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∞ Brave Bullet  作者: 似櫂 羽鳥
第一章 世にも騒がしき来訪者
3/11

~1~

「ちょっとルーイ、聞いてんの?!」

 スパン☆と小気味良い音がブリーフィングルームに鳴り響いた。その正体は、カザネがルーイに向かって振り下ろしたハリセンが脳天に炸裂した音だった。妄想にも近いモノローグを反芻していたルーイは、もんどりうってその場に崩れ落ちる。

「まったく、ミーティング中はビシっと話聞くこと! どうせエッチなこと考えてたんでしょ、スケベ!」

 うずくまって唸るルーイを尻目に、カザネはぷいっと席に戻った。それに遅れてルーイも椅子へ這うように座り、ずり落ちた眼鏡をかけ直して涙目でカザネに訴える。

「ひ、ひどいじゃないですか隊長ぉ! そんな、エ、エッチなことなんて考えてませんよ!」

「あらあら、じゃあ何でボーっとしたままニヤニヤしてたのかしら?」

「そ、それは、その」

「はいはいもういーから、ミーティング再開よ!」

 今日は珍しくカザネが招集をかけ、これまた珍しく真面目に打ち合わせをしていたのだ。といっても、内容は八割がた軍の仕事とは関係ないことばかりなのだが。全員が手元に置いている書類も、ほとんどがカザネの思いつきで書かれたくだらないことが記されている。

「はーい次の議題ね。えーっと、最近みなさんのお部屋から、私物がはみ出してきてる気がしまーす。特にルーイとユウキかなー。自分のものは自分のお部屋にちゃんとしまいましょー。それからー…」

 ほぼ棒読みで、カザネが書類をめくっていく。大概が「どうでもいい」内容のため、みんな話半分で聞いている。ヴォルクがいつになく真面目な顔を下げているが、よく見ると惰眠をむさぼっているだけだった。それはルカも同様だ。唯一ルリだけが姿勢を崩さずにいるが、彼女はいついかなる時もそのスタンスを崩さないだけなので真剣に聞いているのかは分かり得ない。

「…そのくらいかな。はーいみなさん、質問がある人は元気よく手をあげて発言してくださーい」

 一通り読み終えたカザネがデスクの全員を見回すが、当然手を挙げる者はいない。

「…もう、みんなだらけてるなぁ! でもまぁいいや。はーいミーティング終了!」

 それを合図に、思い思いの行動を始める隊員達。ユウキはウーロン茶を片手に武器|(白兵戦用)の手入れ。アリアは裁縫セットをどこからともなく取り出し、刺繍を楽しみ始める。ヴォルクとルカは座ったまま眠り続けていた。

 ステラがティータイムの準備に立ち上がった時、カザネが「あ」と声をあげて急に書類をめくり始めた。それに気づいたのはルリだけだったが。

「あーあー! 大事なの忘れてた! はいみんな集合! 今度、軍の本部主催のトーナメントが…」


 ピンポーン。


 カザネの言葉を遮るように、ドアのベルが鳴った。軍の居住棟に人が来ることなど珍しい。軍属の関係者ならば事前に必ず一報が入るし、まず一般人から直接用事があることなどない。実際7144分隊の居住棟のベルが鳴るのは結成以来初めてだった。

 聞きなれない音にいつの間にかヴォルクとルカも目を覚まし、二人で顔を見合わせた。


 ピンポンピンポーン。


 今度は二連打。怪訝そうに様子を窺っている面々。職業柄自然と警戒しているのか、誰一人動こうとしない。妙な静寂に包まれる室内。

 と。


 ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン!!


 けたたましくベルが鳴り響いた。どうやら相当なスピードで連打しているようだ。これには思わず全員が耳を塞ぐ。

「ちょっとちょっと! なんなのよ一体?!」

「知らねーよ! ガキの悪戯じゃねぇのか?!」

「耳が、おかしくなっちゃいますぅ!」

「…」

「インターホン故障したんとちゃうか?!」

「…人間の素早さの限界を超えているな」

 パニックに陥る隊員達。昭和のアパートを思い起こさせるレトロな呼び鈴の音色が、連打によってその音を凶器に変えていた。もちろんこのベルを設置したのはルカである。

 騒音に耳を塞いだまま、カザネが生贄に選んだのはルーイだった。最初に目が合ったから、それだけの理由である。

「ルーイ! ちょっと、出て! 早く! 隊長命令!!」

「え~~?! な、何で僕が」

「うるさい! 早く行く! ちゃっちゃと行く!!」

 有無を言わさず背中を押す。むしろそのままブリーフィングルームから追い出す。壁を這いつくばるように、ルーイは渋々通路を進んだ。悲しいことに、表玄関までの廊下が、これまた長い。現在進行形でベルは鳴り続けている。

 やっとの事で玄関にたどり着く。オートロックを外そうとして、ルーイはハッと手を止めた。もしかしたら敵の奇襲かもしれない。ベルの脇にあるモニターをつけようとするが、残念なことに故障中。そういえば先日、カザネが振り回したおもちゃのバットがここにクリーンヒットしたのだった。

 どうしよう、と振り向くと、いつの間にか後をつけてきていた隊員達がいる。完全なる「囮」というヤツだ。カザネが顎で「開けろ」と指示を出す。片手には例のおもちゃバット。

