忌み子のシルバ 5
育成校にエルデリアが来てから数日経った。今日は休みのため生徒たちも思い思いの休日を過ごしている。授業は休みではあるが育成校は開いているため訓練をすることはできる。自主的に訓練するものもいれば教官に呼び出されて補修を受けさせられるものもいる。
シルバの日課は休日でも変わらない。
授業がないため先に食事を済ませてから訓練場に向かった。しかしその途中、いつもとは違う喧騒が聞こえてきてシルバは顔を上げた。
「あれ、何かあったのか?」
いつもは休日ほとんど人がいない訓練場だが、今日は見慣れない集団が剣の訓練をしていた。いつもいる同じ時間帯に訓練している生徒ではなく、ほとんどが見たことのない顔だ。真剣な表情で剣を振る彼らを見かけたことのある生徒が横について指導している。
「間違った振り方を覚えるなよ!剣の基本は素振りからだ!自分流、などという言い訳は使うな、素振りに流派もヘッタクレもない!基本を疎かにするやつに剣の道は開けないと思え!」
「「はい!!」」
「……本当に面倒見がいいな。」
どうやら同級生は寮の案内のみならず剣の訓練を見ていてあげているようだ。新入生たちの表情は皆一様に真剣で無理やりやらされている様子はない。やらされているどころか、見てもらうよう自分たちから頼んだ可能性すらありそうだ。
「今年の新入生はやる気に満ちているねえ。」
同級生は無理なく自分にできる範囲で教えているようだ。正しい剣の振り方は自分だけでは客観的に見ることが難しい。新入生はなまじ才能が有る分変な癖がつきやすいのだ。
「しかし困ったな……」
屋内の訓練場は使用人数が多いためシルバは基本外の訓練場を使っている。休日の屋外訓練場ならば使用人数も少なく距離を取っておけば人に迷惑をかけずに済むからだ。だがこれではどうあってもシルバの姿が彼らの目に入ってしまう。自分が視界に写っていては彼らも気が散ってしまうだろう。
「……仕方がない、別の場所を探すか。」
「……行った?」
「ああ。鉢合わさないようにあいつの訓練に出る時間を覚えておいて良かった。これでしばらく寄り付かないといいんだが。」
シルバが去っていくのを見ていたマイルズたちが小声でやり取りする。
彼らが剣の訓練を見て欲しいと新入生に頼まれたときは頭を悩ませた。屋内訓練場は上級生が主に使用している。少人数だけならともかく彼らを連れて行くのは無理があった。屋外の方はあいつがいつも使っている。後輩をアレに関わらせる気にはなれない。
とはいえ、せっかくやる気のある後輩の願いを無下にするのも気が引ける。
ならば奴が来る前に訓練場を占拠してしまおうと考えたのだ。あいつは人が多いところを避けているためこうすれば向こうの方から去ってくれると考えた。
「これで落ち着いて訓練ができる。」
「ここまでする必要、あったんでしょうか……?」
茶髪を後ろで一括りにした代表が少し俯いて呟く。
「シオン、君は優しすぎるよ。あの男に接触する人間は少なければ少ないほどいいんだ。万が一親しくなってしまったらどういう目で見られるか……想像つくだろう?」
「それは、そうですけど……」
代表……シオン=ノックスは鳶色の瞳を細めてマイルズの言葉に同意する。
この国で彼の家名が持つ意味は非常に大きい……悪い意味で。
「……あの男の善し悪しは問題じゃないんだ。あいつそのものが、罪の象徴なんだよ。」
そう口にするマイルズの表情は苦々しいものであった。
「せめて人が来ない広場でもあればなあ……」
シルバは踵を返すと来た道を戻っていく。どこか剣を振るのにちょうどいい場所はないかとあてどなく歩き回った。育成校や寮の周辺は人が通りやすいので駄目だ。人気のない場所を求めて寮の裏道を通ってあまり整備されていない獣道を抜けると開けた場所に出た。
「開けてはいる……けど、酷いなこりゃ。」
林の中にポッカリと空いた空間。木こそ生えていないが子供の背丈ほどもあるような草がそこら中を覆っている。中央は木々の間から漏れた日が差していて特に草の成長が激しい。本来ならば問題外の場所なのだが。
「贅沢言ってられる身分じゃないか……これも体力訓練と思うかね。」
よっしゃと気合を入れるように頬を張るとロングソードを抜いた。両手で構えたそれを横薙ぎに振る。刃を潰してあるとはいえ鉄の塊だ。草が引きちぎれるようにバッサリと地に落ちる。
