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FAKE!

作者: KURUFU

 今日は2050年の4月1日。

 つまり、エイプリルフールだ。

 エイプリルフールといえば、一年で唯一、嘘をついても許される日として有名だが、嘘、すなわち事実でないこととは一体なんなのか、と私は考えてしまう。

 そもそも、今この2050年において、人々は、何が正しく、何が嘘かを認識できているのだろうか。

 こう言い換えてもいい。

 何が本物で、何が偽物か――


 私は今、椅子に座りながら、演劇を見ている。

 演目は「FAKE!」

 まさしく今日この日にぴったりというわけだ。まあ、この演劇は昨日から上演されていて、四月三日まで一日二回の計八回公演を行うため、今日のために用意されたものではないのだが。

 舞台の上では、二人の男がテーブルを挟んでとあるゲームをしている。私から見て右手の椅子に座る大柄な男がルールを説明している。

「いいか、もう一度言うぞ。この、AとBという二つの瓶に入っている液体の片方は毒薬、もう片方はただの水だ。答えを知っているのは俺だけで、お前は、俺に3つまで質問をして、どちらを飲むか選べ。お前が選んだ方と逆の方を俺が先に飲む。ただし、質問は毎回違うものにしなければならないし、俺はお前の質問に一度だけ嘘をついて答える。いいか?」