 ずり落ちてきた眼鏡を直し、意を決して、ルーイはオートロックを外した。


 ガチャリ。


 そっと扉を開くと、そこには一人の女が立っていた。両手をベルの押しボタンに向かって構え、高速連打を繰り出している…一心不乱に。

「…あ、あのー…」

 ルーイが恐る恐る声をかける。二度目で少女はやっと気づき、息を切らせたままルーイを見つめた。

「何か、ご用でしょうか…」

 慌てて少女は手を引っ込め、深呼吸して息を整えた。

「…あら、これは失礼。こちら、第7144分隊の隊員寮ですわよね?」

「そ、そうですが…」

 ルーイの後ろから、カザネとルカが覗き込む。少女はそれをちら、と見たが、フンと鼻であしらうとその場に仁王立ちした。

「ではこちらに、ルードヴィッヒ・リッター・ヘルツォークという方はいらっしゃる? わたくし、その方に用事があって参りましたの」

「ルーイに?」

 カザネが声を上げると、少女はまたフンと鼻を鳴らした。

「そうですわ。いらっしゃるのね? 早く会わせて頂戴」

 ルカとカザネが顔を見合わせる。そして二人同時に、両脇からルーイを指さした。

「あ、え、えっと…その…僕が…」

「貴方が、そうなの?」

 カザネとルカと少女の三人に見つめられ、ルーイが顔を赤くしてもごもごとどもる。気が付けば後ろで遠巻きに見ていたユウキ達も、何事かと集まってきた。

 うつむいてもじもじとする彼をキッと見据えて、少女が畳み掛ける。

「貴方が、ルードヴィッヒ・リッター・ヘルツォーク?」

「あ……はい、そうです…」

 ルーイが消え入りそうな声で答える。

 一瞬の沈黙の後、少女は表情を一変させてがばっとルーイに抱きついた。

「やっとお会いできましたわ、ルーイ様!」

 突然の出来事に、皆言葉を失う。ルーイは「ふぇ」とか「あぅ」とか変な声をあげながら、されるがままにホールドされている。

「わたくし貴方にお会いするため、はるばる日本まで来てしまいましたの! あぁ、お懐かしいルーイ様! ねぇ、わたくしの事、覚えていらっしゃる?」

 そのままの格好で、少女は弾丸のようにまくし立てた。どうやら回した腕には相当な力が入っているらしい、ルーイの顔が軽く青ざめていた。もちろん少女はそんなことお構いなしに、

「まぁ緊張していらっしゃるのね、可愛い!」

 などとのたまっている。

 見かねて、カザネが二人を引き剥がした。

「ストップストーップ! ちょっと、いったいどういうこと? アンタ誰?」

 やっと締め付け攻撃から解放され、ふらりと倒れこんだルーイを後ろからヴォルクが支える。少女は不服そうに頬を膨らませ、カザネを睨みつけた。

「…わたくしはフェアラート。フェアラート・リーネ・クリングベイルですわ。以後お見知りおきを」

 と、優雅にスカートをつまんでお辞儀、それにつられて、カザネ達もつい会釈してしまう。

 少女…フェアラートは真っ直ぐにルーイを見つめ、惚けたような笑みをこぼす。当のルーイは未だにぐったりとヴォルクの方へもたれかかっている。

「…フェアラートさん、ここへどういったご用件で? 軍関係者以外は立ち入り禁止のはずですよ。見たところご家族の方でもないようですし」

 ルーイの顔をハンカチで仰ぎながらステラが冷静に言い、カザネがそれに同調して腰に手を当て、うんうんと頷いた。フェアラートはワインレッドの髪を揺らし、ニッコリと笑った。

「あら、部外者ではございませんわ。わたくし、ルーイ様と家族になるのですもの」

「…はぁ?」

「わたくしは、ルーイ様の婚約者、ですわ♪」

 満面の笑みでフェアラートは言い放った。その爆弾発言に、現場が凍り付く。

 そして。

「こ、婚約者ぁ~~~~?!!」

 珍しく全員の声が重なった(ルリを除く)。ルーイは顔面蒼白。フェアラートは渾身のドヤ顔。

「そうですわ♪」

 面々が驚愕の顔でルーイを見る。一斉に視線を注がれ、ルーイは顔面蒼白のまま慌てて首を振った。

「ちょ、ちょっと、ここここ婚約者だなんて! そんなの知りませんよぉ!」

 半ば涙目である。そして眼鏡は完全にずり落ちている。いつの間にかルーイの隣に忍び寄ったフェアラートが、上目遣いで彼を見つめた。

「もう、照れちゃって! そんなルーイ様もス・テ・キ」

 ルーイは完全に引いているが、彼女はそんなことお構いなしだ。逃げようとするルーイの腕を強引に抱き寄せ、頬を擦り寄せている。目の前でそんな光景を見せつけられたヴォルクが深いため息をつき、「やってらんねぇ」と言い残して部屋へ消えていった。

 カザネが驚愕からやっと我に返り、腰に手を当てたままルーイに詰め寄った。

「ちょっとルーイ! 婚約者なんて聞いてないわよ! 一体どういうこと?!」

「そ、そんなこと言われても! 僕だって何が何だか…」

「だってこの子がそう言ってるんだからそうなんでしょ?! さぁとっとと白状しなさい!」

「そんなぁ~~!」

「まぁ、ルーイ様に向かって失礼な方ね!」

 そこにフェアラートも交えて、三人はどんどんヒートアップする。カザネとフェアラートの視線からは今にも火花が飛び散りそうだ。「まぁまぁ」とルカがなだめようとするが、二人ともまるで聞く耳を持たない。気が付けばユウキとルリの姿はとっくに消えている。

 ここで、アリアが鶴の一声を放った。

「あのぉ~、ブリーフィングルームで、お話ししませんか~? おいしい紅茶と、お菓子もありますからぁ」

 カザネ達は睨み合いをやめ、アリアを見た。いつも通りのほんわかオーラに柔和な微笑み。この悪意の全くないスマイルを見れば、どんなに血に飢えた戦士達でも争いをやめるだろう。

 当然、それはカザネ達も同じだった。

「…そうね。ここで話しててもラチがあかない。部屋に戻りましょ」

「構いませんわ。ではお邪魔させて頂きますわ」

 カザネが廊下を進むと、フェアラートも後ろを付いていく。やや遅れて、がっくりとうなだれたルーイが二人の後を追った。アリアとステラは一足先に、お茶の準備をしに行ったようだ。

 残されたルカはインターホンのモニターを見、ひとり呟いた。

「…モニター直しとこ。あと、あの呼び鈴は失敗やな…」

 ルカの耳では先ほどのベルがまだ反響しているようだった。




 上座にある隊長専用席に座るカザネ。その右サイドにはルーイとフェアラートが並んで座っている。そして少し離れたところにアリアとステラ。ルカは早速モニターの修理に当たっているようだ。

