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act.10

月白げっぱく』は、ホテル宿泊棟タワーの上層階にあるにある和食レストラン。

同じフロアに、フレンチ、中華のレストランが隣接している。

月白げっぱく』は3つのカテゴリーに分かれており、それぞれ、寿司、天麩羅、懐石となっている。

入り口は一緒だが、各カテゴリーは中で別れており、メニューも違う。

寿司と天婦羅はテーブル席の他にカウンター席があるが、懐石はテーブル席とお座敷が用意されており、雰囲気もそれぞれ違うのがコンセプトとなっている。


結菜は(仕事上では)空気が読める子を自負しているので、大輔と会った後、朝食真っ只中のレストランへは向かわず、部屋で少しの仮眠を取り、昼食前のアイドルタイムを狙ってレストランへやって来た。



バックヤードからホールの方へ顔を出すと、同期の宮本さくらが、他のスタッフと一緒にランチタイムの準備をしている姿が見えた。

慌ただしい朝食を乗り越えたにも関わらず、スタッフが着ている和服に乱れは無い。

さくらが『月白げっぱく』に配属された当初、慣れない着付けに大変な思いをしていたのを結菜は思い出した。

毎日一時間早く出勤し、ロッカールームで泣きそうになりながら着替えていたのは、もう遠い昔だ。


さくら〜、気付いて〜。

気付け〜。

と、怪しい念を送っていたのが功を成したのか、さくらが振り返り、結菜の存在に気付いた。


「結菜!」


さくらの驚いた声に他のスタッフも一斉に振り向く。

向けられた視線に思わずビクッとなるが、愛想笑いで誤魔化す。

さくらはスタッフ達に断りを入れると、結菜の方へ近付いて来る。


「どうしたの?表に出てくるなんて珍し」

大輔と同じような事を言うさくら。


実際のところ、結菜が制服のままホテル内をうろつくのは珍しい。

オペレーター室は高セキュリティ部屋となっており、レセプションのバックヤードから階段を上がり、中二階ワンフロアを占めている。

ロッカールームも他のホテルスタッフとは別に用意され、仮眠室も常備。

一日をそこで過ごすため、例えバックヤードでも他のフロアへ行くこと自体がまずない。

あるとしても、社員食堂くらいだろうか。


「うん。実はさくらに聞きたいことがあるんだけど…」

「え?今?」


さくらの返しに非難の響きはないが、一応業務中だ。

驚くのも無理はない。


「ごめん、直ぐに済むから」

「まぁ、いいけど」

「あのさ、最近、五十嵐ホールディングスの役員二人が良く来るって聞いたんだけど、何か知ってる?」

「五十嵐ホールディングス?」

「そう、佐々木って人と、村田って人なんだけど…」

さくらは、しばらく考えた後、

「ああ!海老ときすの二人ね!」

「えびときす?」

「そう、海老ときす、いつもそればっかりリピするから」

妙な覚え方をしているさくらである。


「その、えびときすの二人なんだけど…普段、何を話しているかなんて知らないよね?」

「えー…流石に、お客様が何を話しているかなんてまで気にしないよー」

「ですよねー」


例えそのテーブルの担当になったとしても、ずっと張り付いているわけではない。

意識せずに会話の内容まで把握するとは無理な話だ。


うーん…ここに足を運んでみたものの空振りかー。

結菜が諦めモードに入っていると、

「あ!でもね、確か明日も予約が入っていた気がする」

顎に指を当て、首を傾げながらさくらが言う。


「え?明日?」

「そう、ちょっと待ってて」

そう言って、さくらは天麩羅セクションのレジカウンターへ向かう。


カウンター上のラップトップをしばらく操作していると、結菜に向かって手招きする。

誘われるままラップトップのディスプレイを覗きこむと、佐々木実の名前があった。

予約人数は4人。


「予約4人ってあるけど、他の3人は誰か判る?」

「予約時に海老ときすの天麩羅、それからにぎり鮨をオーダーしているからいつも来ているメンバーだと思う」

「村田良一と、もしかして……日本鉄鋼エンジニアリング…」

「そう!こっちは天麩羅セクションだから、本来お鮨は頼めないのにさー。以前、この海老ときすがうちのマネージャーに直接頼んで、それから特別待遇になっちゃってる。会社の接待だか何だか知らないけど」



明日、五十嵐ホールディングスの買収相手が来る。

そう思うと、結菜は胸がざわつくのを感じた。

悠真の賭けが気になり、思いつくまま行動に出て…行き着いた回答。

彼らの話を聞けば、もしかしたら何か判るかもしれない。


何かって何だろう?

自問自答するが…答えは出ない。


でもあたしが話を聞いて何が判る?

聞き取れたとしても、内情を知らないあたしには殆ど意味不明かもしれない。

それならいっその事、悠真に聞いてもらうのが一番いいのだが――――。


ただ、悠真の身内の話だとしても、大輔やさくらから聞いた事を話すわけにはいかない。

業務上知り得たことを第三者に話すなど……。


結菜はしばらく考え込んだ後、意を決して口を開いた。

「さくら、お願いがあるんだけど…………」






さくらと別れた後、結菜は通常業務に戻った。

昨夜の出来事が支配人の耳に入り、もしかしたら呼び出されて悠真と会うなと言われる、最悪、GMジェネラル・マネージャーに呼びたされるかもと戦々恐々としながら業務をこなしていたが、そういった事は一切なかった。


言われないのであれば今まで良いということだろう、と勝手に解釈し、いつもの時間帯に『coeurs d'ombre』へと向かう。

今度こそ何か言われたら、会うことを止められなかったとでも開き直れば良い。

どこの新入社員だ…とでも取られそうな言い訳だが、そんなことよりも今夜、悠真に会う方が大事だった。


バーに入ると珍しくカウンターから出ているラウルの姿が見えた。

ホールの隅で…何故か行ったり来たりしている。


「ラウル、どうしたの?挙動不審よ」

「結菜!良かった…」

ラウルは結菜を見るとあからさまにほっとしたような表情を見せる。


「来ないかと思った」

「どうして?」

「いや、昨夜あんなことがあっただろ」

「それが、米倉さんに呼び出されるかと思ったんだけど、何もなかったの。てっきり、会うなって言われるかと思ったんだけど…」

「今夜来ないなら、これで釣ろうと思っていたところだ」

そう言って、近くのテーブルに置いてあったボトルを手に取る。


「ジェントルマンジャック!」

ラウルが見せた物に結菜は目を輝かす。


ウィスキーはあまり好きではなく、しかも体の相性が良くないのか、飲み過ぎると喉が酒焼けするので普段飲まないのだが、少し甘みを感じられるこのジャックダニエルのジェントルマンジャックは別だ。


「シングル?ダブル?」

「ダブルで。あ、でも…シングルにしようかな。それと、ソーダ割りで」

ちょっと残念そうにシングルと答えた結菜にラウルは苦笑する。


「ボトル取っといてやるから、この連続夜勤が終わったら飲みに来ればいい」

言われて一瞬キョトンとするが、はたと気付く。


そっか…。

この生活はいつか終わるんだ……。


まともに自宅に帰らず、異常とも言えるこの生活に既に慣れきってしまっていることを、ラウルの言葉で思い知らされる。

そして、いつか終りが来ることも。


「結菜?どうした?」

「ううん、何でもない…」

「取り敢えず行ってやれ。五十嵐様、奥に居るぞ」

「うん」


結菜はボックス席へ向かうと、席から見えないところで一度立ち止まる。

暗い表情を解すように両手で頬を上げ、よしっと気合を入れると中へと入った。



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