「あぁ」

 左手に座る痩せ型の男はそう答える。

 この二人の男、ここまでとある美女を狙って争ってきたのだが、どうやらここで最終決着ということらしい。

 だがこの勝負、明らかに大柄な男の方が有利だ。

 3つの質問だけで、正解に辿りつくのは難しい。

「じゃあまず、一つ目の質問をしろ」

「分かった。Aの瓶は毒薬か?」

「いや、違う」

 大柄な男はそう言った。

 見たところ、瓶自体や中身に大きな違いは無い。違うとすれば、瓶の表面に大きく書かれたAとBの文字だけ。

 中身は無色透明で、どちらも水にしか見えない。

 というか、どちらも水に決まっているのだ。

 あれはあくまで劇の小道具の一つであり、どちらか片方が実際に毒薬であるはずがない。

 しかし、両名の役者とも、演技ということを感じさせない素晴らしい演技だ。

 大柄な男が答えを出してからしばらく沈黙が続いているのだが、痩せ型の男の考える姿が実に真に迫っていて、観客もその緊張感に完全に呑まれてしまっている。

 そんな彼らの様子を見ながら俺は考える。

 あれは二つとも水だ。

 しかし、演技中の彼らにとって、あれの片方は本当に毒薬なのであり、それは果たして嘘なのだろうかと。

 今や、この世界は、本物と偽物の区別がつかない世の中になっている。

 CG技術が発達し、テレビの画面に映し出されるものが本当にあるものなのか、CG映像なのかの区別がつかない。

 整形技術も大きく進化し、整形したかどうかの見分けがつかないだけじゃなく、美容と整形の垣根も曖昧になっている。

 受精卵の段階での遺伝子操作が一般的になり、実の子どもであっても親と遺伝子上の関係が一致しないこともある。

 2030年に中国が世界で初めてクローン人間の開発に成功したが、そのクローン人間に関しても本物か偽物かが分からない。

 例えば、私が私のクローンを作った時、そのクローンは私の偽物なのか。それともそのクローンはまた別の人なのか。

 残酷なことに、現在世界ではクローン人間はある意味での人間の偽物として扱われ、日本でも、医療やエンターテイメントの分野で利用がされている。

 毎日テレビから流れるニュースは本物なのだろうか。

 全てがCG、もしくは政府に都合良く操作された偽物なのだろうか。

 私にはもう分からない。

 ただ分かることは、演劇はフィクションであるということだけだ。

「さあ、二つ目の質問をしてみろ」

 大柄な男が言った。

「そうだな……。一つ前の質問には、本当のことを答えたか?」

「あぁ、本当のことを言った」

 なるほど、そう来たか。

 また長い沈黙が始まった。

 大柄な男は虎のような視線で痩せ型の男を見ている。痩せ型の男は下を向き、ぼそぼそと何かを呟いている。

 まさに真剣勝負だった。

 惚れた女性のために命までをかけて戦う男達。実際にこんなことはないだろうが、しかし、彼らのそれはまさに本物だった。

 俺は今、演劇を見ている。そして、俺はそのことを認識している。

 作り話を見ていると、自分で分かっている。

 嘘が見抜けなくなっている現代において、この体験はある種貴重だ。

 インターネットの発達により、情報社会化が進み、それにより人々は膨大な知識にいつでもアクセスできるようになった。

 しかし、その膨大な知は、向こうから押し寄せてくるわけではないため、こちらから向かわなければ出会うことはできない。

 それ故、人々がアクセスする情報というのは、その人の興味のあることだけに限られやすい。

 だから、人々は自分の得た情報だけで、頭の中に妄想とも呼べる情報世界を作り出してしまう。言い方を変えれば、作り話であり、フィクションだ。

 その作り話は、徐々に自分の中で真実味を帯びていき、まるで本物であるかのように錯覚してくる。

 そしてその作り話を他人に話すようになり、その他人がそれに影響を受け、また違った作り話を作る。

 まさに小説や映画といったエンターテイメントの歴史のようだ。

 だが、この作り話は元々フィクションではなかった。

 現実であり、本物だったのだ。

 それがいつしか、曖昧になっていく。

 まさに今の社会だ。

 政府が作る、ある種の小説や映画にハマった人々が、それに合わせてどんどん新たなフィクションを作る。

 本物と偽物の区別がつかなくなっていき、妄想から冷めた時、現実とのギャップに心を乱されるのだ。

 だから、今、私がこうしてこの演劇をフィクションとして楽しめていることは、とても貴重なことなのだ。

「さあ、お前さんよ。最後の質問だ。言ってみろ」

 大柄な男は言った。痩せ型の男はぶつぶつ言っていたのをやめ、前を向いた。

「お前は、男か?」

 突然の質問に、大柄な男を含め、私達客も驚いた。

「お、俺が男がどうかだって? そんなの瓶には何にも関係ねぇじゃねぇかっ!」

 大柄な男は慌てた様子で怒鳴った。

「そうだな。だけどお前は、瓶に関する質問しか、しちゃいけないとは言っていない。さあ、お前が男がどうかを答えろ!」

 痩せ型の男は相手の迫力に負けず言い返した。

「お、俺は、男じゃない……」

 客席から笑いが起こった。

 勝負あったな。

 勝負自体は大柄な男に有利だったものの、彼が馬鹿すぎた。嘘を最後までとっておいた場合、こういう質問が来たら嘘がバレるということを予想できていなかったのだ。

 痩せ型の男は言った。

「なるほど。これで質問は終わりだ。俺はAの瓶を選ぶ。お前は先にBを飲むんだ」

 大柄な男は青ざめた顔でBの瓶を手に取った。

「さあ、早く飲むんだ」

「な、なあ、許してくれよ。あの女のことはもう諦める。だから、だからどうか死ぬのだけは許してくれ」

「駄目だ。負けたほうが飲むって決まってるだろう」

 決まってる? 痩せ型の男の言い回しに違和感を覚えた。セリフを間違えたか?

 そんなことを考えていたその時、大柄な男が突然大声で叫び始めた。

「お客さん! お客さん! 助けてください! これは本当に毒薬なんです。俺は死んでしまうんです。俺は、クローン人間で、この劇団に使われているんです。本物の劇を、リアルを皆さんに見てもらうために俺は殺されるんです。クローンは偽物なんかじゃない! だって…」

 大柄な男がその先を続けようとした時、痩せ型の男が彼を一発殴り、Bの瓶を奪ったかと思うと、蓋を開け、中身を一気に彼の口に流し込んだ。

 一瞬の出来事だった。

 液体を飲んでしまった大柄な男はすぐにその場に倒れ、全身を痙攣させ、泡を吹き始めた。

 すると音楽が流れ出し、会場が徐々に暗くなっていく。

 あれは何だったのだろうか。

 セリフなのか? それとも演出? アドリブか?

 どれにしても、これまでの話の流れと噛み合わない。

 暗転が終わり、明かりが戻った時、舞台には痩せ型の男しかいなかった。

 彼は一礼をすると、舞台袖へと引っ込んでいった。

 何も分からなかった。痩せ型の男があの美女をものにできたのかも分からなかった。大柄な男が言ったことが本当なのかも分からない。

 これで閉幕なのだろうか。

 そう思った時、痩せ型の男がひょっこり舞台袖から顔を出し、こう言った。


「今日はエイプリルフールですよー」


 なんだ、嘘だったのか。と安堵はできなかった。

 心の中にもやもやとしたものが残る。

 都市伝説のような話だが、クローン人間が映画やドラマで酷い扱われ方をしているという噂がある。

 監督の思い描くイメージ通りの容姿や声に遺伝子操作されたクローン人間が映画やドラマで使われるのはよくあることだが、今回のように殺される役で実際に殺されたり、死ぬことを前提として危険なスタントをやらされたりすることがあるらしい。

 死んでもまた同じのがいるため、よりリアルな映像、というか本物そのものを撮るために、実際に死んでもらうのだそうだ。

 だがあくまでそれは都市伝説。ほぼ嘘だ。

 けれど、絶対に嘘だとは言えない。

 この2050年の世界においては、何が本物か偽物かも分からなくなっているのだから。

 嘘だと思って見ていたものが本物だということもあるかもしれない。

 演劇はフィクションだ。作り話だ。

 しかし、あの大柄な男が生きているという証拠はどこにもない。

 明日も見に来てみようか。いや、明日は明日で、別のクローンかもしれないな。

 

 そんなことを思いながら、私は掛けていたVRヘッドセットを頭から外した。スタイン社製の最新モデルだ。

 これを使うと、今、劇場でやっている演劇やミュージカルを、家に居ながらリアルタイムで鑑賞することができる。

 ビデオで見るのとは違い、実際に劇場の席に座って見ているかのような気分になれるため、迫力が感じられるのだ。

 だが、ふと考えてみる。

 果たして、あの演劇は本当にやっていたのだろうか。

 池袋の小劇場でやっているという「FAKE!」という演目を私は家で見ていた。だが、実際の劇場でも本当にやっていたかどうか、私には確かめようがない。

 もしかしたら、ただ、映像を見せられていただけなのかもしれない。

 全てが偽物だったとして、私はどう感じるだろうか。

 嘘をつかれて悲しい? それとも大柄な男が死んでいないかもしれないから嬉しい?

 もう分からない。

 自分の本物の気持ちすら、もう分からない――


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