 カザネが腕を組み、二人に問いかける。

「…で、本当に婚約者なの? お付き合いはいつから?」

 口調にやや棘が感じられるが、フェアラートは気にせずルーイと腕を組んだままだ。

「ええ、婚約しておりますわ。彼のお父様も知ってますもの。いつからって、わたくし達が小さいころから、ですわ」

「ぼ、僕は…知りませんけど…あの。フェアラートさん、でしたっけ?」

「んもう! 昔のように『ララ』とお呼びくださいませ!」

 まるで夫婦漫才のようなやり取りに、カザネの眉間に皴が寄りまくる。

「ラ、ララ…さんとも、初対面だと…」

「まぁルーイ様ったら! 小さいころ、皇室のパーティーで一緒に踊ったじゃない!」

「えー…あー…言われてみれば、そんなこともあったような…」

 いまいちはっきりしないルーイの口調。カザネの眉間が大変なことになっていく。

「貴方が軍人さんになったとお父様から聞いて、わたくしとても驚きましたのよ? 泣き虫で甘えん坊だったルーイ様が、まさか軍にお入りになるなんて。でも、これでわたくしに何があっても、ルーイ様に守っていただけますわね!」

 そう言って、フェアラートがルーイの方にもたれかかった。ルーイもやや諦めたようで、少し引き気味ではあるが彼女のなすがままにされていた。

 カザネが砂糖たっぷりのロイヤルミルクティーをすすり、ふう、と息を漏らす。

「ふーん。で、フェアラートはんは何でここに?」

 修理を終えて合流したルカが口を挟んだ。やっと隊員達への警戒心が解けてきたのか、彼女も紅茶を一口飲み、はにかみながら話し始めた。

「…本当はルーイ様の帰省を待つよう両親からは言われておりましたが…軍の休暇まで、あと半年以上もありますでしょ? わたくし、待ちきれなくて…ルーイ様とは昔お会いしたきりでしたし、わたくしもずっと学校の寄宿舎に入れられてしまって。先月学校を卒業したんですの。だから、いてもたってもいられなくなって、お母様たちに気づかれないよう、家を抜け出してきてしまいましたのよ。ここの事はルーイ様のお父様から聞いて、通行証も手配していただきました」

 へぇ、とルカが感心したような声を漏らす。

 居住棟は軍の敷地内では少し外れのほうにあり、一般の人間でも出入りは可能だ。しかしのその際には厳重な検閲や身元の照会などがあり、手続き上非常に面倒なのだ。その中で、近しい親族や関係者などは特殊な通行証を発行できるため、その手間をかなり省くことができる。先ほどの話の途中でフェアラートが差し出した通行証も、間違いなく正規に発行された身内用のものだった。

 ようやく眉間の皴が消えたカザネが、紅茶を飲み干してフェアラートに言う。

「そういうことだったの。まぁ来ちゃったもんはしょうがないよね。しばらくココにいてもいいわよ」

「本当ですの?!」

 予想外の一言に、フェアラートが思わず立ち上がり身を乗り出す。

「だーって、帰れって言ったって帰らないつもりでしょ? 家出してきてるんだし。好きな人追っかけてはるばる~なんて、ロマンチックな話じゃない! あたし応援するわ!」

 先ほどの剣幕はどこへやら、夢見る乙女チックに瞳を輝かせてフェアラートの手を握るカザネ。元々彼女はこういった少女漫画味のある話やお涙頂戴な話にとことん弱い。

 それを見て、慌てて口を開いたのはルーイだった。

「え、ちょっと待ってくださいよ! 僕の意見とか、そういうのは」

「何か言った?」

 だがカザネに満面の笑み(表面上)で凄まれ、あっさりと意気消沈する。

「…いえ、何でもありません隊長」

「よし決まり! しばらくララちゃんをうちで預かるわよ! これは隊長命令! ってみんなにも言っとくわね」

「ありがとうございます! このご恩は一生忘れませんわ!」

 フェアラートは感極まってカザネに熱い抱擁をかました。カザネがひきつった笑みを浮かべてもがいているあたり、やはりそこそこの腕力だ。

 フェアラートを引き剥がし、カザネがステラに命じる。

「ステラ、確か空き部屋あったよね? 案内してあげて!」

「了解しました、隊長」

 ステラがアリアとの談笑を中断し、飲みかけの紅茶を置いて立ち上がる。するとフェアラートが、思い出したように手を叩いた。

「そうでしたわ。わたくし慌てていて、荷物を玄関の外に置いたままですの。取りに行ってもよろしくて?」

「もちろんいいわよ。ルーイ! 手伝ってあげなさい!」

「う、あ、はい…」

 ルーイは完全に女二人に振り回されている。フェアラートに引っ張られるようにして、二人はルームから出て行った。

 扉の開く音が聞こえて刹那、廊下にルーイの叫びが響き渡った。

「な、なんじゃこりゃぁぁぁ?!」

 今度は何事かと、再び玄関へ集合する。唖然と立ち尽くすルーイの脇から外を覗き込む面々。

「これでも、最低限にまとめてきたんですのよ?」

 扉の向こうには、大量のトランクらやボストンバッグやらが積まれていた。まるでちょっとした引っ越しレベルである。少なくとも女の子一人の家出で納得できる分量ではない。

 さすがにカザネも頬をひきつらせたが、ルーイの肩をぽんと叩き、満面の笑みで言った。

「…運んであげなさいよ旦那さま。隊長命令ね」

「え~~~?!」

 そうしてそそくさと皆いなくなり、後にはフェアラートとルーイだけが残された。肩を落とし、力なくルーイが呟く。

「はぁ…わかりましたよ。やりますよやればいいんでしょ…」

「あの…ごめんなさいルーイ様…」

「あ、いや…いいんですよ。慣れてますから、こういうのは…」

 両手にトランクを引きずるルーイが廊下に目をやると、いつの間にかそこには業務用の台車が一台、ぽつんと置かれていた。

「…」

 その傍らには相変わらずの無表情を決め込むルリの姿。

「…ファイト…」

 ぼそりと言い残して、足音もなくその場を去っていった。珍しく声を発したルリにしばらくルーイは呆気にとられていたが、我に返って荷物を積み始めた。

 空き部屋は偶然なのか策略なのか、ルーイが使う自室の向かいの部屋だった。元々はカザネが物置として勝手に使用していた部屋である。確か以前そのことをヴォルクに問いただされ、仕方なく掃除していたような。そんなことを思い返しながら、ルーイは台車を押した。