「青臭っ!」
草の汁が何とも言えない青臭さを醸し出している。臭い臭いとつぶやきながら次々に草を刈るシルバ。ある程度刈ったところでまとめて木の根元に積み上げる。まずはある程度でも足場を作らなければ話にならない。斬って、まとめて、運んで。その作業をただひたすらに繰り返す。
「……これは中々、キツイな!」
普段とは違う作業の為、無駄に力が入り普段より疲労がたまるのが早い。それ用の道具があるわけでもないので効率は非常に悪いだろう。それでもシルバに嫌気が差すことはなかった。目的のために必要なことというのもあったが、元々没頭できることが好きなのだ。
汗ばんだ体。終わらない草刈。草の汁まみれになる服。それでも彼は機嫌良さそうに動いている。およそ普通の騎士見習いならば誰もが嫌がるであろう作業を喜々として片付けていくシルバ。
それなりのスペースを確保する頃には既に日が暮れ始めていた。
「ふぅ……疲れた。」
汗を拭う彼の服や剣は草の汁まみれだ。鼻はとっくの昔に馬鹿になっていて何も感じない。水筒の水を飲んで休憩していたシルバは空を見上げた。なんの鳥だろうか、夕暮れを背に二匹の鳥が空を舞っている。何とはなしにそれを見ていたシルバはふと昔を思い出した。
まだシルバが八つの頃。彼の父親であるバルナードと剣の訓練をしていたときのことだ。あまり器用ではなかったバルナードは子供とのコミュニケーションですら剣を用いたものになっていた。
父と子。
二人は何も語らず、ただ剣を振り続けた。日が暮れて今くらいの時間になり、家の者が呼びに来るまでただ二人して剣を振り続けたのだ。当時のシルバはまだまだ子供で体力もなく、帰る頃には動けないほど消耗して父に背負われていた。
「……楽しかったか?」
家路に着く途中、唐突にそう切り出す。
息子にどう接していいのかも分からずにただそれだけをぶっきらぼうに尋ねる父。剣を持たせれば古今無双の最強の剣士である父が不安そうにしている。シルバはそれがおかしくて笑った。
「そこそこ。」
「……そうか。」
それきり会話は途切れた。しかし気まずいわけではなかった。それが彼らにとって親子のコミュニケーションだったのだ。
その数ヵ月後に、事件は起きた。
「今日で丁度十年か。」
父が死んでからのこれまでのことを思い返す。決して楽な人生ではなかったが無意味な十年であったとは思わない。
「墓も供え物もないけど、そのほうが親父らしいかね?」
それでもせめてとシルバは剣を濡らした布巾で丁寧に拭くと両手で掲げて額に押し当てる。
そして束の間、父の命日を偲んだ。
友人たちと出かけていたエルデリアは入浴を済ませて部屋に戻る。濡れた髪の毛を乱雑に拭いて冷えた水を呷った。一息で飲み干したそれをドンとテーブルに置く。
「訓練の後の風呂と水分補給は最高だな!」
「お嬢様、はしたのうございます。」
主のオジサンじみた言動に苦言を呈するジョルジ。彼は櫛を手にエルデリアの後ろに回ると丁寧に髪を梳き始める。気持ちよさそうにされるがままになっていた彼女が楽しそうに話す。
「やはりここはいいな。なんというか、さっぱりとした人柄が多い。」
「この国、ひいては騎士たちの気風でしょうな。現王グルード陛下が旧態以前とした貴族達を叩き直したのがきっかけと聞いています。自然、それを目指す見習い騎士たちもそれを真似たものになっていくとか。」
正のスパイラルというやつだな、と機嫌が良さそうに言う主。
ふとその顔から笑顔が消えて思案するように目を伏せる。
「……だからこそ、余計に気になる。」
あの青年のことだろう。ジョルジは髪を梳く手を止めぬまま考えた。
調べた通りをありのままに伝えるべきか否か。
そのままを伝えた時の彼女の反応は手に取るようにわかる。この国で波風を立てないように過ごすのであればそうするべきではないのは明らか。となれば……
「お前が何を考えているのか分かるぞ、ジョルジ。」
「お嬢様……」
「お前にとって私といた時間は人生の三割にも満たないだろうがな。私にとってお前は生まれた頃からの付き合いなんだ。何を考えているかくらい分かる。」
……聡いお方だ。ジジイのお節介程度は見透かしておられる。これを聞いてどうするかも、もはや本人の判断に委ねましょう。
主の成長に嬉しさと、少しの寂しさを感じながらジョルジは両手を挙げて降参のポーズをとった。