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act.6

ガラスの割れる音と、悲鳴のような声を聞いて、ラウルは奥にあるボックス席へと駆けつけた。

行ってみると、頭から血を流して蹲る悠真と、彼を支えるように抱きかかえている結菜が居た。

二人を見て目を丸くする。


「結菜、一体どうしたんだ?!」

青ざめている彼女を見て、ラウルが尋ねる。


結菜は必死に冷静になろうと、ふうっと大きく息を吐く。


「ラウル、アシマネに連絡して。5010号室の五十嵐様がケガをしたと。それから、救急車の手配をするようにと」

「ああ、判った」

「待て!」

頷いて出て行こうとしたラウルを悠真が呼び止める。


「救急車は呼ぶな」

「五十嵐くん!?何言って…」

「騒ぎにはしたくない」

「そんなこと言っている場合じゃないでしょう!?ケガしているのよっ!」

「たいしたことはない。判ったか?救急車は呼ぶな」

言われて、ラウルは結菜を見た。


「俺は客だぞ。客の要望に応えるのがホテルマンの仕事だろ」

悠真の強い言葉に対し、ラウルは苦し紛れに「かしこまりました」と答えた。


「ラウル!?」

「ですが、その傷の手当をしなくては。この時間ですと私共のホテルに所属している医師はおりません」

「その点は大丈夫だ。…結菜、胸ボケットのケータイ取ってくれ」


促されて、出血を抑えている反対の手でケータイを取り出す。


「『アダチ』を検索して電話してくれ。親父の秘書だ…」


悠真の言葉で思い出す。

『アダチ』と名乗る人物から、毎日のように彼へ連絡が入っていることを。

移動体通信端末が普及しているこの世の中で、ホテルの代表番号を通して宿泊客へ電話をする人は少ない。

しかし『アダチ』と言う人物は、ホテルスタッフの使い方を良く知っていた。

ホテルへ連絡すれば、悠真と直接話せない場合でも、第三者に何かしらの指示をすることができる。

人を扱うことに長けている人物、結菜の印象ではそんな感じだったが、秘書なら納得できる。


携帯電話から『アダチ』を呼び出す。

どうやら彼の名前は『足立誠』と言うらしい。

夜中にも関わらず、相手は3コールも鳴らないうちに電話に出た。

結菜は努めて冷静に何が起こったかを伝えると、電話口の相手は暫く沈黙した後、悠真の傷の具合を詳しく聞いてきた。

聞かれるまま、詳細に伝えられるよう結菜が答えていると、彼は直ぐホテルに向かうと言って電話を切った。



「とりあえず、部屋に戻る」

そう言って頭を抑えながら立ち上がった悠真を、結菜が慌てて支えようとする。


「…あたしも一緒に行く」

悠真の意志が固いと感じると、結菜は渋々頷く。


「バーの入り口から出たのでは目立ってしまうから、部屋までは裏のエレベーターを使うわ」

「俺はアシマネに連絡して、救急箱を持って行かせる」

ラウルはそう言うと、バーの裏にあるエレベーターへと案内した。






部屋に着くと、結菜は悠真を綺麗にターン・ダウンされたベッドに座らせた。

豪華な部屋の内装に目もくれず、バスルームへ直行しフェイスタオルを持ってくると、出血している悠真の頭を抑える。

足立を待つ間、結菜は客室係りに連絡し、更に大量のタオルを持ってこさせ、彼の頭から流れ出る血を何とか止血しようとひたすら抑え続けた。

流れ出る血に怯まずにはいたものの、医療の知識が皆無な結菜にはそうすることしか出来なかった。

その間、悠真は一言も発せず、二人の間に沈黙が落ちた。



「…結菜もここのスタッフだったんだな」

悠真は沈黙を破り、知ったばかりの事実を口に出した。


「そう」

今更隠す必要もない。


「ホテル内で会ったことあるか?」

悠真が聞いているのは、ホテルのバーで会う以前の話だろう。


結菜は、一瞬躊躇ったが、

「……会ったことは無いわ」

そう答えた。

嘘ではない。


「俺の勘違いか…」

「勘違い?」

「結菜とバーで初めて会った時『どこかで会ったことがある女』だと思ったんだ。何となく知っているような気がするのに、顔が出てこなかった」