「…あの…ララ、さん…」

 不安定な荷物たちを気にしながら、ルーイはおずおずと口を開いた。

「その…婚約しているって、本当ですか…? スミマセン! 僕、全然覚えがなくて…」

 立ち止まり、頭を垂れる。

「小さいころの事…あんまり覚えてないんです…その、なんとなく、しか…そのあと色々あったもので…」

「謝らないでくださいな」

 深々と頭を下げたまま小声で話すルーイを、フェアラートが制した。

「本当に小さかった頃に、親同士が決めたことですもの。覚えていなくても仕方ありませんわ」

 そう言ってルーイの頬をそっと両手で包み、彼の顔を自分に向ける。レースの手袋越しに彼女の体温を感じ、ルーイは思わず顔を赤らめた。そんな彼を見て小さく微笑み、フェアラートは真っ直ぐその瞳を見つめた。

「それでも、構いません。わたくしはずっと、貴方をお慕いしておりますわ。今までも、これからも、ずっと」

 フェアラートの頬も桜色に染まっている。見つめあう二人。徐々にその距離が縮まって、フェアラートの潤んだ眼が閉じられる、そして…

「…は、早く片付けましょう! もうすぐお昼ですし、さっさと終わらせないとご飯食べそびれちゃいますから!」

 真っ赤に火照った顔をそらして、ルーイがわざとらしく大声を張り上げた。心臓が大きく鼓動し、口から飛び出してしまいそうだ。上気した顔を隠すようにフェアラートに背を向け、大股で台車を押した。後ろではフェアラートが一瞬だけ残念そうに口をとがらせていた。

 ゆでだこのように顔を赤らめたまま、空き部屋にルーイは荷物を運び入れていく。彼の背中を遠い目で見つめながら、フェアラートの噛んだ奥歯が少しだけ、きしりと鳴った。




 夜が明けた。初夏の空にはもう朝日が顔を出し、アスファルトに新緑の影を映している。雲一つない朝の大気。今日は暑くなりそうだ。

 7144分隊の居住棟は、まだ静まり返っている。いつも通りの朝が訪れる…と思いきや、耳をつんざくような爆音が廊下に響き渡った。

「皆さん、朝ですわよ! 起きてくださいな!」

 声の主はフェアラートだ。手にはステンレスのフライパン、それとお玉。これでもかと打ち鳴らしながら、小走りに全員の部屋の前を駆け巡る。

 それを追いかけるように、アリアがスカートを翻してついてくる。

「ラ、ララさぁん! まだ、起こさなくてもぉ、大丈夫ですよぉ!」

 彼女の叫びもお構いなし、フェアラートはフライパンをガンガンと叩き続けている。

「いいえ、もう6時ですのよ! 早寝早起き、規則正しい生活こそ軍人としての第一歩! しかもお食事の支度をアリアさんお一人に押し付けて、わたくし許せませんわ! さぁ皆さん起きてくださいまし!」

 謎理論を口走りながら、アリアの制止も聞かずに廊下を突進する。

「今日は、非番ですしぃ、私が、食事当番、ですからぁ~」

 しかしその声はフライパンの轟音にかき消された。彼女たちが通り過ぎた扉から、不機嫌そうなヴォルクの顔がのぞいた。

「ったく、何だよ! せっかく夢でボインのねーちゃんとウハウハだったってのによぉ!」

「うるっさーい! 今日はオフでしょ、まだ寝るのー!」

 違う扉からはカザネの怒声。それに反応し、振り向きざまにフェアラートが声を張り上げる。

「おはようございますヴォルクさんカザネさん! お二人とも早く顔を洗って、アリアさんをお手伝いなさいませ!」

「敵襲か?!」

 ユウキは自前のハンドガンを構え、部屋から転がり出てきた。だが音の主がフェアラートだとわかると、やれやれと肩をすくめる。目が合ったフェアラートがにっこりと笑った。

「はい、おはようございます♪」

「…おはよう」

「そんな物騒なものはおしまいになって。着替えてお食事の支度、ですわ。よろしくて?」

「…だが今日の当番は」

「よろしくて?」

「…理解した」

 ユウキをも黙らせてしまう満面の笑顔が恐ろしい。後ろでは部屋から出てきたファルチェ姉妹にアリアが事情を説明しているようだ。女子三名とユウキは連れ立ってブリーフィングルームへ消えていった。

 残すはルーイ。彼だけはこれだけの騒ぎにも動じていない様子で、部屋からは一切の物音すらしない。フェアラートはルーイの部屋の前で仁王立ちになり、鼻息も荒く頬を膨らませた。

「…全くルーイ様ったら、まだ寝ていらっしゃるのかしら。ルーイ様、入りますわよ!」

 返事も待たずに、突入していく。それを視界に留めたカザネが「あ、ダメ!」と声をあげるが、時すでに遅し。

 遮光カーテンがきっちり閉められた室内は薄暗い。扉が閉まるとより一層闇が濃くなった。唯一光を発しているのはベッドサイドに置かれたパソコンのディスプレイだけ。ぼんやりと白光を放っている。フェアラートは手探りで電灯のスイッチを見つけ、押す。


 惨憺たる光景。


 部屋にある棚全部に所狭しと並べられたフィギュアと、棚からあふれ出した本やゲームソフトの山。壁一面にアニメのキャラクターが描かれたポスターやタペストリーがびっしりと。フローリングには足の踏み場がないほど散らかされた大量のゴミ、コミック本、ゲーム…その他諸々。そしてすべての騒ぎなどなかったように、隅のベッドで眠りこける男が一人。

