第三話
突然の軍略会議が催された日から3カ月が経った頃。
騎士団に新たに入団してきた騎士や兵士たちが日々の訓練を行っていた。特にその日はどの新兵の顔にも緊張が走り、対して動いていないというのに額に汗する者もいた。
何故ならば、戦乙女の異名を持つユトミスの王女であるアイシア姫が新兵入団後に初めて視察に訪れていたからだ。
アイシア姫は女だてらに魔術だけでなく剣と軍略の才能に溢れ、覆面を被り匿名希望で出場した国営の闘技大会で優勝したばかりか、十九歳の折にユトミスの国境間際で勃発した隣国・ルメタ国との小競り合いを迅速に解決した事で高い評価を得ていた。普段なら指導に当たる熟年の騎士であっても姫の御前となると事情が変わり、現役の総隊長であるリィユツが直接指導に来るという事もあって新兵たちの緊張はピークに達していた。
その時、隊列の最も右側にいた兵たちが、訓練場の隅の生垣の中に不審な影を見つけた。
「なんだ? あのボロ布は?」
「どこぞの浮浪者が紛れ込んだのではないか?」
「アレは…」
キテイスは、いつぞやルプルレガナ叔父と共に城に直参したときの事を思い出した。
「キテイス、知っているのか?」
「ああ。叔父上から教えて頂いた。この国に伝わる『呪いの子』の伝承があるだろう。あれがその呪いの子だそうな」
「アレがか?」
サンドラの事を噂でしか聞いた事のない連中は、俄かにざわめき立った。ところが少々羽目を外し過ぎたのか、騒ぎはリィユツの耳にまで届いてしまったのだった。
「おい、貴様ら!」
全員が、ハッと息を飲んだ。後悔の念が押し寄せてきたのだが、それは後の祭りである。
「訓練の最中に私語をするとは、いい度胸だな。それもアイシア姫が直々にご視察、ご指導をくださるというこの大事の日に…」
「も、申し訳ございません。しかし訓練場の隅に不審な者を見つけたもので、もしや賊ではないかと訝しんだのでございます」
「不審な者?」
「アレに」
新兵が何とか弁明を計ろうと、真っすぐにサンドラを指差す。その先に視線を送ったリィユツは眉間に皺を寄せ、渋い顔になった。
「・・・ヤツか」
「リィユツ。何事だ」
「アイシア姫」
リィユツが訓練を止めた事で、いよいよアイシア姫までも巻き込む事態になった。渦中にいたキテイス達新兵は固唾を飲んで事の成り行きを見守った。
「何事かと聞いているのだ」
姫の問いに、リィユツは恭しく、それでいて渋々といった具合に答える。
「恐れながら、訓練の最中に私語をしておりましたので注意をしておりましたが、その…」
「構わぬ、申せ」
「はっ。ご存知の通り、今日ここに集められたのは新兵でございます。故にサンドラの事を知らず、隅で様子を見ていた彼を賊と勘違いしたのです」
「…なるほど」
事の仔細を飲み込んだアイシア姫は何かを思いついたような不敵な笑みを浮かべた。リィユツは嫌な予感を覚えたがもうどうする事も出来ない。そしてアイシア姫は、よく通る声でサンドラを盛大に呼びつけた。
「サンドラ! ここへ来い!」
サンドラは勿論気が付いたものの、出て行っていいのかどうか困惑している態度を見せた。
「早くせぬか、愚か者め」
仕方なく駆け足で近づいてきたサンドラは、アイシア姫の目の前に辿り着くとすぐに控えてから尋ねた。
「なんでしょうか?」
「新兵に紹介しておいてやろうと思ってな。城に出入りすることも増える連中だ。今のようにあらぬ誤解で職務に支障をきたしてしても困る」
そして振り向くと、氷のように冷ややかで、それでいて確かな熱気を孕んだ声で全員に届くように声を出した。
「皆、良く聞け。この者はサンドラという我が侍従だ。幾人かはサンドラの身の上を知っているようだが、怪我をしたくなければ古参達を真似て余計な障りを与えるように忠告しておく。訳あってこのような姿をしているが、剣と魔法の実力は本物だ。その証を見せておいてやろう」
「証?」
「リィユツ、私とサンドラに訓練用の木剣を」
「…はっ」
サンドラは事態を素早く理解すると、目を丸くして驚いた。
「お待ちください、アイシア姫。まさか私と模擬戦を?」
「その通りだ。新兵に実践の手ほどきを見せられ、お主の株も上がる。一石二鳥だろ」
「しかし」
「黙れ、これは命令だ。私と戦え」
サンドラも、リィユツも新兵たちも一体どうしていいのか分からず、ただただ姫のいう事を聞くしかない。いっそのことすぐに降参してしまえばいいだろうと、高を括ったのだが、それはアイシア姫に容易く見抜かれていた。
