忌み子のシルバ 6
「お嬢様は十三年前にこの国で起きた戦争のことをどこまで把握していますかな?」
「ざっとした概要程度しか知らないな。」
ジョルジの質問に記憶を辿るように上を向く。ここに留学するまでに学んだ教師の言葉を思い出して話す。
「前王が急死して長男と次男が跡継ぎ争い勃発。支持する貴族も五分五分で争いは泥沼化。そこを我が国アステールとエイルセンを挟んだ向こう側に位置する隣国ブリガンディに攻め込まれた。この際ディーンが支援していたという噂もある。内部政争にかまけていたエイルセンはあっさりと防衛線を突破されて一度は王手直前まで攻め込まれた。しかし三男であった現王グルード=ベネリが直属の騎士隊を率いてこれを撃退。その功績を足掛かりに王になった……こんな所か。」
思ったよりは覚えていたな、と少し自慢げなエルデリア。
「ふむ、七十点と言ったところでしょうか。」
「手厳しいな。しかしこれが彼とどう関わってくるんだ?」
ジョルジの採点に苦笑いしつつ先を促す。なぜ戦争の話を持ち出すのか意図が読めなかった。
「グルード王が率いた騎士隊は非常に精強でした。あれほど練度の高い騎士隊は他に類を見ないほどに。そしてその中でも極めつけの二人がいました。そのうちの一人がアルター=ミストラル。」
「ああ、思い出した!音に聞こえしアルター殿か。今やこの大陸一の騎士と呼んでも誰も異論は言うまい。確かこの騎士育成校は彼の家名にちなんでつけられたのだったか。」
それほどの大物を抱えているからこそエイルセンは戦争直後だというのに他の国からちょっかいを掛けられずに済んだとか。
「では、もう一人の方はご存じですかな?」
「……そういえば、聞いたことがないな。アルター殿と並び立つほどの騎士ならば名前くらい聞いていてもいいはずだが……」
はて、どうしてだろうと首をかしげるエルデリア。
ジョルジは櫛を仕舞うとティーセットを取り出してお茶を淹れる。琥珀色の液体がカップに注がれて芳醇な香りが部屋に満ちた。高級品ではないが故郷の茶葉を使ったこの紅茶がエルデリアの最も落ち着く味だ。一口飲んでホッと息をつく彼女を見届けてからジョルジが続きを話し出す。
「もう一人の名はバルナード=オーリン。十年前に味方の騎士隊を壊滅にまで追いやり、騎士アルターに討たれた大罪人です。」
「……なんだと?」
彼女の持つカップが揺れてわずかに中身がこぼれる。
「何故そんな……いや、理由はこの際措いておく……オーリンだと?」
確かめるように問うがジョルジは何も答えない。ありえないという風に彼女はハッと笑い飛ばす。
「家名が同じなだけだろう。」
「いいえ。オーリンとはとある孤児院出身の者につけられる名だそうです。そしてその孤児院出身者はその事件を機に全員が改名いたしました。今現在オーリンを名乗っているのはバルナードの息子であるシルバ=オーリンただ一人です。」
「なおのこと、ありえないな。それほどの大罪を犯して一族郎党無事であるはずがない。よしんば許されたとしても騎士育成校に通うなど……冗談にしても無理がある。」
「シルバ=オーリンは戦争孤児だそうです。直接の血の繋がりは無く、養子にしてから四年経つかどうかという頃に事件を起こしたことになります。当時八歳の幼子が身寄りもなく、親のしたことで裁かれるのを良しとするほどにグルード王は冷酷ではなかったということでしょう。」
「……なるほど。そういう、ことか。」
彼がなぜ周囲から距離を置かれているのか。親切だったクラスメイト達が別人のように冷たく当たるのか。その理由をやっと理解した。
だが理解しただけだ。納得はしていない。
「理由は分かったが、彼に当たるのは違うだろう。血も繋がっていない親の罪で子が非難されるのは間違っている。彼だって戦争で全てを失った被害者だろうに!」
エルデリアの予想どおりの反応に額を押さえるジョルジ。彼女がこのことを聞けば怒るだろうことは分かり切っていた。だからこそどう伝えたものかと悩んでいたのだ。
このままではクラスメイト達に直接物申しかねない勢いだ。どう止めたものか。