「むにゃ…レレミィたん…ぐふふ」

 彼が横たわるベットのシーツ、着ているパジャマ、がっしりと抱きかかえた抱き枕のすべてに、同じイラストのアニメキャラが描かれている。涎を垂らし、にやつきながら寝言を発したルーイの鼻の下が心なしか伸び切っているように見えるのは気のせいではないだろう。

 このあまりにも、な景色に、フェアラートは開いた口がふさがらない。

「な、なんですの、これは…」

 手から滑り落ちたフライパンが派手な音を立てて床に転がる。その拍子にルーイはビクリと体をはねさせ、飛び起きた。

「ふぇっ?! な、何?!」

 パソコンデスクに無造作に置かれていた眼鏡を慌ててかけ、何事かとあたりを見回す。次いで入り口前で立ち尽くすフェアラートの姿を見とめ、顔をひきつらせた。

「ララさん、ど、どどどうしてここに?!」

 口元の涎を拭い、抱き枕を隠すように背中へ押しやった。初めこそ驚きで硬直していたフェアラートだったが、彼のあまりにも間抜けな姿に我を取り戻し、湧き上がってきたのは言いようのない怒りにも似た感情だった。ふるふると拳を震わせ、その髪と同じくらい顔を真っ赤にし、ベッドサイドに歩み寄り鬼の形相でルーイを見下ろした。

「なんという有様ですの、ルーイ様!!!」

 空気が震えるほどの怒号が飛んだ。

「何ですのこのお部屋は! 散らかり放題で、整理整頓も全くなっておりませんわ!! それからこの訳の分からない絵の描いてあるシーツや枕! これはどういうことですの?! こんな女の子の絵にうつつを抜かして、あまつさえ涎に寝言まで! それでも軍人ですの?! 見損ないましたわルーイ様!!」

 怒涛の勢いでまくしたてられたルーイは小さく縮こまり、背中に隠した抱き枕を手元に引き寄せて膝に抱えた。まるで母親に叱られた小さな子供のようだ。鼻息も荒く追い打ちの罵声を浴びせようとしたフェアラートだったが、彼のその姿を見てふー、と息を吐いた。

 ルーイは恐る恐るフェアラートの顔をチラ見し、ポツリと呟く。

「…あ、あの…なんか、ごめんなさい…」

 しゅんと肩を落とすルーイに、少し冷静さを取り戻したフェアラートは苦笑した。

「…いえ、わたくしこそ、急に大きな声を出してしまってごめんなさいですわ。あんまり散らかっているものですから、つい驚いてしまって…あの、ルーイ様?」

「…はい、何でしょうか?」

「この、女の子の絵は…一体何ですの?」

 と、サイドテーブルに飾られた一枚のカードを指さす。見ればそこには、ルーイの着ているパジャマと全く同じ絵柄。現在世界中で絶賛放映中の萌え系美少女アニメ「魔法少女マジカル☆レレミィ」の主人公・レレミィが決めポーズをとっているイラストだ。

 フェアラートの何気ない質問に、ルーイの目の色が変わった。

「これですか?! これはですね、僕イチオシのアニメ『魔法少女マジカル☆レレミィ』のレレミィ・シャイニングたんです! ちなみにこれは魔法少女に変身した後の名乗りシーンで必ず見せるポージングなんです、かわいいでしょう? この段階ではまだパワーが足りないので必殺技を出せないんですが、この後敵を倒して魔法の源であるラブをゲットし、それがこの持っているステッキに蓄積することによって第二変身ができるようになって」

「は、はぁ…」

 急に水を得た魚のようにしゃべり始めたルーイに、フェアラートは少なからずドン引きしている。だが火のついてしまったルーイは止まらない。

「第二形態の衣装に変わるとこのステッキも進化するんです。あそこに飾ってあるのが変形後のステッキ、受注生産限定のレプリカなんですが作りがよくて気に入ってましてね! で、変形後にやっと必殺技を繰り出せるんですよ! 決めセリフは『世界の平和を乱すものに、愛の力で天罰を! 究極奥義・シャイニングラブハリケーン』! レレミィたんは普段はおとなしくて学校でも目立たない存在なんですが、本来はとっても元気な女の子なんです。もちろん魔法少女であることは誰にも秘密なので、わざと普段は目立たないようにしているっていうのが1クールの7話目で語られるんですが。どうです、たまらないでしょう? このポストカード、アニメ円盤の初回購入特典の数量限定品なんですよ。あまりの人気に予約が取れなくて、徹夜で直営店に並んで手に入れた激レア品なんです!」

「あ、はぁ、徹夜で…」

「まぁ、レレミィたんのためなら徹夜なんてどうってことありませんからね! アニメリアタイ実況&感想レポで貫徹は慣れてますし!」

 愛おしそうにポストカードの入った額縁を撫でまわすルーイの瞳は、いつになくキラキラと輝いている。常軌を逸したような偏執ぶりに、フェアラートはただ乾いた笑いを返すしかなかった。


 ルードヴィッヒ・リッター・ヘルツォーク2世。冒頭で壮大な自己紹介を妄想していた彼の本性は、典型的なヘタレ&二次元オタクの駄目人間なのだ。


「…見ちゃったか。あ~あ、やっぱり無理やり止めるべきだったなぁ」

「わたくし…わたくし、ショックですわ…まさかルーイ様が、アニメの世界に逃避していたなんて…」

 シュガーバターたっぷりのトーストを頬張るカザネと、その隣で食事も忘れてうなだれるフェアラート。

「あたしも最初はビビったけどさぁ、慣れるってそのうち」

 彼のオタクっぷりは分隊内では周知の事実だったのだが、フェアラートには少々刺激が強すぎたらしい。あの後も延々と「レレミィたん」の良さを語り続けるルーイをそのまま放置し、呆然と食堂へやってきたフェアラートを見て全員が苦笑するしかなかった。

