第四話
アイシア姫との模擬戦があった日から三日後。
「…まだか?」
サンドラは姫が住まう塔の一階で姫の支度が終わるのを待っていた。塔は二段構造になっており、入口のある一階のスペースはサンドラが、二階のスペースを姫が使う事で住み分けしている。
その日はユトミスの姫であるスチェイミア姫が公儀のために外出することになっていた。侍女もおらず、まさかサンドラが着替えなどの支度をする訳にも行かず、一国の姫だというのにも拘らず、自前での支度を余儀なくされていたのだった。
「スチェイミア姫。まだお仕度は整いませぬか?」
最後に返事を聞いてから既に十五分経っている。まだ時間に余裕はあるとは言え、スチェイミア姫の性格を考えれば早め早めの行動を心掛けたい。いい加減に痺れを切らせたサンドラは階段を上がり、自分たちの部屋を唯一隔てている木製の扉をノックした。
すると、今度は返事すら聞こえない。
「失礼します」
刹那的に嫌な予感が過ぎったサンドラは合鍵を用いて部屋の中へと入った。
そしてもぬけの殻となった秘密の部屋を見て一言だけ呟いた。
「やられた・・・」
窓は大きく開け放たれており、カーテンが外に向かって気持ち良さげにそよいでいる。サンドラはそこから落ちんばかりに身を乗り出して辺りを探した。すると、城の城壁を越すかどうかの距離に、ふわふわと浮かんでいるスチェイミア姫を見つけた。
「いた・・・!」
サンドラはカーテンを乱暴にはがすと、それに魔力を込めた。強度は増して多少の熱に耐えられる仕様へと布は強化される。
それの両端を握りしめて窓から飛び出すと、髪の毛を炎へと変えて熱気を出し、その上昇気流と強化した布とで、即席の熱気球を作ったのだ。しかし、微妙な熱量の調整で推進力は出せているモノの、基本的には風任せの移動しかできない。何とか見失わないようにスチェイミア姫についていくしかできないでいた。
「やはり自力飛行にはかなわないか」
それでも幸いなことにスチェイミア姫は脱出が叶った時点で油断しているのか、サンドラに気が付いている様子もない。飛んでいる方向から姫の目指している目的地の検討もついているので、サンドラは言うほど焦ってはいなかった。
◇
西側の城壁を越えた先は林となっており、その中にポツンと一軒の家が建っている。そここそがスチェイミア姫の目指している場所だった。
「あ」
ふわふわと雲のようなドレスをなびかせてその家の上から降り立つと、家の前で遊んでいた大勢の子供たちのうちの一人がスチェイミア姫に気が付いた。
「やっほー。遊びにきたよ」
「スチェイミア様」
すると、今度ははじけた様な笑顔になってまだ気が付いていない子供たちや遠くで遊んでいる別のグループに向かって大きな声で叫んだ。
「みんな! スチェイミア姫がきたよ!」
その子の笑顔は次々に伝播して、二十余人いた子供たちは一様に集まり、「スチェイミア姫!」と親し気な声を出した。
「何度も言ってるでしょ、姫とか様とかいらないって。スチェイミアって呼んで」
悪戯にふくれっ面を見せるスチェイミア姫を見て、子供たちはより一層の笑顔を見せてきた。
「スチェイミア、今日は何持ってきてくれたの?」
「ふふふ。私の家来に作らせた世界各国のお菓子だよ。」
スチェイミア姫は終始大事そうに抱えていたバスケットを差し出すと、それに被せてあった布を勿体ぶりながら払った。そして中に入っていた珍しい焼き菓子に目を奪われた子供たちは、感動を素直に口にしては、大事そうにそれを食べ始めたのだった。
やがて、腹も膨れてきた子供たちはお菓子よりもスチェイミア姫に関心を戻して話をし始める。
「ねえねえ。スチェイミアって家来がいっぱいいるんでしょ?」
「うん。強い騎士とか魔法使いとかがいっぱいいるよ」
「なら、オレも大きくなったらスチェイミアの家来にしてよ。剣も魔法も使えるんだぜ」
「ほほう。でも勉強もできないと私の家来にはなれないかもよ~?」
「え…そうなの?」
「だから勉強も頑張んないとね」
粗末なピクニックの場に和気藹々と笑い声が響く。
すると家来というワードから、ふとサンドラの話題になっていった。
「なら、いっつもスチェイミアを迎えに来るあの人は?」
「僕、あの人目つき怖いから苦手・・・」
「アタシも・・・」