「……と、言いたいところだが。」
「む?」
立ち上がって憤慨していたエルデリアは紅茶を一気に飲み干すと深呼吸をして心を落ち着かせる。カップを置くと椅子に座り大きく息をついた。
「……如何にそれが理不尽だと言ったところで、私たちは結局部外者だ。彼らにとってオーリンという名がどれほどの意味を持つのかも正確に理解してはいない。そんな私の言葉など、彼らの心には響かないだろうさ。」
「お、おぉ……ご立派に、成られましたなぁ。」
我が主が、ここまで成長なされていたとは……
感涙がこみ上げてくるのを必死にこらえながらジョルジが称賛する。
今までであれば人目も気にせずそれは間違っているとストレートに動いていただろうエルデリア。正しさだけ振りかざしても解決しないことは世の中に数多くある。地位や身分が高いだけに今までそれでどうにかなってきてしまったが、ようやく学んでくださったと感極まるジョルジ。
「ああ。だからこれからはシルバ=オーリンに話しかけてみようと思う。」
「……ひょ?」
目を潤ませながら紅茶のお代わりを注いでいたジョルジの動きがぴたりと止まる。何を言っているのか聞き取れなかった。そろそろ歳かな。そんな現実逃避さえしてしまうほどに、その言葉は理解不能だった。
「うむ。私たちは部外者だ。立ち入ったことに首を突っ込んでも彼らからの理解は得られないだろう。それと同時に、彼らにとってのタブーは私にとって関係がない!」
フリーズしたジョルジの溢れそうになるほど注ぎ続けるティーポットを止め、なみなみと注がれた紅茶を飲みながら自信満々に言い切るエルデリア。再起動したジョルジがわなわなと震えながらなんとか声を絞り出す。
「し、しかし……ご友人にも上手くやりたいなら関わるなと……」
「忠告は真摯に受け止めよう。そして熟考した結果、自分自身の目でシルバ=オーリンの人となりを確かめるべきという結論に達した、それだけのことだ。」
ああ、もう無駄だ。こうなってしまった彼女は止めようがない。
長年の経験からそれを理解したジョルジは早々に止めるのを諦めた。だからせめて、少しでも穏やかに事が運ぶように進言するしかなかった。
「ならばお嬢様、せめて波風を立てぬように人目のないところで話しかけますように。」
「……私が言うのもなんだが、従者の発言としてどうなんだそれは。もし彼が危険人物であった時のために人目のあるところで、というべきじゃないか?」
エルデリアのジト目にジョルジがほっほっほと笑い飛ばす。
「並大抵の男程度ではお嬢様に傷一つ付けられますまい。……むしろ手を出してくれた方が返り討ちにして政治的責任を問えるので都合がいいですな。」
「お前……そういうところだぞ?」
エルデリアは従者の下衆発言に呆れているが貴族側の思考としてはこれくらいは普通だ。ジョルジも本気でそうなってほしいとまでは考えていない。もしそうなったらそれくらいの報復はするというだけのこと。
「私が負ける可能性は考えないのか?アルター殿と双璧を成した騎士の息子だぞ?」
「血の繋がりがないので才能の継承はありません。養子であった期間も三、四年程度……剣を教えたとしても体が出来ていない幼い頃に吸収できることなどたかが知れています。現に彼の学年順位は二百人中、百四十位……中の下と言ったところです。お嬢様の敵ではありません。」
「敵になる前提で考えるのをやめろというのに……まあいい。元より邪魔が入らないところで話すつもりだったからな。」
そろそろ寝る時間だ。
一礼して部屋を出るジョルジを見送る。先ほどは歳だなどと嘯いていたがその背筋はぴしりと伸びており歩く姿にも隙が無い。エルデリアにとって幾人かいる剣の師でもある彼は護衛役も兼ねていた。
「私も寝るか。疲れを残して付いていける程この育成校は甘くはなさそうだ。」
欠伸をかみ殺してベッドに入る。明日のことを考えると少し眠気が飛んでしまうが我慢する。
彼は一体どんな人物なのだろう?そのことばかりを考えながらエルデリアは眠りに落ちていった。