忌み子のシルバ
皇都エイルセン
多くの騎士を有し、国力の大きい大国だ。
しかし十三年前に王が崩御し、その機を狙った周辺敵国に侵攻された。
跡継ぎを指名せぬままの唐突な王の死により揺れていたエイルセンは非常に苦しい戦いを強いられた。事の重大さを理解しない貴族たちの悠長な後継者争いも手伝い、敵国の電撃作戦で一気に国を落とされかけたのだ。
しかし侵攻は失敗した。
王の第三子であったグルード=ベネリが直属の騎士隊を率いてこれを撃退。そのまま敵主力を押し返すと浮足立っていた貴族たちをまとめ上げ、反撃に転じた。彼直属の騎士隊は圧倒的な強さを誇り、その一人一人がまさに一騎当千であったという。生きる伝説とまでうたわれた騎士たちだ。
その猛者たちの中でもとりわけ秀でた者が二人いた。
一人はアルター=ミストラル。
剣の腕もさることながら戦略家としての実力も高く、副隊長という立場ではあったが実質的に隊を取り仕切っているのは彼だった。人望も厚く人柄も良いため皆一様に騎士の鑑、最高の騎士と持て囃した。
そしてもう一人
騎士隊長バルナード=オーリン
最強
彼について語ることがあるとすればその一言を措いて他にないだろう。
孤児として育った彼は幼い頃から剣の才能に満ち溢れていた。誰に教わったでもないのに棒きれ一つで大人を叩きのめし、歯向かうものは皆彼一人に地を這わされた。
当時の騎士団長がその才に目をつけて騎士団に引き入れてから彼はめきめきと頭角を現していき、隊長になるまでさして時間は掛からなかった。
あの時の戦争で最も敵を斬ったのは間違いなく彼だと誰もが口にする。剣の鬼だと。それほどまでに彼の強さは圧倒的だった。
最高の騎士と最強の騎士
二人の所属する騎士隊を抱えるグルードは名実ともに王となるに相応しいと誰もが認めた。そしてグルードは長男と次男を抑えてエイルセンの国王にまで上り詰めたのだ。
そしてその三年後、悲劇は起きた
バルナードが味方である騎士に剣を向けた。如何なる理由があったのか、彼は突然仲間たちに斬りかかったのだ。
たった一人の乱心、あるいは謀反か。バルナードは歴戦の騎士たちを次々と斬っていった。あの騎士隊において最強の称号は伊達ではない。伝説とまで言われた騎士をバルナードは数の差すらものともせずに斬り伏せる。
しかし彼もかつての仲間たちを相手にして無傷ではいられなかった。
満身創痍のまま戦い続け、最後には友であり戦友であるアルターの手によって斃される。
こうして誰一人理由も原因も分からぬままバルナードの謀反は幕を閉じた。
奇跡的に死者こそ出なかったものの騎士隊は酷い有様だった。誰も彼もが重傷を負い、まともに剣を振れないほどの後遺症が残ってしまったのだ。無事なのはアルターただ一人。伝説とうたわれた騎士隊は、ただ一人の最強によって壊滅状態まで追い込まれてしまったのだ。
グルード王の対応は非常に速かった。手足とまで呼ばれた騎士隊が無くなったが彼はあらゆる手を用いてこの騒動を収めて見せた。この機を狙ってよからぬことを企む者もいたが、アルターが新たに組みなおした騎士隊によって全て未然に防がれる。
最強の騎士バルナードを倒して窮地を切り抜けたアルターはさらに民衆の支持を集めることになった。最強にして最高の騎士としてその名を轟かせ、周辺国への牽制役すら担うほどの栄誉と称賛を得た。
しかし同時に疑問もあった。真に強いのはバルナードの方で、騎士隊を一人で相手取るという圧倒的に不利な状況でなければ殺されていたのはアルターの方かもしれない、と。特に戦争に参加してその戦いぶりを見ていた騎士たちは殊更に彼のことを畏怖した。
バルナードのことは誰しもが怖れ、その名を口にするのすら躊躇われるほどのタブーとして民の心に刻み込まれることになった。
そして十年の歳月が過ぎた。
あの事件以降は戦争もなく平和な日々が続いていた。そのため当時の事件は未だ風化しきらず、当時の大人たちの心に影のように残り続けている。
グルード王は様々な政策を実行に移した。それまでの旧態依然とした貴族たちに喝を入れ大国ということに甘え切った軟弱物を残らず駆除した。当然強い反感を買ったがアルター率いる騎士隊と彼を支持する者達による支援を最大限活用してその全てを打ち払った。
老いた年寄りではなく若者への教育や支援に力を入れて国力そのものを高めようと様々な施策を打ち立て、実行に移した。
代表的な一つがミストラル騎士育成校だ。国内外の家柄問わず実力のある者を呼び寄せて国を護り、その礎となる若人を育てていく目的で設立された特殊な育成校。毎年優秀な武人や文官を輩出する育成校は注目度が高く、国外からの留学も多い。留学やそれに伴う流通が増えれば戦争も起きにくくそれもまたエイルセンの繁栄に一役買っていた。
ミストラル騎士育成校は先日入学式を終えたばかりだ。全寮制のため特別な理由がなければ皆で共同生活を送る寮に寝泊まりする。その寮にある端も端。最も人気が少ない一角に追いやられるようにポツンとある一室。その扉が開いて一人の青年が出てきた。
年の頃は十八。アッシュブラウンの髪を無造作にかき上げてある。身長は高く体格もいい。しかし決して鈍そうではなく、しなやかな体つきをしている。
彼は眠そうに欠伸を一つして剣を腰に下げたまま部屋を出ると寮の入口へ向かって歩を進める。端の方とは言えこの育成校は人が多いので誰とも会わないということはあり得ない。青年は外へ向かう途中正面から何人かの集団が歩いてくるのに気づいた。知らない顔がいくつかと見たことのある同級生もいる。おそらく新入生を在校生が案内しているのだろう。
面倒見のいい奴らだと感心しながら歩く青年。その視線がそのうちの一人と合った。
彼に気づいた新入生が頭を下げて挨拶をする。
「あ、おはようございま―――」
「いらねえよ」
その挨拶を同級生が遮った。頭を下げようとしたまま中途半端な姿勢で固まってしまった新入生が困惑した顔で見上げる。
「……あいつに挨拶は、いらねえ。」
「え、あの……」
そんなやり取りを余所に青年はマイペースに通り過ぎる。まるで今のやり取りなどなかったかのように何のリアクションも起こさない。
その背を苦々しく見送る同級生と困惑した様子で見送る新入生。対照的な反応をした彼らはその青年が角を曲がり見えなくなったところで大きく息を吐いた。
「すみません、あの……」
新入生の言わんとしていることはよく分かる。彼はため息をつくと他の新入生たちにも聞こえるようにはっきりと伝えた。一言一句、決して聞き間違えのないように。
「いいか、この育成校で一番初めに覚えるべきことを教える。よく聞いておけよ?……あの男には関わらないことだ。ここで……この国で平穏に過ごしたいならな。」
「……理由を、聞いてもいいですか?」
そりゃあそうだろうな。誰しもいきなりそんなことを言われたら理由を聞きたくなる。
彼は頭痛を堪えるように渋い顔をした。理由を言いたくない、というよりはあの名前を口にしたくない。気が重い。それでも言わなきゃ伝わらないだろう。
「……あいつの名前は、シルバ……シルバ=オーリン。あの忌まわしき事件を起こした、バルナード=オーリンの息子だ」