忌み子のシルバ 7
休日が終わり週の一日目が始まる。
休み明けは如何に勤勉な育成校の生徒と言えどもどこかしら気怠い雰囲気がこぼれていた。
そんな中シルバはいつものように剣を振るべく早くに起きて寮をでた。いつもの道を通り、いつものようにすれ違う生徒たちに嫌悪の視線を向けられる。それが彼にとっての日常で、ある意味平穏な日々であった。しかし今日はその平穏を揺るがすいつもと違うことが起きようとしていた。
寮を出て少し進んだところで彼に声を掛けるものが現れたのだ。
「おはよう。朝早くから剣の訓練とは感心だな。」
エルデリアが片手を上げて朝の挨拶をする。朝日を浴びて美しい銀髪が眩く輝く。
まばらにいた周囲の生徒達が顔を引きつらせて固まった。
彼女の快活な挨拶を受けたシルバ。その笑顔と声の張りは実に理想的なもので、不愛想がウリの者であろうとも思わず返事をしてしまいそうなほどに溌剌としていた。
その完璧なまでの挨拶に、しかし彼は何のリアクションも無く彼女の横を通り過ぎて行った。見事なまでの無視である。
「……」
片手を上げたままのエルデリアが固まったまま動かない。
高位貴族という家柄、そしてそれ以上に彼女の容姿と性格から挨拶を無視されるということは初めての経験であった。敵対派閥という訳でもない初対面の相手からの冷遇に彼女の処理が追い付かずフリーズしてしまう。
「……ハッ!?ちょ、ちょっと待っ……」
「エルデリアさん、おはようございます!」
「えっ!あ、ああ、おはよう……」
シルバの後方にいた別の生徒がエルデリアの挨拶に反応してこちらに近づいてくる。自分から挨拶をした(ように見える)手前無碍にするわけにもいかず対応する。ちらりと視線を向ければ目的の人物はとっくに行ってしまっていた。
「エルデリアさんも訓練ですか?良ければ一緒に行きましょう。」
「む、あー……そうだな、行こうか。」
断ろうかとも思ったが先ほどシルバも剣を持っていたのを思い出して了承する。
この時間帯ならば確か屋内訓練場はまだ開いていないはず。屋外訓練場ならば話す機会もある。焦らずに行こう。
自分に言い聞かせるように頷き、クラスメイトと連れだって訓練場へ向かった。
「あぶねぇ。思わず返事しそうになっちまった。」
先程の留学生を思い出して胸をなでおろす。始めは自分に声を掛けていたのかとも思った。だが以前同じようなことが起きた時に返事をしてしまい騒ぎになったことがあったのだ。シルバが何か言われたのではない。彼が返事をしてしまった相手が周りの人間に詰め寄られたのだ。
あの忌み子と挨拶するような間柄なのか?
悪いことは言わないからやめておけ。
君の家がそれを是とするならばこれからの付き合い方を考えなければいけない。 等々
詰め寄られた生徒は泣きそうになりながらひたすらに弁解してなんとか事なきを得た。
「あの時は悪いことをしてしまったな……」
必死に自分とは無関係だと訴えるあの時の生徒のことを考えると少し胸が痛む。
折角留学してきた彼女には嫌な思いをさせたくはない。気をつけなければ。
今日もシルバは先日見つけた林の中にある広場に来ていた。一応訓練場にも足を運んではみたのだが、今日もまた新入生たちが訓練していたので遠慮することにした。あの様子だとしばらくは朝の時間帯とはいえ訓練場を使うのは難しいだろう。
「ここも存外、悪くはないしな。」
均された地面ではないため足場がいいとは言えないが、そういう訓練だと思えば気にならない。何よりここならば周りを気にする必要がないのが素晴らしい。剣を振り始めてしまえば周りのことなど一切目に入らなくなるシルバではあるが、それはそれだ。
「青臭い匂いも慣れると落ち着くな。野郎の汗臭いのよりよっぽどマシだ。」
独り言ちながら剣を振り始める。新しい場所での訓練は意外と悪くないもので、剣を振る腕も弾む。
そうして無心で剣を振り続けた結果、気が付くと遅刻するギリギリになって真っ青な顔をする破目になるのだった。
「は、吐きそう……」
慌てて準備を済ませ、朝食を流し込むようにかき込んで登校した。食事を抜くことは選択肢にない。抜けば確実に持たないのが分かり切っている。食後の激しいダッシュのために胃袋が悲鳴を上げているが、根性で抑え込む。