 アリアお手製のクロックムッシュが乗った皿を片手に、ヴォルクが二人の後ろを通り過ぎた。

「まぁあれでちゃんと任務はこなしてるしな。オタクだからって誰かに迷惑かかるモンでもねぇし」

「そやな~。実害がないんやったらそれでええんちゃう?」

 向かい側からサラダを頬張ったルカも口を出す。

「…そういうものなのでしょうか…」

 はぁ、と深いため息をつくフェアラート。カザネがその背中を軽く叩いた。

「そういうもんよ! まぁさすがに、コスプレして写真撮らせてくれ~、とか言ってきたら全力でぶっ飛ばすけどね☆」

 この世の終わりのような顔をしたフェアラートが、ため息交じりに訴える。

「オタク…であることは、百歩譲って良しとしますわ、個人の趣味ですし…それよりも、わたくしが一番ショックでしたのは…そのことではなく、あの方本人についてなんですの…」

「ほぇ?」

 トーストをかじりかけた状態で、カザネが素っ頓狂な声を上げる。フェアラートはそれも気にせず、俯いたまま訥々と話し始めた。

「ルーイ様…普段はあまりはっきりと物事をおっしゃらないでしょう? 幼いころからそこは変わっておりませんわ、どちらかといえば引っ込み思案な男の子でしたから…でも先ほど、あのアニメの話をしているときは、とても楽しそうにはきはきとおしゃべりなさるんですのよ?! あの元気と積極性を、他の所にも生かしたらもっと素敵な男性に見えますのに…」

 フェアラートの熱弁を聞いていたそれぞれが、確かに、と首を縦に振る。

「皆さんもそう思いますでしょう? 趣味云々は置いておいたとしても、ルーイ様には『男らしさ』が足りませんわ。わたくしの旦那様になる方だというのに、あのままでは将来が不安でたまりませんわ…」

 そういってフェアラートは一段と大きなため息をついた。調理を終えたアリアとステラも混ざって、全員が口々に言う。

「確かに、男らしくはないわな。俺らと話すときもいつもどもってるし」

「うんうん。誰かが言ったら強く反論できないし」

「とっても優しいところはぁ、素敵だと思いますけどね~」

「せやけど、優しいのと女々しいのはまた違うしな」

「…ヘタレ…」

 ルーイのダメだし合戦になってきた面々。と、食器を下げながらユウキが投げかける。

「出撃中は、まだマシなほうだと思うが」

 それを聞いたカザネとルカが、顔を見合わせて大きくうなずく。

「あー確かに! 少なくとも普段よりはマシかも」

「せやな! いつものウジウジ君よりはまぁマシや」

「どういうことですの?」

 ユウキの発言で変わった空気についていけず、フェアラートは立ち上がって皆の顔を見回した。ルリが間髪入れず、湯飲みを置いて呟く。

「…ナルシスト…」

「はっは! 確かにそうかもな! だがまぁ、アッチのほうが少なくとも『男らしさ』はあると思うぜ」

 ヴォルクが高らかに笑い、食後の一服に火をつける。カザネがそこにすかさずチョップを入れ、いつものくだらない喧嘩が始まりだした。

 フェアラートは皆の発言が理解できず、答えを求めてステラを見た。澄ました顔でトーストにジャムを塗っていた彼女が、その視線に気づく。逡巡した後、少し困ったように微笑んだ。

「…なんと説明したらいいか…ねぇ隊長?」

「うーん、なんていうかさぁ、見てもらったほうが早いんじゃない? そうね、そうしよ! ララちゃん、ルーイ呼んできてくれない? 詳しいことはまた後で☆」

 ヴォルクの額に手刀をお見舞いしながら、カザネが意味ありげなウインクを送ってきた。小さくうなずき、フェアラートは席を立つ。

 食堂を出ると、ちょうど洗面所から出てきたルーイと鉢合わせた。さっきの勢いはどこへやら、もじもじと両手をもんでフェアラートから視線を逸らす。

「あ、あの…さっきはすみませんでした…つい、調子に乗ってしまって…」

 フェアラートの脳裏を、先ほどの光景が通り過ぎる。恐ろしいほどの豹変ぶりだ。彼女はぎこちなく微笑みを返すと、ルーイの隣に並んだ。

「い、いえ、お気になさらず。それよりルーイ様、カザネさんがお呼びでしてよ?」

「え、隊長が?」

「さ、早く参りましょ」

 そのままルーイの手を取り、食堂へ連れていく。中へ入ると、すでにルーイ以外全員の食器は下げられていた。二人を見、カザネが全員にあからさまなアイコンタクトを送ってから言った。

「おはよールーイ。今日ね、オフでしょ? んで、暇だから演習でもしようかなって!」

 反論する隙も与えずに、一息で言い切る。怪訝な顔をしたルーイを見逃さず、ルカがその後に付け足す。

「あーあのな、新兵装の調整に必要なデータが欲しくてな! 細かい数値とか、GiA乗ってもらわんと計測出来ひんのや。せやからな、協力してほしいねん!」

「え~…まぁ、いいですけど…」

「おおきに! ほな全員、さっそく準備してや。確か演習場空いてるから、とっとと行こか」

 と、ブリーフィングルームへ足早に歩いていく。ルーイを囲むようにぞろぞろといなくなるパイロット勢についていこうとするフェアラートを、ステラがそっと引っ張った。

「ララさんは、私と一緒に演習場のオペレーションルームに行きましょう。ね?」

 そして、意味深なウインク。訳が分からないままフェアラートはうなずき、ステラに連れられて行った。




 格納庫から演習場へと続く通路を、6機のGiAが歩く。

 演習場は全部隊共有で使用可能だ。各部隊の格納庫からはGiA搭乗のまま演習場に入ることができる。仮想敵機として3Dホログラムの機体、そして戦場のあらゆる状況が再現できるように調整してある。ドーム型の広い敷地内に砂漠や水辺、市街地の再現はおろか、天候や地理環境の再現までもが可能なのだ。

