鯵のたたき①
「さて、朝餉の準備だ」
「そんくらい、俺らがやりますけど」
「いや、作りたい。作らせてくれ」
「姐さんが言うなら、いいですけど……」
「御膳所の御料理番頭様の作る料理が食えるタァ、俺らも幸運だなぁ!」
「違いない! 伴代はちっとも作ってくれなかったから!」
「伴代はケチだったからなぁ!」
「ケチの伴代に代わって、可愛い子が御料理番頭になってくれてよかったぜ!!」
「お前ら……!!」
使用人宿舎の厨が騒がしい。
仕事前の使用人たちが起き出してきて、朝餉にしようと厨に入ってきたところ紫乃の姿を見つけたのだ。
使用人用の厨は御膳所のものより大きく、雑然としていた。
働き出す時間がバラバラなため、三々五々に飯を作って適当に食事を取って仕事に行く。
今紫乃の周りに集まっているのは、同じ御膳所で働く夕餉の厨の連中と、その他たまたま居合わせた人々だった。
「姐さん、一人でこの人数分を作るのは大変だ。俺たち使ってください」
伴代が言うと、他の夕餉の料理番たちも「そうだそうだ」「使ってくれ」と言い出す。
確かに、今集まっているのはざっと数えただけでも三十人超。花見が一人で十人前食べるので、四十人前もの朝餉を用意しなくてはならない。
時間があれば出来なくないが、流石に朝の慌ただしい時間となると一人で全部を調理するのは骨が折れる。
皆仕事があるからいつまでも朝餉に時間をかけているわけにもいかない。
「ありがとう。じゃあ、味噌汁と野菜の皿の用意、それから米を炊くのを頼む」
「あいよ」
「任せておけ」
「姐さん、米は麦米でいいのかい? 白米かい?」
「え、白米……?」
怪訝な顔をする紫乃に、伴代は隅に雑に置いてある巨大な米俵を叩いた。
「なんだ、白米見た事ないんですか。これですよ、雨綾じゃあ米っつったら白米が主流でしてね、町人から貴人まで、みーんな白米を食っているんです」
「おうよ、何つったって白米は舌触りがいい!」
「俺なんか白米食いたさに雨綾まで働きに来たんだよ」
「でも、凱嵐は麦米を食べていた」
「…………!!」
紫乃が「凱嵐」と口にした瞬間、その場の全員が顔を青ざめさせた。伴代が素早く動き、紫乃の口をばっと塞ぐ。
「姐さん、今のはいけないです。皇帝陛下を呼び捨てとは、首刎ねられてもおかしくないです。昨日から思っていたが、姐さんは礼儀作法を身につけた方が良さそうですね」
「料理人にそんなものが必要か?」
口を抑えられたままもがもがと喋る紫乃に伴代は大きく頷いた。
「ここは真雨皇国の中枢、天栄宮。料理の腕はもとより、立ち居振る舞いにも相応のものが求められます」
「…………」
「先々代の御料理番頭、紅玉様はそれはもう完璧な作法でして」
「やる」
紅玉の名を出された紫乃は即答した。
正直あの母が礼儀作法など出来たのかは首を傾げるところだが、それでも過去の母を知る伴代が言うのであれば、きっと出来たのだろう。
母に出来て紫乃に出来ないはずがない。
(やってみせる、礼儀作法……!)
「朝餉の後、大鈴に教わるといいですよ。あいつはそういうのに詳しいから」
「わかった、ありがとう。そういえば、大鈴は?」
「あいつは朝餉の給仕に行ってます。御料理番と違って毒味番と給仕番は朝昼晩、三食全てに携わっていますから。特に大鈴は剛岩時代から陛下に付き従っているとかで、信が厚いんですよ」
「なるほど」
「それとさっきの質問ですが、陛下はご出身が剛岩という地方でしてね。そこは麦飯を主食としていたようで、今でも慣れ親しんだ麦飯を召し上がっておられるんです。
同じく剛岩出身の執務官補佐の賢孝様も麦飯を好んで召し上がると言う話です」
「成程」
初めて出会った時、麦粥に感動していたのはそういう理由もあったのかもしれない。
天栄宮でのまどろっこしい食事までの手順を思い出すに、きっと熱々の麦粥を食べたのが久しぶりだったに違いない。
「さ、無駄口はここまでにして朝餉を作っちまいましょう」
「うん」
そうだ、朝餉だ。
紫乃は大量の鯵に向き直った。
ツヤツヤと光沢を放つ鯵を見た時から、紫乃はこれをどう調理するのか決めていた。
ズバリ、たたきである。
こうも新鮮なものを塩焼きにするのは勿体無い。ここは是非、生のまま食すのがいい。
そうと決まれば下拵えだ。
紫乃は桶に大量に入った鯵を一匹掴むと、丁寧に尾から頭に向かって包丁を滑らせる。ウロコがないのを確認するとゼイゴを削ぎ落としていった。
それから胸びれを立て、頭を切り落とした。
流れるように腹に刃を入れて内臓を掻き出す。血合いを抜き出しやすいように切り込みを入れておいた。
水がたっぷり入った桶に鯵を入れ、丁寧に腹の中の血合や汚れを取っていく。
それをひたすら繰り返す。
「姐さん、手伝いましょうか」
「ありがとう」
御料理番の数人がやって来て、鯵の下拵えを買って出た。
ちらりと見るとその手つきは慣れたもので、さすがというところだ。
今までは母と二人か自分一人で調理していたものだけど、手が多いと言うのは助かる。
頭を落とし、内臓を取ってきれいにした鯵が積み重なってゆく。
桶いっぱいになったところで次の作業、鯵の三枚おろしだ。
紫乃は黙々と鯵を3枚におろして行った。
包丁を入れ、中骨に気をつけつつもなるべく身を多く残すようにおろしていく。
鯵を刺身にする上で面倒なのが、血合い骨と呼ばれる骨を取り除き皮を剥ぐ工程だが、これを怠る訳にはいかない。
幸いにも手はたくさんあるので、手分けをしてひたすらに鯵の処理をしていった。
「下拵え終了」
「これをどうするんですかい?」
「タタキにする」
「そりゃあいい」
「朝から鯵のタタキかぁ。酒が欲しくなるな」
「飲まないように」
「わかってますって」
料理人たちと軽口をかわしながら、紫乃の手は澱みなく動き続けていた。
鯵のたたきを作る時のポイント。
それは、鯵と適度な大きさに切った薬味とを一緒にたたいて味を馴染ませる。
この時たたきすぎると粘り気が出てしまうので、注意しなければならない。
今回使う薬味は大葉とネギと生姜だ。
生姜は皮を剥いて細切りに刻み、大葉とネギも適度な大きさにしてから大量の鯵と共にたたいていく。
タンタンタンタン、と規則正しいリズムで包丁がまな板を打ちつけていく音が厨に響く。
やがて出来上がった鯵のたたきを、素早く盛り付ける。
仕上げに胡麻と刻み海苔を乗せ、醤油をかければ完成である。
「姐さん、こっちも出来上がりましたよ」
「ありがとう」
頼んであった米と味噌汁、野菜も出来ているようだ。何も言っていないが香の物も添えてある。
「よし、じゃあ。朝餉にしよう」
「おぉ」
「待ってました!」