恐々とする子供たちに反して、スチェイミア姫は無邪気な笑顔を見せながら言った。もうどちらの方が子供分からない程だ。
「もちろん、サンドラも私の家来よ。そんでもって、私が一番尊敬してる人」
「え? 姫様なのに家来のことを尊敬してるの?」
「うん」
「変なのー」
と、思い思いにつっこんでくる子供たちに優しく諭すようにスチェイミア姫は言う。
「変じゃないよ。本当にすごい人は素直に尊敬しないと」
「じゃあサンドラって人はすごいの?」
「そうだよ。凄いんだぞ、私の家来は」
「へえ」
それからスチェイミア姫は得意気にサンドラついて話し始め、子供たちも面白がりながら聞き入ってた。
そして、人知れず家の影に降り立ったサンドラは、気恥ずかしくなりながらもその様子を黙って見守っていた。すると、後ろから不意に声をかけられた。そこには、この孤児院の監督責任者であるシスター・リマタズミが立っていた。
「サンドラさん」
「シスター・リマタズミ」
「もし、お時間があればお茶でもしていかれませんか?」
サンドラはちらりと子供たちと楽しく話をしているスチェイミア姫を見た後、色々と諦めた様な顔をしてから
「・・・お言葉に甘えさせていただきます」
と、返事をした。
◇
二人はテラスに座ると物静かに紅茶を嗜んだ。姿が見えているのに、子供たちもスチェイミア姫も話をするのに夢中になっており、こちらに気が付く素振りすら見せない。
「お誘いしてから聞くのも変ですけど、本当によろしかったんですか?」
「ええ。前回は無理に連れ戻してしまいましたので、今回は大目に見ることにします。今日の予定は私の胸三寸に収められる内容でしたので」
「それはよかったわ」
「しかし、あまり長居はさせられません。この頃は大陸の情勢が不安定で、よからぬ噂もよく耳にするようになりました」
サンドラはそう言ってから自分の発言を後悔した。確証もないことで余計な不安を与えてしまったと思ったからだ。事実、リマタズミはひどく悲しそうな顔をしていた。
「ええ、聞いています・・・戦争になるかも知れないと」
リマタズミの声は重々しくサンドラの耳に入ってきた。それもそのはずで、この孤児院にいる子供たちの多くは戦争孤児なのだ。情勢の不安を煽ったなら、そういう答えが返ってくるのは至って自然の事だった。
「そこまでは・・・」
「商人を中心として、もう街ではその噂で持ちきりですよ。ルタメ王国が着々と戦争の準備をしている、なんでも新しい金属加工魔術の開発に成功したとか」
「それと戦争とを直結させるのは短絡的過ぎます」
「・・・そうですね。どちらにせよ、私達は祈る事しかできません」
それからはサンドラは嫌な話題を払拭しようと子供たちのことや、反対に明るいニュースなどを出して場を持たせていた。無理矢理に振った話題でも一度転がると止め時というものが分かりかねて、気が付いた頃には一時間近くも話し込んでしまっていたのである。
流石にそろそろ城に戻らなければ支障をきたすし、子供たちにも孤児院の予定がある。リマタズミに紅茶の礼を述べてから、サンドラは今なお輪になって子供たちと遊んでいるスチェイミア姫の元に歩み寄っていった。
「あ、サンドラだ」
「うげ」
スチェイミア姫は絵に描いたように顔をしかめた。が、サンドラはそれ自体は意に介さずに淡々と告げる。
「そろそろお戻りください。スチェイミア様」
「あちこち回って、ここには今来たところだからさ。もうちょっと、ね?」
ブーブーと文句を言い、子供たちまで味方につけてまで帰ることを拒んでいたのだが、サンドラが、
「尊敬する家来のいう事は素直に聞かれた方がよろしいかと」
と言うと、スチェイミア姫は顔を赤く染め、
「ふえっ!? 聞いてたの?」
と驚きを露わにしたのだった。
◇
そんなやり取りを聞いて再び笑い声に溢れる子供たちを見ていたリマタズミだったが、その顔は浮かないモノだった。サンドラとスチェイミア姫を見ていると、理由もなく妙な不安に胸を締め付けられる思いをしていたからだ。
そして…。
リマタズミが感じていた胸騒ぎは現実のものとなる。
後日、隣国との政治交渉の為に国王が城を離れた際に、一人の謀反によってルメタ軍の侵入を容易く許してしまったのである。
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