忌み子のシルバ 2
「今日も今日とて、天気がいいねえ」
青年……シルバは照り付ける太陽に暑さへの多少の苦情と、雨でないことの感謝を込めて独り言ちる。訓練場はこの時間屋内は解放されていないので外の総合訓練場に来ている。朝早くのため周囲に人の影はない。例え時間が変わったとて、それは変わらないが。
「さて、と」
準備運動を終えたシルバは剣を抜いて正眼に構える。刃を潰したオーソドックスなロングソードだ。ミストラルの生徒は模擬剣の帯剣を許可されている。教育に非常に熱心なため持っている武器も個々人の好みに合わせて好きなものを用意してくれる上に細かな調整も請け負っている。そのためここの生徒で何も手を入れていないロングソードを使っているシルバは異質だ。
「ふっ!」
呼気と共に剣を振った。振り抜かずにきっちりと止めると振り上げてまた同じように剣を振る。上げて、下ろして、また上げる。
いつもそうしているのだろう。シルバの剣はまるで機械のように精密に同じ軌跡をなぞり続けている。振り方こそ変えているもののひたすらに単純作業の繰り返し。しかし彼に飽きた様子はなく、その表情は真面目そのものだ。
どれだけそうしていただろうか。汗が靴まで濡らし始めた頃に彼はようやく素振りをやめた。
「もうそんな時間か……」
シルバの耳に複数人の話し声が聞こえていた。訓練場に誰かが入って来たようだ。剣の練習に来たのであろう生徒達はシルバに気が付くと露骨に顔を歪めた。まるで部屋にいる害虫を見つけてしまったかのような嫌悪の表情に苦笑いするシルバ。彼は名残惜しそうに剣を鞘に納めると訓練場を出た。
なるべく距離をとって見ていた生徒はそれを見届けてからほっと一息つくと自分の訓練を始める。
訓練場をでたシルバは一度寮に戻ると汗を流して着替えると食堂に向かう。食堂はまだ開いたばかりだというのに席がかなり埋まっている。育ち盛りの騎士見習いたちにとって三度の飯は何よりも大事だ。飢えた狼のように食事をかきこむ生徒たちがそこかしこに見受けられる。雑談しながら食べる女性など食事時の喧騒はこの育成校でも変わらない。
「……おい、アレ」
「……チッ」
しかしそんな彼らもシルバを目にした瞬間に口をつぐむ。それまで楽し気に話していた者達も嫌悪を隠しもせずに顔をそむける。中には席を立つものすらいた。
シルバはそれを気にも留めずに食堂に入るとカウンターへ向かう。
「日替わり定食、特盛で。」
「……」
顔から感情を消し去った食堂のおばちゃんが無言で差し出したトレーを受取ると席を探す。
探すとは言ったもののシルバの席は決まっている。食堂の端、日当たりの悪い奥まった所にある四人掛けのテーブルが周囲を含めてぽっかりと開いている。
「どれだけ混んでても座る場所に困らないのは役得だよな。」
鼻歌を歌いながら四人用のテーブルを独占すると食事を始める。
国が支援するこの育成校は食堂もレベルが高い。栄養バランスと味が整った完璧な食事を三食提供してくれる。強いて難点を言うなら量が多い事だろうか。食が細い人間は減らすように申請しないと絶望するレベルの量だ。
その食事のさらに特盛。並の人間なら丸一日かけて食べるような食事を次々に平らげていく。
「今日は新作に挑戦したのか。……うん、美味い。あのおばちゃんまた腕上げたなあ」
食事一つとっても生徒が飽きないように工夫をして変化をつけている。
日々精進するその姿勢には本当に頭が下がる。残さず食べきるとトレーを持って返却口に返しに行く。
「ごちそうさまでした。今日も美味しかったです。」
「……」
いつものように礼を言うシルバに食堂のおばちゃんは見向きもしない。それも含めていつもの光景だ。満腹になったシルバが足取り軽く食堂を後にする。
その背にはずっと嫌悪や不快感の篭った視線が向けられ続けていた。
