忌み子のシルバ 8
声を掛けられた瞬間、思わず息をのむ。
あてずっぽう、ということはないだろう。彼の視線は間違いなくこちらに向けられている。
……落ち着け、何もやましいことをしているわけではないんだ。
人の後を付けるのはやましい事では?という疑問は棚に上げておく。決心して立ち上がると堂々とシルバの前に歩み出ると、そこで初めて彼の顔を正面から見た。
アッシュブラウンの髪に黒い瞳。境遇や周囲の環境のせいか、直接目を合わせず下を向いた視線。
「私はエルデリア=ストラーガ。知っているとは思うが、先週編入してきたばかりだ。」
「シルバ=オーリン。……それで、俺に何か用でも?」
自己紹介を終えるなり要件を促すシルバ。あまり歓迎されてはいないようだ。
しかし彼の境遇を考えればこの反応は想定済み。その程度のことで怯む私ではない。
「私の要件はズバリ、君だ。」
言葉と共に指差そうとしたが行儀が悪いと思いなおして腕を組む。
自分に苦情ではなく要件があると言われたシルバはポカンとした表情で首を傾げた。
「……あれ、もしかして俺のことクラスメイトから説明されてないのか……?」
まるで説明義務のある伝達事項でもあるかのような物言いだな。まあいい。
「君のことは聞いているし、私自身でも調べたよ。君の御父上のこともな。」
「そりゃ良かった。その上で俺に話しかけてきたってことは、大事な話かな?」
彼の手がしきりに剣の柄を撫でている。あまり人と話すことがないから、落ち着かないのだろうか?
それともまさか、斬りたくてたまらない?……なんてな。
馬鹿な考えを鼻で笑い飛ばして鷹揚に頷く。
「そうともいえる。確かに君の御父上にまつわる話は聞かせてもらった。……しかし、君自身のことについては何一つ分からなかったのでな。だからこうして直接話をしに来たんだ!」
「……そうかぁ。」
彼は童を見るような生暖かい視線を向けてきている。なぜだ。
「誰か、周囲や大人の人に止められなかったかい?」
「……止められたとも。だが親の行動だけでその子供の善悪を決めつけるのは間違っている。私は君のことが知りたい。会って、話して、君が何を考えていてどういう人間なのかを自分の目で確かめたい。」
私の腹の内を正直にぶちまける。そんな私に彼がやっと目を合わせてくれた。
(また面倒なことになったなぁ)
初めはどう追い返そうかと考えていたシルバだが、彼女の目を見てそれを断念した。とてもではないがこちらが言って引き下がるような目ではない。
さてどうしたものか……ここで適当にはぐらかして付き纏われるのも彼女のためにならないしな。ちょうど人目もないし満足するまで付き合えば興味を無くして帰ってくれるかもしれん。
考えをまとめたシルバはエルデリアに向かって頷いた。
「……分かった。好きに聞いてくれ。答えられないこともあるけど、出来るだけ努力するよ。ただし、他の人がいるところでは避けてくれ」
「分かった」
エルデリアは組んでいた腕をほどいて顎に手を当てた。
「では早速だが、君は今の境遇をどう思う?」
いきなりの直球に苦笑いをしながら無意識に剣の柄を握るシルバ。
「聞きにくいことをまた直球で来たな……まあ、妥当じゃないかな?」
「妥当?あれがか?……私にはそうは思えない。」
ええー俺の考えが知りたいって話じゃなかったの……と思いながらも黙って彼女の主張を聞くシルバ。
普段から人と話していないため彼の対人コミュニケーション能力は限りなく低かった。
「親の罪を子に問うのは前時代的すぎる。ただでさえ君は血が繋がっているわけではないというのに。」
「良く調べてあるな……血の繋がりが無くても俺は間違いなくあの人の子供だよ。それに物には限度というものがある。国の貴重な人材を軒並み再起不能にしておいて当人ではないのだから普通に扱えというのは無理な話さ。」
「しかし……」
なおも言い募ろうとする彼女の言葉を遮ってシルバが語る。
「ストラーガさん。君は尊敬する人物や身内が、その人が最も誇りにしていたモノを奪われたとしても”本人でないのだから怒りを向けるのは間違っている。”と自分を納得させることができるかい?」
「それは……」
すぐには答えられずに言葉に詰まってしまう。
これがもし自分が斬られたのだとしたら即答することもできただろう。しかし自分が二度と剣を振るえぬと知ったのならば父も母も、兄弟たちも激怒するに違いない。そしておそらくその逆も。
「たぶん君が今思っているよりもずっと許せないことなんじゃないかな。この国にとってそれぐらい近衛騎士隊は大切なものだったんだ。そんな人たちを一人の蛮行で奪われた……彼らの気持ちを考えてみたことはあるかい?」
「……っ」
シルバの諭すような言葉に何も言えなくなってしまう。
正論を叫ぶだけでは解決できないこともある……頭では理解していたはずの言葉が実感を伴ってこの身に突き刺さるのを感じた。
手を握り締める彼女を見てシルバの良心が痛む。
真っ直ぐな性根の持ち主だ。悪意があって動いているわけではないだろうに、自分と関わったばかりに嫌な思いをさせてしまった。
「……ちょっと意地の悪い言い方だったね。俺からすると石を投げつけられないだけ有難いって言いたかったんだ。そりゃあ、いい気分ではないのは事実さ。でも十年もこうだからね、いい加減慣れたさ……俺も、彼らも。」
「……そう、か」
絞り出すような声。理解はしても感情が納得していない、そんな感じの声だろうか。
風が草木とエルデリアの銀髪を揺らすように吹いた。
