act.14
「お前ら何かあったの?」
結菜は目の前に立つラウルの言葉に、ギクリとなり一瞬動きが止まる。
カウンター席に座り、所在無さげにいじっていたおしぼりが、いつの間にか手元でウサギの形に変わっている。
ラウルはそれを持ち上げると、パペットのように彼女の目の前で動かす。
「と言うか、五十嵐様に何かした?」
「別に、何も…」
ラウルにではなく、おしぼりのウサギに向かって答える。
寧ろあたしが何かされたと、出来る事なら声を大にして主張したい!
そう思いながら、今夜ここに居ない彼の顔を思い出す。
そして、連鎖されるように昨夜のキスも――。
『非常口』に押し込められて何度も繰り返されたキスは、始まりは無理矢理みたいなものだったが、後半はずっと優しく、心地良いモノだった。
頭の何処かではイケナイコトと判っていたが、キスに応えてしまっていた自分を否定できない。
結菜からも求め始めると、悠真も追って更に快感を与えるように――――。
ぎゃあー!
そこまで思い出して結菜はカウンターに突っ伏す。
ここがホテルのバーでなく自分の部屋だったら、叫びながらのた打ち回っているところだ。
「おま…そんな顔して、よく何も無いなんて言えるよ」
ぽすっと何かが頭に当たる。
どうやらおしぼりのウサギを投げられたようだった。
「で?何があった?」
「……」
「何かあったから、今夜来ないんじゃないのか?」
昨夜あんな事があって、まともに顔が合わせられるのかと業務中悶々と悩んで、ようやく覚悟が決まって『coeurs d'ombre』へ来てみれば、悩みの相手は今夜来ないとラウルに言われる始末。
顔を上げると、ラウルの目が洗いざらい話せと語っていた。
「…された」
「え?」
「…スされた」
「聞こえるように言え」
「だから、キスされたの!」
自棄になったように吐き捨てると、「は?」っと気の抜けた返事が戻って来る。
「キス?」
「そう」
「キスだけ?」
素直に頷くと、
「どんだけ酷いキスしたんだよ」
と、それこそ『非道い』言葉が返って来た。
「どう言う意味よ!」
「え?結菜のキスが酷すぎて、もう会わない!ってなったのかと」
「失礼な!ちゃんとお互いかっ…」
『感じていた』と思わず言おうとした言葉を飲み込む。
ニヤけたラウルの表情に、からかわれたのだと気付く。
「らーうーるー!」
「あははっ、悪い。だって、この世の終わりみたいな顔で入って来たから、何かあったのかと思うだろ?」
「あのね…これでもイロイロ悩んでるんだから」
「何を悩む必要がある?お互い惹かれているの判ってるだろ?」
ラウルにハッキリ指摘されて顔が歪む。
惹かれているから悩んでいるのだ。
年下の、それも未成年の19歳の学生に。
鈍い女を演じるつもりもない。
悠真が自分に興味を持っているのも判る。
何処まで本気かは判断出来ないが、多分、物怖じせずそのままの悠真と向き合っているから興味を引いたのだろう。
息苦しいと感じていた彼の生活の中で、出て来た異端――そんなところだろうか。
そして、結菜はそんな等身大の悠真にどうしようもなく心惹かれている。
自分がしっかりしなきゃと思っても、気持ちが言うことを聞かない。
流されたくないと思うのに……。
「あんまり悩んでるとハゲるぞ」
自分の思考に沈み込んだ結菜を見ながら、ラウルはそう言ってカウンターにボトルを並べて行く。
クレーム・ド・カカオ、バイオレット、マラスキーノ、ブランデー…。
「一体、何をやってるの?」
ずらっと並んだボトルを見ながら、ラウルに尋ねる。
「何ってカクテル作るんだよ」
「どんだけ混ぜるカクテルなの…」
「混ぜない。これから作るはレインボーだから」
「何だ、レインボーか…って、レインボー?!」
「そう」
「誰、そんなの頼んだの?!」
何処にそんな奇特な人が居るのかとバーを見渡すと、カウンター端に座っている女子二人と目が合う。
若干こちらを睨んでいるように見えるのは、客寄せバーテンダーを独占してしまっているからだろうか。
「もしかしてあそこの二人?ちゃんと説明したの?レインボーがどんなお酒なのか…」
「説明なんか必要無い。結菜のオーダーだから」
ああ、何だあたしか…、ってオイ!
「そんなの頼まないわよ!」
「いや、正確には五十嵐様だけど。今夜は来れないって言われたのと合わせて、結菜にレインボー出してくれって頼まれた」
「何それ!」
仕返し?
仕返しなのか?!
「だいたい、どうしてレインボーのカクテルなんて知っているのよ」
「さぁ?」
いや、もうこれは、完全に昨日の仕返しでしょ……。
しかもあたしが好きな『酒』を使って仕掛けるとは。
「言っておくけど、出されても飲まないから、あんなま……飲むのが大変なの」
バーテンダーの手前と言う事で、一応『まずい』と言う言葉は避ける。
「えー。折角、五十嵐様が結菜のためにオーダーしたのに」
残念そうに言う。
「ラウルだって作るの大変でしょ」
「まぁ、そうだけど。でもレインボーなんて一年に一度出るか出ないかのカクテルなのになー」
「そうだとしてもやめて」
「んー、じゃ、アイリッシュ・コーヒーにクレーム・ド・カカオ入れたのにするか。五十嵐様がいないから、今夜は結菜がコーヒー、だな」
「それなら、生クリーム抜きにしてくれる?」
「かしこまりました」
ラウルが手際良く準備に入り、しばらくするとコーヒーの香りが漂う。
毎晩、ボックス席に入ると感じることのできる香りと同じ。
たった一日。
一日会っていないだけなのに、寂しいと思う自分が居る。
どんなに言い訳しても、自分の気持ちにセーブをかけようとしても、既に手遅れなところまで来てしまっているのを結菜は認めざるを得なかった。
口の中にほろ苦く甘い液体が染み入ると、明日はアルコール無しのコーヒーに出会えるだろうかと、結菜は素直に願った。