act.12
レストランフロアに降り立った結菜は、『月白』の入り口に立っている悠真を見付け立ち止まった。
今日の彼はカーキのミリタリージャケットに黒のパンツ姿だ。
普段バーで会っている時は、大抵Tシャツにジーンズかカーゴパンツ。
一方、結菜の方は黒のパンツスーツが多い。
改めて自分の姿を見下ろす。
膝下までの長さの、淡い無地のピンクシフォンワンピースに、純白レースのカーディガン。
葵から借りた…と言うより、無理やり着せられた物だ。
化粧は変えていないが、いつも結い上げている髪も下ろしている。
これ、気合い入り過ぎじゃないですかね、玲さん…。
何となく怖気づいて、思わず回れ右しそうなところを目聡く悠真が気付いた。
立ち止まっている結菜に近付いてくると、少し手前で足を止め、頭のてっぺんから足の爪先までジッと眺める。
…視線が痛い……。
その場に釘付けになったように直立不動でいると、悠真がニヤリと口の端を上げる。
「結菜の趣味じゃないだろ」
葵、玲さん、バレてますよー。
完全にあたしの趣味じゃないって!
「やっぱり判る?」
「別に良いんじゃないか?似合ってる」
いつものように皮肉っぽく何か言われたら、皮肉で返してやろうと身構えていたが、思ってもみなかった言葉に拍子抜けする。
「そう?ありがと」
褒められて悪い気はしない。
女性二人がかりに服をひん剥かれるという貴重な体験をした甲斐がある。
「五十嵐くんもカッコイイよ」
お世辞でも何でもなく、本当のことを伝えると、
「ああ」
あっさりとした反応が返って来た。
『ああ』って一言だけですか。
さも当然ですみたいに。
いや、でも、良い意味でも悪い意味でも自分を良く知っている彼なら、自分の見た目について影響力くらいは把握しているか…。
感心するというか何というか……。
「どうした?入るんだろ?」
そう言って、悠真が結菜の方に手を差し出す。
これは手を取れってことでしょうか?
先日と違ってここは悠真の部屋ではなく、いわゆる公共の場だ。
ここで手を繋げと…。
その手をマジマジと見ていると、ほらっと悠真が促す。
はいはい、判りましたよっ。
もう恥ずかしがる年でもないし!
公共の場だから何だと言うの!
と、何故かキレ気味で自分自身に言い訳しながら、結菜はその手を取る。
若干、乱暴に乗せたにも関わらず、悠真は優しく握り返す。
そして……目元を緩め艶やかに微笑んだ。
…この状況でその笑顔は反則だと思う……。
結菜は自分の頬に熱が集中するのを感じ、思わず俯く。
悠真の視線を感じたがどうしても顔が上げられず、そのままレストランへと連れて行かれた。
『足立』の名前で予約を入れていた結菜は、入り口のレジカウンターに立っていたさくらに名前を告げた。
さくらは手を繋いで入って来た二人を見て目を見開いたが、反応したのは一瞬だけで、直ぐに一般客相手のように愛想良い対応で返す。
ただ、長い付き合いの結菜には、『後でどういう事かキリキリ吐いてもらいましょうか』と言う、さくらの心の声が聞こえて来るようだった。
結菜達は別のスタッフに案内され、窓際の一番奥の席へ通された。
入り口から一番遠い席、つまり、フロアを見渡せる奧側に結菜が座り、隣の席との間を竹素材の間仕切りで隔てている側に悠真が座る。
――――ここまでは結菜の思惑通りに事が進んでいる。
後はターゲットがやって来るのを待つだけだ。
料理と飲み物をオーダーし、和やかに悠真と会話をしていると、さくらが4人の男性を連れて来るのが見えた。
さくらと視線が絡むと、彼女は軽く頷く。
そして隣の席、悠真の真後ろに4人が座った。
急に黙ったまま隣の席を見つめる結菜を不審がったのか、間仕切り越しに悠真が振り向こうとする。
それを結菜が手を伸ばし慌てて彼を止める。
眉間の皺が深くなる悠真を無言で制すると、隣席の前に立っていたさくらが口を開いた。
「佐々木様、村田様、いつもご利用ありがとうございます。予約時に海老と鱚の天麩羅、にぎり鮨を4人前承っておりますが、追加はございますか?」
「いや、取り敢えず料理はそれでいいので、飲み物を」
「かしこまりました。お連れ様の…えーっと、日本鉄鋼エンジニアリングの…」
そう、さくらが言うと、悠真の動きが止まった。
探るように目の前の結菜を見つめる。
「渡辺と関です」
「失礼いたしました。渡辺様と関様は日本酒がお好きだと伺いました。本日入荷したばかりのお酒があるのですがいかかですか?純米大吟醸の辛口でとても飲みやすいですよ」
「じゃあ、それを貰おうか…」
そう言って二言、三言会話をすると、さくらはテーブルを離れた。
――――昨日、結菜がさくらにお願いした事は3つ。
レストランの割り引きクーポン券を貰うこと。
悠真と佐々木達の席を隣同士にすること。
そして、さり気なく会話の中で名前と会社名を出し、隣に誰が座っているのかを悠真に気付かせること。
悠真の反応を見る限り、さくらは良い仕事をしてくれたようだった。
彼の注意が完全に背後へと向けられている。
結菜が今夜、悠真を誘った意図を理解したのだろう。
彼は食べる手を止め、静かに後ろの会話に聞き入っているようだった。
結菜は邪魔をしないよう、静かに食事を続けながら4人の会合が終わるのを待つことにした。




