少女と穴
その少女はいつもどこか怪我をしていた。
僕が住むアパートの近くに公園がある。もっとも、公園と呼ぶのも憚られるような粗末な遊具しかないが。少女はよくそこにいた。
少女を見かけるのは休日の夕方が多かった。たまに平日の夜にも見かけた。少女はいつも一人だった。一人で何をするでもなく佇んでいた。遊具で遊んでいるのを見たことはない。
はじめはなんとも思わなかった。近所の団地に住んでいる子かな、と思ったくらいだった。気にかけるようなことはなかった。しかし薄着の季節になり、僕は少女の異常に気付いた。
少女は膝に絆創膏をつけていた。次に見た時は、腕に包帯を巻いていた。その次は眼帯だった。湿布を貼っていたこともある。少女はやたらに怪我をしていた。
虐待だろうか、と思った。少女は一見健康そうに見える。手足はほっそりしている。顔色は悪くない。施された手当は丁寧な時と雑な時があった。
僕は少女の異常に気付いてから、少女の姿を認めた時は、注意深く観察をするようになった。少女は僕のことをちらりと見て、すぐに視線を逸らす。話をしたことはなかった。
ある肌寒い梅雨の日だった。僕は家の周囲をぐるりと一周していた。ついつい引きこもりがちなので、休みの日は必ず一度は外に出るようにしている。その帰りだった。公園の奥に少女がしゃがみこんでいた。小さな背中が見えた。何故だか気になった。
僕は引き寄せられるように少女に近付いた。少女のそばに小さなスコップが落ちている。少女が視線を落とす先には小さな穴があいている。
少女が振り向く。その頬は濡れていた。瞳には怯えが見える。絶望に触れてしまったような顔をしている。これまで、少女の表情をまじまじと見たことはなかった。いつもこうなのだろうか。それとも何かあったのだろうか。
「わたしがしんだらここにうめてくれる?」
抑揚のない声が呟く。僕は頷いた。
その晩、考えた。少女が掘った穴では、少女を埋めるには小さすぎる。あれでは子猫か小型犬くらいしか入らない。もっと大きくする必要がある。
僕は少女が穴の中に静かに横たわる姿を想像した。少女は顔の一部がどす黒く変色している。殴られた痣か、火傷の痕だろう。めくれたシャツの下からのぞく脇腹にも、同じ色が広がる。
きっと少女は、あと数日で死ぬ。僕は少女が母親か父親か、それとももっと遠い親戚に、無惨にも殺害される様を思い描いた。
ところが、一週間経っても二週間経っても、近くに救急車やパトカーがやってくることはなかった。静かな日々が続いた。僕の勘違いだったのか、それともまだ発覚していないだけなのか、わからなかった。確かめる術はなかった。
それから季節が少し進んで、僕は意外なところで少女を見かけることとなった。駅前のショッピングモール。一階の大型スーパー。少女はそこで家族と一緒にいた。母に手を引かれ、カートを押す父に寄り添って。母親は赤ん坊を抱えていた。
しばらく見ないうちに、少女は少し成長したようだった。相変わらず手足には包帯が巻かれていたが、その顔には幸福が浮かんでいた。嬉しくて嬉しくてたまらないといった表情だった。そしてそれは両親も同じだった。
後にわかったことなのだが、少女は怪我をしていたのではないそうだ。包帯や絆創膏や眼帯は、少女が親にせがんでつけてもらっていたらしい。子供はそういうところがある。知ってしまえば、大したことではない。
僕は、公園に掘られた穴を再び訪れた。小さい穴はとうに埋められたようで、もう正確な位置を探すことができない。なんとなくこのあたりだろう、というところに、僕は球根を埋めた。きっと春には綺麗な花を咲かせるだろう。