「言っておくが、手心を加えようなどとは思うな。もしもお主が手を抜いたと感じたらその時は…」
アイシアは本物の懐刀を抜くと、それを自分の首筋へと当てた。
ざわめきすら起きず、全員がその場に固まってしまう。
「アイシア様!?」
「ふふふ。私を守りたくば、全力で戦えよ、サンドラ」
もうこうなってしまっては仕方がないと、サンドラとリィユツは互いに短く目配せをして覚悟を決めた。
「皆の者よいか? アイシア姫の特別のお計らいである。よく見て参考にするように」
こうしてリィユツを審判に立てて、アイシア姫とサンドラとの模擬戦が始まってしまった。
アイシア姫は様子見などという事は一切せず、初めから全力を見せた。目にも止まらぬ速さで踏み込むと、サンドラの顔面目掛けて木剣を振り下ろした。新兵たちはその速さにまず驚いたが、それ以上に涼しい顔を見せたまま反応し防御に回ったサンドラにこそ真に驚いていた。初断ちが終わってみると、そこには剣をサンドラに奪われ、その上木剣を喉元に寸止めされているアイシア姫の静止画が残るばかりだったからだ。
一瞬の間の後、姫は心底悔しそうな顔をして剣を奪い返すと、今度は後ろに飛んで距離を取り魔法にて攻撃を始めた。アイシア姫はウォーテリア姫とは違い氷雪系の魔法の才を持ち、より攻撃的な魔術を得意としていた。
魔法の詠唱が終わった瞬間、大小様々な氷柱が現れ、矢のようにしてサンドラを襲う。しかし、それが彼に届くことはない。指先から龍を象った炎を飛ばし、氷柱を悉く蒸発させてしまうからだ。
相性差があるとはいえ、サンドラの的確かつ無駄のない魔法に一同は感動のような何かを感じている。
「っく!」
次にアイシア姫は剣に魔力を集中させた。姫の足元には霜柱が立ち、発生した冷気によってどんどんと外気温が下がっていく。
その剣を振り上げ、サンドラは身構える。
どうなるのかと新兵たちも眉一つ動かさずに見ていると、リィユツが模擬戦を急に中止させた。
「止めっ!」
「リィユツ! なぜ止める!?」
辛酸を舐めさせられただけのアイシア姫は怒りにも似た声でリィユツに訳を尋ねる。しかしリィユツは一切動じずに告げた。
「アイシア様、陛下がお見えでございます」
「っ…!」
その一言でアイシア姫は一瞬で青ざめた。氷のような凛々しさは嘘のように無くなり、悪戯が見つかった時の子供のような顔で目を泳がせていた。動揺しながらもリィユツの見る先に顔を向ければ、確かに自分の父親たるユトミス王が、お供に囲まれながらこちらに近づいてくる所だった。
リィユツは想像を絶する事が起き過ぎて固まっている新兵たちに喝に似た号令を出した。
「何をしている、みな控えぬか」
その場の全員が例外なく跪き、頭を垂れた。王を直接拝するなど目が潰れてしまうというような勢いだった。
やがてアイシア姫の目の前に辿り着いたユトミス王はその面持ちに釣り合った重厚な声で問いかけてきた。
「アイシア」
「…はい」
「サンドラを相手に何をしいる?」
「新兵の訓練のため、模擬戦を見せておりました」
「それならば相手はリィツユでもよかろう。わざわざ部屋番の従者を使わずともよいはずだ。まして、サンドラがどういう立場の人間か、知らぬ訳ではあるまい?」
「しかし、」
言いかけたアイシア姫の反論の種火はいとも容易く打ち消される。
「黙れ。お前には戦の才は有るかも知れんが、政はまるで理解しておらん。民や騎士たちを悪戯に煽るな」
「申し訳…ありません」
「サンドラ」
「はっ」
そしてユトミス王の矛先は首の動きと共にサンドラへと移った。
「お前もアイシアに唆されるな。下らぬことに魔力を使うでない、分を弁えよ」
「申し訳ありません」
「…分かればよい、すぐにここを離れろ」
サンドラは頭を下げ腰を落としたままニ、三歩退くと、踵を返して元の生垣の方に走り去った。その背中をしばらくの間見ていたユトミス王は、やがて新兵を一睨みすると、良く響く声で言い放つ。
「皆の者、よいか。サンドラの出自がどうであれ、彼の者は我が家来の一人。お前たちの同輩だ。下らぬ噂や伝承に惑わされ、愚かな真似はせぬように心がけよ」
それは返事をするのも憚られる程に重い空気を作り出した。
返事のないのを返事と受け取ったユトミス王は、最後にアイシア姫をもう一度だけ一瞥すると再び王宮へと戻って行ったのである。
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