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act.4

交換台に突っ伏し、うんうん唸っている同僚を遠巻きに見ながら、葵は先輩社員のそばに寄った。


「結菜さん、昨日に引き続いてまた唸ってますけど…」

「あー…、うん、あの子のことは放っておいてあげなさい」

「でも…」

「大丈夫、夜勤続きで疲れているだけだから」

ヒラヒラと手を振りながら、仕事に戻りなさいと葵を促す。


そんな生温かい目で見守られているとも知らない結菜は、デジタル時計を親の仇の如く睨む。

AM1:10

ディスプレイにはそう表示されていた。


結菜さん、時計に恨みでもあるのかしら、と、葵が取り留めのないことを考えていると、手元のランプが光った。

何処からかの入電を確認すると、スイッチを入れ、「オペレーター室です」と返す。


「結菜さーん、日向さんから内線ですよー」


葵の言葉に、日向って誰?と一瞬訝しむが、ありがとうと答えると交換台のスイッチを入れた。


「鈴木です」

「何でまだそこにいる」


何だ、ラウルか。

馴染んだ声に人物が思い至る。

そう言えば、ラウルのラストネームは日向ヒュウガだったっけ。


「何でここにいるって、仕事しているんですけど」

「…来ないのか?」


その言葉に心臓が音を立てる。

ラウルは昨日のやり取りを知らないはず、知らないはずだけど…。


「レモンハート置いてあるぞ」

「うっ…」

「ホワイト」

「ホワイトって!もしかして…」

「旧ボトルだ」

「……行きます」


インカム越しにラウルの吹き出す声が聞こえたところで通話を切断する。

100%酒を餌に釣られたようなものだが、行くか行くまいか悩んでいた結菜の気持ちを吹っ切るには充分だった。

今夜はダイキリかキューバリブレか…モヒートもいいな、と思いながら、結菜は「休憩貰います」と声を掛けると、制服から着替えるべくロッカールームへ向かった。






『coeurs d'ombre』は今夜も殆ど人がいないようだった。

薄灯りの中、カウンター内のラウルに声を掛けようとすると、

「キューバリブレ、ダイキリ、それともモヒートにするか?」

先に言われてしまった。


何だろう…あたしってそんなに判りやすいんだろうか…。

いや、上司も同僚も接客のプロだから、人の想いに聡いだけだと思いたい。


「で?何にする?」

「…ラムコーク」

悔しくてそう答える。


「はいはい。ライム無しね」

「ジュースはいらないけど、ライム添えて欲しい」

「かしこまりました」

ラムコークを選んだ理由も判っていますよ、とでも言いたげにラウルは恭しく畏まる。


棚から青いラベルのレモンハートを取り出すと、

「行かないのか?」

瓶を持ったまま、奥のボックス席を指す。


「どうして奥に行かなきゃいけないのよ」

「待ってるぞ」


誰、と言われなくても判る。


「別に会う約束なんてしていないもの」

「違うのか?俺はてっきり…」

「てっきり、何?」

「いや、五十嵐様が来た時、お前のこと聞かれたから。来るのを待つんだろうなと」

「え!もしかしてあたしのこと話ちゃったの?!」

ラウルの発言に慌てる。


「まさか。結菜がここの従業員云々って話はしていない。毎朝起こしてもらっている割には、お前が誰なのか気づいていないんじゃないか?」

「…一体何を聞かれたのよ……」

「昨日ボックス席に来た女を知っているかとか、常連なのかとか、いつも何時頃来るかとか。とりあえず、昔からの友人だとは答えた」

「てか、何であたしが毎朝起こしているって知っているの?」

「芹沢さんに聞いた」


――ソウデシタネ。

ラウルの上司とあたしの上司はツーカーな仲でしたね…。

部長同士の会話を想像するのがコワイ。


「それにしても…随分、興味を持たれているみたいじゃんか」

ラウルがニヤリと笑う。


「…楽しんでるでしょ」

「もちろん」

満面の笑みに結菜はため息を吐く。


「とにかく、待たせているんなら行ってやれ」


ラウルに促されて、結菜は気の進まないままボックス席へと向かった。



「遅い」

結菜の姿を見るなり、悠真は開口一番そう言った。


遅いって、だから別に待ち合わせしていないでしょ。

来いって言われたけど、行くとは言っていなかったでしょ。

そう思いつつも「お待たせいたしました」と、結菜は答えながら、敢えて距離を取りソファに座った。


「で?何に釣られた?」

「釣られた?」

「結菜が来ないようなら俺が釣ってやるって、ラウルが」


あーのーおーとーこー!