「演習場のセッティングが完了しました。各員戦闘準備をお願いします」

 と、ステラの声がスピーカーから響く。今回は本格的な出撃を仮定とした演習ではないため、戦闘区域には遮蔽物も何もない。

「じゃ~、とりあえず散開!」

 カザネが言うと、各々の戦いやすい距離に散らばっていく。

 カザネ、ユウキはある程度の位置まで前進。ヴォルクもそれに続く。ルリはその一歩後方に待機、ルーイは右舷に陣取った。アリアは更に後方。

「準備完了。演習終了目安・仮想敵機全ての撃破、もしくは制限時間30分の経過。それでは、只今より演習を開始します」

 ステラが言うと、パイロットたちの前方に数機のホログラムが現れた。

 開始を知らせるブザーが鳴り、最初に動いたのはカザネとユウキ。二人は左右に分かれ適当な敵機に狙いを定めて攻撃を開始。

 ヴォルクはそのまま前進し、2機固まっているところにランレンを叩き込む。

 ルリは中距離からバルデルで弾幕を張る。その後ろ、ルーイも正確に敵機の頭部を貫く。明らかにルーイ以外は手を抜いて戦闘をしているのだが、ルーイがそれに気づく気配は全くない。SR11.ナルキッソスから赤いレーザーポインターがホログラム機の頭部を貫き、「HIT」の文字がスクリーンに映し出されるとそのホログラムは消え去った。味方機の所持する射撃武器には実弾が搭載されておらず、射線代わりのレーザーポインターとコックピット内・オペレーションルームのスクリーンが連動し、射撃の成否を知らせてくれる。

「現在の撃破数トップはルーイさんです」

 ステラの声に呼応し、カザネが笑いをこらえながらも通信を入れる。

「ルーイやるぅ~!」

 それにルーイは右の口角を釣り上げて笑みを浮かべながら、

「当然ですね。僕に狙いをつけられたら逃げられませんよ」

 と()()()の調子。その言葉に全員が笑いそうになるが、必死にこらえている。

 その間にも、ルーイの手は止まらない。次々と敵機に照準を合わせ、ヘッドショットを食らわしていく。無駄な動きの一つもない、完璧な立ち回りだ。他のメンバーはわざと攻撃を外してルーイに止めを刺させたり、彼のほうに敵を追いやったりとあからさますぎる行動をしている。

「ルーイごめん! そっちに2機行っちゃった!」

 撫子の斬撃を故意にすかし、カザネがホログラム機の隙間をすり抜けた。

「全く、仕方がありませんね…さぁ、踊るがいい」

 ルーイがGiA用コンバットナイフを抜きながら答える。

 敵機体から四方に延びる射線を、強化ブースターを吹かして左右にかわしながら近づき、あっという間に肉迫する。突進の勢いを消さず、ナイフを腰だめに構えホログラムの腹部へ一撃。通り抜けるとともにホログラムは消失。

 もう1機が横からソードを振るうが、咄嗟に姿勢をかがめてかわす。降りぬいた反動で制止する機体の背後に回り込み、

「背中ががら空きですよ」

 ナイフを逆手にもち、首駆動部に突き立てる。敵機、消失。

 コックピット内、解いた長髪をさらり、とかき上げ、一言。

「不用意に近づくとは…実に愚かですね」

 通信用のスピーカーから誰かの吹き出す声が聞こえたが、自身の華麗なる攻撃に浸るルーイの耳には入らなかった。

 その頃、演習場のオペレーションルームでは。

 前面の巨大なスクリーンいっぱいに見下ろすような視点でフィールド全体が映し出され、スクリーン両端には各味方機をアップにした映像がおよそ30cm四方のマスに切り抜かれて収まっている。ステラとフェアラートは並んでそれを見ていた。

 ルーイの機体を映し出した画面が、機体内部の映像に切り替わる。そこには眼鏡を外して長髪をなびかせ、ニヒルな笑みを浮かべて操縦桿を握るルーイの姿。また敵機を撃破し、満面のドヤ顔と共にスピーカーからは彼の声。

『ふっ。僕の前で動きを止めるとは、よほど死にたいようだ』

 思わずステラの口元が歪み、笑いをこらえて肩を震わせた。

 呆然とそれを見るフェアラートが呟いた。

「ルーイ様は…せ、戦闘中はいつもこのような感じ、なのですの?」

「そ…そうですね、大体まぁ、こんな感じです」

 ステラが苦笑いしながら答える。その後も敵を沈黙させるたびに聞こえてくる彼の『たいへんに中二病的な』セリフを聞いて、とうとう彼女も吹き出してしまった。フェアラートはただスクリーンを見つめたまま、開いた口が塞がらない。

 と、最後のホログラムが消失し、メインモニターに『All Clear』の文字が大きく表示された。笑いをかみ殺して、震えた声でステラがマイクをとる。

「ぜ、全敵機の撃破を確認しました。演習は、終了です。各機、撤収準備をお願いします」

 それを聞いて真っ先に通路を駆け抜けたのはカザネの機体。ルカの誘導でGiAを収納すると、オペレーションルームに駆け込んできた。入るや否やその場に倒れこみ、床をたたいて爆笑している。

「もーダメ! くるしいぃぃぃ! 死んじゃうぅ!」

 息も絶え絶えに絞り出すと、床で大笑いしながら転げまわった。それを追うように入ってきたヴォルクはやれやれと肩をすくめ、カザネをつま先でつついた。

「おいカザネ! お前わざとらしすぎじゃねぇか? ありゃどう見てもルーイに振ってんのバレバレだろうが!」

「いいのいいの! あれくらいやったほうが本性出てわかりやすいじゃん? 本人全然気づいてないし、あははは!」

 カザネの爆笑につられ、ヴォルクも肩を揺らした。到着したアリアが二人をやんわりと諫めるが、彼女も口に手を当ててくすくすと笑っている。

 やや遅れてユウキとルリが入ってきた。この二人には感情というものが欠落しているのだろうか、眉一つ動かさずに静観している。ステラまで巻き込んで笑い転げるカザネたちを一瞥すると、ユウキがいまだ呆然と無人のスクリーンを見つめるフェアラートに近寄った。

「どうだ? 普段の奴に比べたら、数段は男らしいと思うが」

 ようやく我に返ったのか、フェアラートははっと振り向いた。無言で彼女を見るユウキから少し視線をそらして、苦し紛れに答える。

「え、ええまぁ…いつもに、比べれば…」

「…来る…」

 突然ルリが言い、皆を制するように片手をあげた。笑うのをやめる面々。静かになったオペレーションルームに、ルーイが眼鏡を拭きながら入ってきた。なぜか全員から注目されているのに気付き、慌てて眼鏡をかけて挙動不審になる。