「それであたしに興味が湧いた?」

「正直な話、そんなところだ」


自嘲気味に笑うと、悠真は窓の外へと視線を移した。

そんな彼の表情を見るのは初めてだった。


そしてふと、結菜は何故彼がこのホテルに長く滞在しているのかがひどく気になった。

聞いた限りでは、このホテルからさほど遠くないところに自宅はある。

毎日のように外出はしているが、通っている大学に行っている様子も無い。

しかも、移動はほぼ専属に近いハイヤーを利用している。

通常の大学生ではありえないことだった。



結菜が口を閉じたことで再び沈黙が落ち、そのまま暫く経った頃、部屋のドアをノックする音が聞こえた。

出てみると、ラフな格好をした初老の男性が立っていた。

連絡を受けて、着の身着のまま出て来たのだろう。


「お電話をしていただいた方ですか?」

「はい。鈴木結菜です」

「足立でございます。悠真様はどちらに?」


部屋へ招き入れると、悠真がいるメインベッドルームへと案内する。

彼は悠真を見ても顔色ひとつ変えることなく、直ぐに傷の具合を調べ始めた。

そして持ってきたカバンから何かを取り、ホテルの救急箱からガーゼと包帯を取り出す。

どうやら傷を縫うらしい。

結菜が心配そうに見ていると、「私は医師の資格も持っておりますから」と告げた。



血の付いたタオルを片付け、リビングの内線からヤキモキしているだろうラウルへ事の報告していると、足立がやって来た。

傷の手当が終わったらしい。

傷のことを尋ねると、血はかなり出たが傷はそれほど深くなく、すぐに塞がるだろうとのことだった。

結菜は足立のために部屋の手配をすると言うと、彼はその必要はないと断った。


「自分の仕事は終わりましたので。私は帰ります」

それを聞いて、結菜は驚いた。


「え?でも…」

「悠真様なら大丈夫です」

そう言ってドアの方へと歩いていく足立を追って、結菜は見送るべく彼の後について行った。


「あの…足立さんは五十嵐く…五十嵐様のお父様の秘書だと伺いました」

「五十嵐様?」

「申し訳ございません。実は私、このホテルのスタッフなんです」

「そうだったのですか…。はい、仰る通り、私は社長の秘書ですが、現在は悠真様の秘書をしております」

「お父様のではなく?」

「悠真様は自分の秘書だとは言わなかったのですね…。まぁ、今の彼にとってみれば、私は秘書と言うより、自分の行動を監視している人物と言う認識かもしれません」

「監視って……それは一体どういう…」


困惑した結菜に、

「私の口からは申し上げられません」

そう断りつつ、足立は改めて結菜に向き直った。


「悠真様は、とても聡明な方です。ご自身の立場、これから行く道を誰よりもご理解されていらっしゃいます。ですが……悠真様は、まだ19歳なのです」

「…………」

「彼の周りには『もう19』と言う方がたくさんいらっしゃいますが、私の年にもなりますと、『まだ19』と言う方がしっくりくるのですよ」

足立の言葉に、結菜は何も言うことが出来なかった。


『俺様』な態度も、言葉遣いも、まるで結菜と対等で在ろうかとするが、本当は酒も飲めない未成年。

本来、誰かの庇護下に在るべきなのだ。


「結菜さん、貴方はどうですか?貴方の目に、悠真様はどう映っているのでしょうか?」

「え?」

「ここ数日、悠真様が毎晩夜更かししているのは知っております。睡眠時間が短いにも関わらず、その夜更かししている現在の方が、以前と比べて悠真様の表情が明るいのです。原因は貴方だと見受けられますが、私の見当違いでしょうか?」

そう言うと、足立は和やかに微笑んだ。


それはあまりにも大きな勘違いだと反論しようとしたが、それでは年寄りの戯言だと思っておいてくださいと言われてしまった。

そして、悠真様をお願いいたしますと深く頭を下げ、部屋を出て行った。



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