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僕たちの脳は十ギガバイトになった

作者: 黒川杞閖

 かつて、僕たちの脳は百ギガバイトの容量を持っていた。

 僕たちはその容量を使って、脳にあらゆることを詰め込んで楽しんでいた。目についたものをすべて格納する人、意味のないデータをひたすら配置する人、やたらと大きな容量のデータを好む人。自前の脳に物足りなさを覚え、外付けの拡張領域を求めるマニアもいた。やり方は人それぞれだったが、僕たちはみな等しく、自分だけに与えられた百ギガバイトを楽しんでいた。

 あるとき、白い布のような服をまとった人がやってきた。

 彼は僕たちに向き直ると、天井の方を見つめてしゃべり始めた。まるで、僕たちと対話する気がないとでも言うように。彼の演説の主旨は、こうだった。

「明日から、あなたたちの持てる脳領域は十ギガバイトに変更されます」

 彼はそのまま、部屋を出ていった。その後彼の助手らしき若者がやってきて、僕たちの脳領域が縮小される代わりに新しい外付け領域が提供されること、大事なデータは必ずその新領域に移すこと、加えて、個人で用意した拡張領域は近いうちに無効化されることを、たどたどしい口調で説明していった。

 その助手も立ち去ると、僕たちの部屋には静寂が訪れた。それは、わずかに戸惑いの色を帯びていた用に思う。

 いきなり言われても困ると、ある人が言った。

 ぜんぜん足りないと、またある人が言った。

 こんなことは許されないと、とある人は息巻いた。

 僕たちは、それぞれの思いを胸に、為すすべもないままその日の夜を迎えた。せめて大事なデータを失わないようにと、僕たちは残された時間を使って新しい外付け領域に自分自身を移していった。

 朝。

 僕たちの脳は十ギガバイトになった。

 あの白い服の人のおかげなのか、違和感らしい違和感は、ほとんどなかった。僕たちは大事なものを失ったはずなのに、奇妙な話だ。

 僕たちの脳には、僕たちを構成する最低限のフレームだけが残される形となり、個人の嗜好に基づく趣味のデータ、日々を過ごす上で必要になる些末なデータといったものはすべて新領域に移されている。何とか抜け道を見つけて旧外付け領域を復活させようとしていた仲間もいたけれど、最近はついにあきらめたのか、そのことについて何も言ってこなくなった。というのも、この新しい外付け領域は非常に膨大な大きさを誇る高性能なスペースであり、ほかの人と共用であることを除けば、今までの脳環境よりもずっとずっと便利なシロモノだったからだ。僕たちはルールを取り決め、広い平原のような領域で各個人の棲み分けを図った。結果、それはとある時点まで、うまくいっていた。

 僕たちの脳が十ギガバイトになってから、数年。

 僕たちがかつての百ギガバイト脳の使い心地を忘れたころの話だ。

 また、あの白い服の人が、助手を伴って僕たちの前に現れた。彼は相変わらず天井の方を見つめながら、どこか心のこもらない声で言った。

「さらなるユーザビリティ向上およびスペース拡張のため、明日の夜から新領域サーバーの移行作業を行います。みなさんのデータは移行前と同じ状態で配置されますので、特に事前作業の依頼はありません。強いて言うなら、ぐっすりと寝て静かに朝を待ってください」

 僕たちは特に騒ぐことなく、白い服の人を見送った。戸惑いは、もうなかった。

 こうして僕たちは、彼の言うとおり朝を待った。いつもどおりのベッドの中は心地よく、あたたかく、おだやかな眠りを誘った。

 そうして朝。

 あたしはいつもどおりに起床し、パンを探してキッチンの戸棚を開けたが、見つからない。待て、僕の家にパンなんかない。僕は納豆をこよなく愛しているんだ。あたしは違和感を覚えつつ、いつもどおりに外に出た。そこは、あたしの知らない僕の知る街だった。

 僕は慌ててみんなのところに駆けていく。すると、向こうの道から、おれとわたしと俺がやってきた。わたしたちは大勢の仲間とともに、自分の身に起こったことをそれぞれ話し合った。すると、あたしの体験した奇妙な出来事が、俺の身や僕の身にも等しく降りかかっていることが判った。

 ある技術肌の仲間、あるいはおれが口を開く。あの白い服の男がサーバー移行に失敗したに違いないと。あたしたちが共用スペースで管理していたデータが、ぐちゃぐちゃに混ざって散らばってしまったに違いないと。僕はその言葉を聞いて寒気を覚える。わたしが大事にしていたデータが、俺の中に紐づけられている。それは、私や僕にしてもみんな同じ。身体と脳のつながりを示す最低限の識別フレームしか持たないおれたちは、自分を自分たらしめていた諸データとのつながりを失ってしまった。こうなってしまうと、もう僕は私が誰だか判らない。

 僕たちは一様に黙った。はたしてそれが誰の意志なのかは、もう判別がつかなくなっていた。

 わたしたちは、あの白服の男を捜した。彼は、とうとう俺たちの前に姿を現さなかった。

 私たちは、悲しんだ。しかし時とともに自分に混ざる他人の存在に慣れていった。おれはさらに悲しくなった。

 しかし悪いことばかりではない。こうなったことにより、あたしは他人の大事にしていたデータの価値を知ることができたのだ。いや、もはやそれは自分自身なのかもしれないが。しかしながら、自他の境界を判断する力は、おれにはもう残されていなかった。

 僕たちが個を失って十年。

 あたしたちは決断した。

 私たちは、意味を喪失しきった個を捨てるのだ。

 そうして広大な領域を漂うひとつのものになって、俺たちの手であの白服ヤローを見つけだすのだ。

 わたしはおれと手をつなぐ。お互いにこりとほほえみあって、ひとつのものになる。やがて目の前が光に包まれて、身体がどんどん軽くなっていく。

 その光景を見届けると、博士は学生にサーバーのシャットダウン操作を命じた。その横顔は、どこか満足そうだった。


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