よろよろと席に着くシルバを見つめる者がいた。
訓練場でシルバを探していたが結局見つけられぬまま終わってしまったエルデリアは不満そうに鼻を鳴らす。
「……一体どこで訓練していたんだ?あの疲れ様からして止めて帰っていたということはあるまい。」
彼がよろけているのは別の要因なのだがそれを知らないエルデリアにはくたくたになるまで訓練していたようにしか見えない。
訓練場は広いが、時間帯もあり空いている場所も多くあった。ましてやあの避けられようの彼一人を見つけ出せないのは不自然だ。
「どこか別の場所でやっているのか……?」
そこを突き止めることができれば人目を気にせず話をできるかもしれない。教室では周囲に人が多いため無暗に話しかけるのはマズイ。ジョルジにも釘を打たれているしな。やはり動くなら放課後か。
「おはよう。」
「「おはようございます!」」
教官が入って来たことで思考を中断する。それでも意識の端には常にシルバを置いて、彼の人となりを見極めようとしていた。
シルバのことを観察しながら作戦を立てるエルデリア。妙に視線を感じるが気のせいだろうと我関せず授業を受ける彼はいつものように一日を一人で過ごす。
「近頃暑くなってきている。訓練の際は必ず水分、塩分補給を忘れないように。……だが暑さを言い訳に怠っていると痛い目に遭うとだけ言っておこう。以上、解散!」
「「ありがとうございました!」」
教官が教室を出ていくと空気が弛緩する。皆思い思いの放課後を過ごそうとする中、エルデリアは今日一日シルバを観察して分かったことを頭の中でまとめていた。
授業態度は比較的真面目だが文学への取り組みには多少問題あり。剣の訓練中も常に一人端の方で素振りをしているだけ。教官も当然それには気づいているがそのことに触れる様子はなかった。彼と話す生徒は事務的なものも含めてほぼゼロ。唯一シオン代表のみが連絡事項を一言二言伝えるのみだった。
「……徹底して関わらないな。やはり普通のいじめの類とは違うようだ。オーリンの名とはそれほどまでに忌避されているということか?」
分かったのはそれだけだ。正直ここまで他人との接点がないとは思っていなかった。貴族たちはともかく、平民ならばその手のことを気にしない者くらいはいそうなものだが。
「やはり直接話さないと駄目だな。」
シルバは終礼の後荷物をまとめるとやはり誰とも話さずに教室を出ていく。
その後を追って席を立つ。
「エルデリアさん、この後一緒に食事でも……」
「済まない、今日は先約があってな。先に帰らせてもらうよ。」
「そっか。じゃあまた明日。」
「ああ、また。」
クラスメイトの誘いを断ってシルバを尾行する。教室を出た彼は早くもなく遅くもなくといった足取りだ。寄り道もせずに校舎を出るとそのまま寮の方へ向かう。
「……普通に帰るのか?」
一定の距離を置いてその後を付けるエルデリアは少し困ったと眉をしかめた。
寮とは言え当然男女の棟は分かれている。基本的には寮長の許可なく異性の棟に行くことは厳禁である。彼が大人しく自室に戻ってしまってはエルデリアにはどうすることもできない。それでは困るのだ。
「ええい、寄り道の一つくらいして見せないか……おっ?」
願いが通じたのか、シルバは寮への道を外れて裏手に回り始めた。これはしめたとほくそ笑むエルデリアは慎重にその後を付ける。裏道を迷いなく進む足取りから散歩や何かではなく目的があって向かっていることが分かる。
こんな人気のないところでいったい何を……?
エルデリアの表情が訝し気なものに変わっていく。
ふと気が付くと、彼は脚を止めていた。草陰から様子を窺うと、林の中に不自然に開けた場所があった。明らかに人の手で整備……と呼ぶには雑だが、雑草などが刈り取られていた。
その開けた場所で彼は立ち止まっていた。
これから何を始めるのか固唾を呑んで見ていたエルデリアに予想だにしないことが起こった。
「……あー。ここまで来たら勘違いなんてこともないだろうから聞くけど、俺に何か用?」
そう言って振り返った彼の視線はエルデリアの隠れている茂みにはっきりと向けられていた。