音だ。
裏も表もない純粋な言葉に機嫌を良くした凱嵐が「ならば、そのようにしよう」に答え、今に至る。元来、凱嵐も実直な人間だ。だから紫乃のような人間を好ましく思うのも理解できた。
そう、凱嵐は今、御膳所を目指して歩いていた。
「そうだ、どうせなら厨で食べるというのはどうだ。そうすれば膳を運ぶ手間が省けるし、その時間だけ早く飯にありつける」
「恐れながら、厨にはとても陛下が腰を落ち着ける場所などございません」
「大鈴、お前なら知っているだろう。俺が、地べたに座って食事を摂るのも構わないような人間だと」
「ですが……」
「構わん。形式よりも大切なのは、出来立ての飯を食べる事だ」
あぁ、駄目だわと大鈴は心の中で嘆いた。
一度言い出したら聞かないのが、凱嵐の癖だ。この決断力で皆をぐいぐいと引っ張っていったのだが、今は少々困る。
これはもう絶対に賢孝様の耳に入ったら雷が落ちてくるだろうなと思いつつも、御膳所目指して真っ直ぐに突き進む凱嵐の後を大人しくついていった。