乱れた髪を手で直した彼女の目に剣の柄を撫でているのが映った。そう言えば先程からずっとそうしていたような気がする。
「……すまない、無神経なことを言って苛つかせてしまったようだ」
「えっ、いや別に苛ついてなんかいないぞ?」
突然なにをとシルバが驚く。
「無意識か?先ほどからずっと剣へ手が伸びているぞ」
剣を抜きたくなるくらい彼にとっては触れて欲しくないことだったのだろうか。自分の無神経さに腹が立つ。
しかし彼は気まずそうに頭を掻いている。
「……あーこれね。いや、恥ずかしい話なんだけど……剣振るのが好きで、一日何回かはやらないと落ちつかなくてね……」
言い辛そうに口にしたのは、なんとも予想外のことであった。落ち着きのない子供が言うようなことに先ほどの波打っていた感情が少し穏やかになった。
落ち着け、私が先に心乱してどうする。
心を落ち着けようと深呼吸すると深い緑の香りが肺一杯に満たされる。
「他にも聞きたいことがあるが……別に剣を振りながらでも構わないぞ?」
「あ、いいの?……いやいや、流石に人と話している最中に剣振りだすとか失礼じゃ……」
一瞬素で嬉しそうな顔をしたが思い直したように申し出を断る。しかし未練がましく剣の柄を撫でる手は止まらない。
落ち着いているようでそういう所は子供っぽいのだなと少し笑ってしまう。
「いいんだ。もともとこっちから無理言って頼んでいる身だしな。」
「……そうかい?じゃあ遠慮なく」
待ちきれないという風に鞘から抜くと剣を構える。
特に珍しさもないオーソドックスな正眼だ。そのまま剣を振り上げて、振り下ろす。
「ここでいつも訓練を?」
「いや、最近だよ。いつもは人が少ない時間帯でやってたんだけど、今年の新入生は気合が入っていてね。人が多かったんだ。」
質問を続けながら素振りをするシルバ。剣の動きは滑らかで洗練されている。幾度もその動きを繰り返してきたのだろう。
「この場所は君が整備したのか?」
「草刈って運んだだけだけどね。」
何の型だろうか……授業で教わったものもあるが、半分くらいは知らないものを使っている。一連の動きは流麗に繋がっていて型だけを覚えたぎこちない動作とは違うことが見て取れる。
「何故この育成校に?こう言っては何だが、他よりもよっぽど風当たりが強いだろうに」
騎士になることを志す者が集うこの育成校。当然バルナードの凶行に非常に強い反感を持っているものが多いのは誰でもわかるだろう。
「剣を振るのが好きなんだ。……あとは、やらなきゃいけないことがあってね」
やらなきゃいけないこととは何か。
そう聞きたいのは山々だったが、態々語らなかったということは答えられないということなのだろう。
これ以上無神経に踏み込むのは流石の私でも憚られる。
質問が途切れたところでシルバがちらりと横目で見た。
「他に聞きたいことは?」
「……あるぞ。君、去年の試験では手を抜いていただろう。中の下程度の成績だったという話だが、とてもそうは見えないな」
「どうしてそう思ったんだい?」
「これでも私は剣の腕には自信がある方でな。素振りだけでも見ればわかる」
彼の剣筋は実に見事で迷いがない。我流も多分に混ざっているだろうその剣の腕前は素振りからでも十分に感じ取れた。
彼はしばし無言で剣を振り続ける。
「……これも”答えられないこと”か?」
またしても無神経に踏み込みすぎてしまっただろうかと不安になって出た言葉。それを聞いた彼は口の端で少し笑った。
「いや、そういう訳じゃない。別に深い理由があるわけでもないんだ。……怖いじゃん?危険人物かもしれない人間が自分より強いかもしれないって」
事も無げにそう言ってのけたシルバ。
その意味を理解したエルデリアが目を伏せた。
実際はどうあれ彼は疎まれると同時に父親の様な人物なのではないだろうかと恐れられてもいる。いつその凶刃が自分達へ向けられるか分からない、そんな人物が自分より強いと知ったらどう思うだろう。彼が弱く、凶行に及んだとしてもどうにでもできる程度の実力だと思っているからこそ今の扱いで済んでいるのかもしれない。
彼が手を抜いているのは周囲への気遣いと、それ以上に身を守るための自衛策でもあったのだ。
「ただの考えすぎで自意識過剰かもしれないけどね」
そう言って自嘲気味に笑っていたシルバが突然むせ始めた。
「ど、どうした?」
「い、いや……こんなに喋ったの久しぶり過ぎて、げほっ……唾を飲み込むタイミング間違えて気管支に……」
盛大にむせる彼の背をさすろうと手を伸ばしたがするりと避けられてしまう。半端に伸びた手を何とも言えない気持ちで見つめながら小さく嘆息した。
彼の他人との距離の取り方は筋金入りだな。十年この状態が続いていたというのなら無理もないか……
「……あーしんどかった。どこまで話したっけ?」
「いや、今日はこれくらいにしておくよ」
色々と考えたいこともできたことだしな。
「あ、そう?あんまりうまく答えられなくてすまんね」
「気にするな。では、またな」
そう言って踵を返すと颯爽と歩き出すエルデリア。
銀髪を靡かせて歩く彼女の後姿を絵になるなぁと眺めていたシルバだが、すぐにまた剣を振ることに集中する。どこか集中しきれていないのを自覚しながら。
あれほど長時間人と話したのは何年ぶりだろうか。
この十年で慣れたつもりでいたが自分にも人並みに会話を求める部分が残っていたらしい。
先程のストラーガ嬢との会話を思い出していてふと気づく。
「……また?」