部屋に戻ったシルバは登校の準備をする。騎士育成校は剣に重きを置いているが、それは決して勉学を疎かにしているという訳では無い。戦略や兵法は言うに及ばず。文化や経済、算術や文学など戦いに関すること以外にも一通りは叩き込まれることになる。
剣を振るだけの人間は騎士にいらないということだ。
「げ、今日は文学の日だったか……苦手なんだなぁ、詩とか作るの。」
ぼやきながらも準備を進める手に淀みはない。ほどなくして準備を終わらせると寮を出て少し歩いたところにある校舎に向かう。遅くもなく早くもなく、平均的な時間だった。
登校途中でも彼の周囲には誰もいない。登校途中の生徒は多くいるはずなのに彼の周囲だけ不自然なほどに空間が開いていた。誰も彼も話しかけることはおろか不快そうな視線を向けるだけだ。
教室に着くと扉を開けて中に入る。談笑する同じクラスの生徒達が音に視線を向ける。入って来たのがシルバだと気づくと舌打ちして談笑に戻る。
シルバの席は窓際の最後尾、そこが彼の指定席だ。基本的に席は自由なのだがシルバがそこ以外に座ったことはないし、先に誰かが座っていたこともない。横はもちろん長椅子一つ挟んで周囲に誰もいない。人知れず居眠りをするのには最適なのでこれもまた役得と本人は満足しているようだが。
席に着くと時間まで本を読むのが彼の日課だ。鞄から読みかけの小説を取り出すとしおりの挟んであるページを開く。続きを読み始めるも記憶の中と話が繋がらない。
「……前回どこまで読んだっけか。」
しおりが挟んである以上ここまで読んだのは間違いないはずなのだが……いかんせん思い出せない。仕方なく記憶にある部分まで戻ってそこから読み始める。
「オーリン、少しいいですか?」
読み進めることしばし。やっとしおりの挟んであるところまで追いついたというところで自分を呼ぶ声にシルバが顔を上げる。
そこには一人の女性がいた。
「ああ、代表。何か用かい?」
「希望部門調査の提出期限が今日までです。回収して持っていくので出してください。」
そう言えばそんなものもあったなと彼女の生真面目な顔を見て思い出す。自分には関りのない事だからとすっかり忘れていた。
「代表。前も言ったかもしれないが、自分でやるから俺のことは気にしなくてもいいよ。」
本当なら関わるどころか話しかけることも嫌だろうに、クラスの代表を任命されているため止む無くやっているのだ。シルバ一人足りていなかったとしても教官たちは咎めないはずだが、生真面目な彼女はそれができない。
ツリ目気味な彼女だが性根は優しく、眉間にしわを作るのは自分と話すときだけだということをシルバは知っていた。
「……それが私の仕事ですから。つべこべ言わず早く出してください。」
「分かった」
案の定断られてしまった。彼女の不機嫌を表すように揺れるポニーテールを見て申し訳ない気持ちになる。
これ以上彼女を困らせるのは本意ではない。用紙を取り出し適当に書き込むと代表に渡す。隠す気もなく差し出したため意図せず内容が彼女の目に触れてしまった。
「……っ!」
目に入った内容に代表の視線が険しくなる。眉間のしわが深くなりシルバに鳶色の瞳が向けられた。
またしても彼女の不興を買ってしまったようだ。
申し訳なさから普段ほとんど変わらないシルバの表情がわずかに暗くなる。彼女は何か言いたそうに口を開こうとしたが、途中でそれをやめると踵を返して歩き去っていった。
その様を見ていたクラスメイトが代表の側に付き添うようにしてフォローする。
「ナタリア、大丈夫?やっぱり教官に言ってあいつのことは……」
「いえ、いいんです。それよりも確認したいことが……」
友人と話しながら教室を出ていく代表。シルバはその背を視界の端に追いやるとため息をつく。自分が何か言われる分には構わないのだが、こういうのは苦手だ。
「……まあ、親父のしでかしたことを考えれば、このくらい可愛いもんかね」
そう結論付けるとシルバはまた本の続きを読み始めた。
内容はほとんど頭に入ってこなかったが。