非日常への入り口
「ごめん! 私、行くの女子高なんだ!」
昔から特別な想いを抱いて憧れていた幼馴染、朝比奈桜はそう言いながら申し訳なさそうに両手を合わせる。
男子中学生の淡い恋心を粉砕するのに、その一言は十分すぎる威力があった。
一年経った今でもあの出来事は忘れない。いや、むしろ今だからこそひしひしと辛さが蘇ってきている。
「はぁぁぁ……」
桜満開の季節、僕は希望溢れる出会いよりも悲痛な別れの悲しみを噛み締めていた。
公園のベンチで項垂れる僕の背中を、隣に座る兄……正確には兄のような存在が笑いながらぽんぽんと叩く。
「ほら元気だせって、奈音。高校離れたって言っても家は変わらず近所じゃん。すぐ会えるって」
「そうだけど……いいよね、ハヤ兄は。素敵な彼女が近くにいるし」
「いやぁ、まだ彼女ってわけではないけどな」
「まだだって! まだ! もう付き合うまで秒読みなんでしょ! そうやって謙遜してるようで仄めかすの昔から変わらないよね!」
もう一人の幼馴染であり、僕がハヤ兄と呼ぶ一学年上の彼、杉原疾風は余裕の笑みを浮かべて頬を掻いている。
そう自慢交じりに励まされても元気なんか湧くはずもなく、隣に桜がいたらと思うとやはり首は垂れ下がる。
「絶対一緒の高校に行って、二人で受かった時に告白するって決めてたのにな……」
「ドラマじゃよくあるシチュエーションだけど、それ地味にハードル高いからな……? いいじゃん、別にシチュエーションに拘らず気持ち伝えちゃえば」
「そうだけど……そうなだけど……シチュエーションに頼らなければ勇気でなくて」
「あー、まあわかるけどさ」
我ながら情けないとは思うが、実際勇気がでないのだから仕方ない。いや、仕方なくはないのだけど……仕方ない。結果、もう本日何度目にもなる溜め息が口から漏れ出す。と、そんな時だった。
「あら、お二人さん、そんなとこでどうしたのー」
「あれ、奈音にハヤ兄。何してるの」
「茜ちゃんに……桜……?」
僕やハヤ兄と同じ制服でハヤ兄のネクタイと同じ色のリボンを着けた月城茜と、ピンクベースの華やかな制服に身を包んだ意中の彼女が、僕の顔を下から覗き込んでいた。あまりの至近距離にチャームポイントであるピンクのツインテールが鼻をくすぐる。おお、神よ、なんというサプライズでしょうか。
「やほ、奈音。新学期早々何してんの?」
「あ、いや、特に何をしてたという訳でも……。黄昏てた、的な?」
「うわ、おやじくさっ。もー、茜ちゃんからも何か言ってやってよー。今日から高校生だってのに、何してんだか」
そのおやじ臭さの原因は他でもない君なのだが、そんな事はもうどうでもいい。僕は今最高に気分がいい。今すぐでも踊りだしたいくらいだ。
「相変わらず奈音って顔に出やすいよね。それが黄昏てる人の顔かね。ねー、疾風。二人で何の話してたのー?」
茜ちゃんがにやにやしながら、どうせ分かり切っているであろう質問をハヤ兄に投げる。
「おー、それは奈音がさく――むがっ」
「わああああああ! 何言ってんのこの人!」
あっぶな、こわっ! 何、息を吸うように隠してる事を暴露しようとしてるのこの人は!
案の定、桜が訝しげにこちらを見ているので僕は冷や汗をだらだらと流しながら、なんとか言い訳を頭に巡らせる。
「さく、何?」
「さ、さく、桜が綺麗だねって話をしてただけ! それだけ!」
「お! 奈音、大胆だねー!」
「違う! 茜ちゃんうるさい!」
ひたすら茶々を入れる年上二人が怖すぎる……絶対楽しんでるよ、この人たち……。
「はぁ、まあ何でもいいけど。帰ろ、茜ちゃん」
なんだか、自分達だけで盛り上がって桜を置いてけぼりにしてしまったようで、彼女は首筋を掻く。これは機嫌が悪くなった時の癖だ。まずい、やってしまった。
「はいはーい。じゃあね、二人とも。暗くならないうちに帰るのだよー」
「いや、まだ昼だし」
茜ちゃんのお母さんみたいな発言にハヤ兄がけらけらと答えて手を振る。そして二人が見えなくなったところで僕は隣の野郎を渋い顔でじとっと睨みつけた。
「……鬼」
「わ、悪かったって。あれ、また桜来たぞ」
「もういいって、ほんと調子乗り出すと止まらないんだから……」
「奈音、ごめん言い忘れてた、今週末空いてる?」
……はい?
「誰がすぐ調子乗るって?」
ハヤ兄がここぞとばかりに冷ややかな視線を送ってくる。なんか納得いかない……。
「奈音?」
「ああ、うん、勿論空いてるよ。どうかしたの?」
「ううん、高校で仲良くなった皆で遊びに行こうってなったんだけどね。クラスで奈音の話をしたら皆会ってみたいって話になって。良かったら来ない?」
まさかそんなお誘いが来るとは思っていなかった。桜が通っている高校と言えば、お嬢様学校と言われる瑠璃園学園だ。桜は勿論、そんなお嬢様達とご一緒できるなんて一般的な男子高校生からしたら行かない理由がない。
「行く! 行くよ!」
即答しながら、頭の中で思いを馳せる。きっと、なんとかですわ、とかご機嫌用、とかそんなアニメやドラマでしか聞かなかった台詞が生で聞けるんだ。皆、ふわっとした雰囲気で柔らかい物腰でお嬢様口調なんだ。
「よかった! じゃあまた後でメールするね!」
それだけ言って、桜は再び去っていく。僕はすっかり妄想の世界に旅立っていたので、それにすら気づかずデレデレとしていた。
僕はこの時気づかなったんだ。まさか、この返事が今後の運命を左右することになろうとは……。