「な、何ですか、皆さんこっち見て…僕の顔に何かついてますか?」

 いつものようにおどおどとした言動。ヘタレに戻ったルーイに、カザネが深いため息をついた。

「人の顔見てため息つくなんて、失礼じゃないですかぁ! あ、それより隊長。なんか今日は動きにキレがなかったような…お腹でも痛いんですか?」

 カザネが目を泳がせて取り繕う。

「あ~、まぁ、演習だしねぇ。ほら! あたしが本気出したら、ザコなんか全部一撃で終わっちゃうし☆」

「…なんか怪しいなぁ」

「怪しくない怪しくない! ぜぇ~~んぜん怪しくない!」

 詰め寄るルーイと、いつもの調子でそれをかわすカザネ。隣では彼女の分かりやす過ぎる焦りように、ヴォルクが苦笑している。

「…まぁ、GiAに乗っている間だけ、だがな」

 傍観していたユウキが、フェアラートに小さく耳打ちした。フェアラートはよほどショッキングだったのか、俯いてわなわなと震えている。さすがに気の毒に思ったユウキが声をかけようとした。

 ところが。

「どうしてですの?!」

 フェアラートが急に激高し、デスクをバン!と叩いた。騒がしかったルーム内の空気が一気に変わる。

 両手を腰に当て、フェアラートはつかつかとルーイの前に歩み寄った。彼の前にいたカザネがそそくさと道を開ける。怒りの形相で見上げられ、ルーイは戸惑う。

「ど…どうしたんですか、ララさ」

「どうした、じゃありませんわ! なぜアレに乗っている時だけ、あんなに自信に満ちているんですの? むしろ、どうして普段はそう出来ないんですの?!」

 言葉を遮られ、なぜか怒鳴られ、ルーイは泣きそうな顔をした。

「えぇ~?! ぼ、僕はいつもと同じですよぉ!」

「いいえ、まるで別人のようでしたわ! 戦っているときは多少は男らしさがありましたのに…そのようになよなよしてばかりで、全く情けないこと! 貴方はわたくしの夫となる人なのですよ? これから家庭を守るべき方が、そんな弱気でどうしますの!」

 そこまで言うと、フェアラートはいったん言葉を区切った。息を大きく吸い込み、仁王立ちのままルーイに人差し指をビシッと突きつける。

「決めましたわ。ルーイ様には、どこの誰にも見劣りのしない立派な殿方になっていただきます! わたくし、全力でお手伝いいたしますわ! 手取り足取り、朝から晩まで、一から叩き直して差し上げますことよ!」

 呆気にとられるカザネ達。きょとんとフェアラートを見ていたルーイが、やっと理解したのか口をぱくぱくさせて後ずさる。

「え、えぇぇぇ?!」

「心配なさらないでルーイ様。貴方も元は高貴な血筋の男児なのですから、努力すればすぐに変身できましてよ! わたくしにお任せあれ!」

 さっきの剣幕はどこへやら、ニコニコと勝ち誇ったような笑みをたたえて彼女はルーイの腕をとる。ルーイは衝撃に腰を抜かしてその場にへたり込み、全力で首を横に振っているが、フェアラートがそんなことを気に留めるはずがない。

 遠巻きに二人を見守る隊員達。あんぐりと口を開けてみていたヴォルクが、肘でカザネをつついた。

「…おいおい、何かめんどくせぇことになっちまってるぜ」

 困った顔をしたアリアもカザネを見る。当のカザネは、何かを考えこむように顎に手を当てて斜め上に視線をやった。口元に怪しい笑いが浮かんでいるのは気のせいだろうか。

 必死で逃げようとするルーイを抑え込み、フェアラートが彼女らに向かって満面の笑みを向けた。

「そういうことですので、皆様もご協力をお願いいたしますわ♪」

 ヴォルクやユウキ達が答えに困って顔を見合わせる。しかし一人だけが空気を読まずに言い放った。

「おっけ~、全然協力しちゃう! どんどんやっちゃって!」

 カザネだ。高々と右手を挙手し、ウインクまでかましている。慌ててその腕を下ろさせ、フェアラートに見えない位置までカザネを引っ張っていくヴォルク。

「おい、何を無責任なこと抜かしてやがる!」

「えーいいじゃん、なんか面白そうだし☆」

「面白そう、じゃねぇよ! 大体、ルーイの意見ってやつは聞かねぇのかよ!」

 声を抑えつつヴォルクが言うが、カザネは全く聞く耳を持たない。あまつさえ、

「だってさ、おっさんもみんなも、ルーイがもっとカッコよくなったらそれはそれでいいと思うでしょ?」

「う…ま、まぁな。ウジウジ野郎よりはマシだと思うけどよ…」

「じゃあ大丈夫じゃん! みんなも嬉しい、ララちゃんも嬉しい、そんでルーイは素敵な旦那様に! ほら、問題なんか一個もないじゃない☆」

 と丸め込む始末だ。こうなっては誰の話も聞かないのがカザネの性格であり、それは皆もよくよく理解している。ヴォルクは諦めてため息を漏らした。くるりとフェアラートのほうに向きなおったカザネは声高らかに言い放つ。

「みんなララちゃんに協力すること! もちろん隊長命令で~す☆」

 手を取り合うフェアラートとカザネ。いつの間にかこの二人の間には女子の穢れない(?)友情が芽生えていたようだ。機体メンテナンスを終えたルカが入ってきて何事かと聞くと、二人は熱く、大げさに事の成り行きを説明し始めた。

 それまでひたすらに静観を決め込んでいたルリが、誰ともなく呟く。

「…花婿修行…」

「確かに」

 ユウキが語尾を拾い、二人はさっさとオペレーションルームを後にした。アリアもちらちらとルーイ達の方を気にしながら、それに続く。もう昼時だ、昼食の準備に向かったのだろう。

「あ~あ…こりゃ一波乱起こるな、絶対…」

 ヴォルクの呟きは、吐き出した煙草の煙と共に空しく虚空へ吸い込まれていった。

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