思わず頭を抱えそうになる。


「その様子だと、自分から来たわけじゃなくて釣られたんだな」

からかうように悠真が笑う。


「結菜が釣られたのはこれですよ」

ボックス席に入ってきたラウルは、八角銀盆に乗せていたラムコークを軽く掲げる。


「酒?」

「結菜を釣るなら酒が一番なので」

「レモンハート出すなんてズルい」

「お前が好きな酒、せっかく仕入れてやったんだ。楽しんで飲め」


ラムコークと皿に添えたライムを大理石のテーブルに置くと、「ごゆっくりどうぞ」と一礼してラウルはボックス席から消えた。

その後姿を恨みがましく見送った結菜は、ロンググラスの中にライムを一絞りすると、ラムコークに口をつける。

香りは甘いが、すっきりとした味わいが広がり……笑顔が零れる。


「……俺の知らない世界か…」

「え?」

「いや、相変わらず美味そうに飲むんだな」


その発言にギクリとする。

昨晩、言われた後の行動を思い出したからだ。


「今、想像しただろ」

「…してません」

「そうか?」

「レクチャーして欲しいって言うならするわよ、口で」

一瞬驚いたような表情を見せた悠真の目が艶めかしく光る。


それに気づいた結菜は、

「口でって言うか、言葉でってことよ!」

慌てて否定する。


動揺を誤魔化すように、ラムのこと、レモンハートのこと、ラウルからの受け売り半分、澱みなく話を続ける。

『俺様』悠真は以外にも聞き上手だった。

ラムは憩いの水、とは良く言ったもの。

好きなことを話しているうちに、結菜も段々と楽しくなっていく。


「あたしもそうだったけど、十代後半の頃ってお酒にも興味出てくるでしょ?少しは口にしてみたりとかしないの?」

「興味が無いわけじゃない。だけど…俺の立場では許されない」

「許されないって…それは皆一緒でしょ、法律で定められて…」

「そうじゃない。俺の場合、周りに知られた反響がデカ過ぎるんだ。俺だけに批判が集まるならいい。だが実際にそうなった場合…面倒くさいことになる」

忌々しそうに悠真は吐き捨てる。


そんな悠真を見て、ふと思う。

自分が19歳だった頃、お酒一つでそんなふうに考えていただろうか、と。

その頃の自分と目の前に座る悠真を比べて、何故か胸が痛んだ。

しかし、その痛みを伝えることは、彼を傷つけてしまいそうで――。


「そんなふうに思える五十嵐くんが羨ましいよ」

「羨ましい?」

「そう。もう、あたしが忘れてしまった世界に生きている」

言っている意味が判らないと、悠真は眉間に皺を寄せる。


「手を出したくても出せない世界に生きているジレンマ」

「それって羨ましがることか?」

「あたしは法律的にもお酒を飲める立場になっちゃったしね。お酒を我慢して飲まない!ってジレンマに陥ることはあるけど、社会的に制限されているわけじゃない。自分からやろうと思えば、いくらでも、堂々と行動を起こすことができる。お酒でそんなふうに縛られることはこの先ないの。だから、五十嵐くんが言っていることは、あたしにはもう戻れない世界の話」


だから、今しか味わえないジレンマを楽しんで欲しい。

そう言うと、悠真は呆気にとられたように結菜を見つめ……。

クックッ、と喉の奥から押し出されるような声で笑い出した。


「どこのドM発言だよ」

「ドM?!」

「だってそうだろっ」

そう言って、益々笑い出す。


今の話で、どの辺りにM発言があったのか…。

結菜は困惑しつつも、悠真の楽しそうな笑い声を聞いているうちに自然と微笑みが浮かび、心がほのかに温まるのを感じた。



ここでは、キューバリブレとラムコークは別物で書いています。

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