第七話 絵本の魔王
「遅くなったが、ようこそ魔王城へ!」
一通り自己紹介も終わったところで、チビッ子魔王のリーフェがそう言った。
「え? 魔王城?」
「そうじゃ。ちと狭いが、ここが魔王城じゃよ」
「それじゃあ、ここはその中の一室か?」
「……………」
何故黙る?
辺りを見回す。
床も壁も天井も、年季の入った木製だった。
備え付けの家具は、小さなクローゼットと普通のベッド、それと机とイスが二脚のみだ。後は適当に床に箱が転がっていた。
その他の要素としてはドアは一つ、窓も一つのシンプルな部屋だ。
そしてその窓はカーテンがかけられていて、外の様子をうかがい知ることは出来なかった。
こう見ると、とてもお城の一室のように見えなかった。
お城の一室にしては、ここは粗末すぎると思う。
「城というか……宿?」
「ぐっぬぬぬ……中々、鋭いのぅ……」
「……はい。ここは魔王城です……が、同時に宿の一室でもあります」
「つまり現在の活動拠点は、この一部屋だけだと」
「残念ながら」
まじですか?
いや、世界征服するとか言っていたから、もうちょっと……こうさ、気合の入った施設みたいなのがあるのが普通だと思ったんだけど……。
「しかし、今は質素な魔王城じゃが、これからもっともっと大きくなって、何時ぞやかの栄光を取り戻すのじゃ」
「そうです。頑張ればきっと取り戻せますよ」
「ああ、うん。頑張ろう」
前途多難な気がしたけれど、取りあえずそう返すことしか出来なかった。
「ところでさ、世界征服を目指すのは良いけれど、他の人はいるのか? まさかこれだけじゃないよな?」
「……………」
「……………」
「……まさか」
「そのまさかです。現在、魔王軍は総勢三人です」
つまり俺と、リーフェと、グレーテルさんの三人だけ。
………その三人だけで、どう世界を取れと?
「しかし、今は貧相な魔王軍じゃが、これからもっともっと大きくなって、何時ぞやかの栄光を取り戻すのじゃ」
「そうです。頑張ればきっと取り戻せますよ」
「……ああ、うんうん。頑張ろう」
あれ?
これ本当に大丈夫か?
世界征服どころか、町内征服も難しいんじゃないかな。
先ほどから現状を確認すればするほど、絶望的な現状を聞かされているように感じる。
「心配無用じゃ、キョウジロウ。妾が力を取り戻せば、何の問題もない」
俺の感じている不安を、リーフェは真正面から笑って切り捨てた。
「そういえばさっきから、力を取り戻すって言ってるけど、結局今はどういう状態なんだ? いまいち良くわからないんだが」
「……ふむ。それを説明するためには、聞くも涙、語るも涙の妾の話をせねばなるまい。グレーテル」
「はい。魔王さま」
リーフェの意を汲んだグレーテルさんは、古ぼけた机の上から一冊の本を取り出して、リーフェに手渡した。
カラフルな着彩が施された大判の本、どうやらそれは絵本のようであった。
タイトルを見る。
『ひかりのゆうしゃと、やみのまおう』
「これ、キョウジロウ。もっとこっちへ来ぬか。そこでは良く見えぬだろう」
「え?」
「妾が読み聞かせをやってやろう」
そう言って、リーフェは自分の腰かけているベッドの横をポンポンと叩いた。
俺は促されるままに、その隣へ腰かけたが──────
「何か近くない?」
「ん? そうか?」
肩と肩が触れ合う程の距離だ。
今までチビッ子魔王だと思っていたけれど、こうも真隣に座ってみると意外と緊張する。
何せパッと見や言動は子供っぽいながらも、その横顔は綺麗に整っていて、何だか良い匂いまでして落ち着かなかったからだ。
「どうかしたのじゃ?」
「いや、何でもない。それよりも早く読もう」
少しだけ、リーフェ相手にドキドキしてしまったことを自分でも驚く。
そのことを悟られるのも癪なので、急かすように本を読もうとした。
「そうじゃな。………これから話す物語は、今から500年前にあった出来事じゃ」
そう前置きし、リーフェは絵本のページを捲った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
むかしむかし、とてもわるい、まおうがいました。
まおうは、きにいらないことがあれば、あばれました。
まおうは、みんなのものを、ぬすみました。
まおうは、おいしいたべものを、ひとりじめしました。
そんな、まおうをだれも、こらしめることは、できなかったのです。
そう、まおうはとてもつよく、だれもかてなかったからです。
そこに、ひとりのゆうしゃがたちあがりました。
ゆうしゃは、なかまをあつめて、まおうのおしろにむかいました。
そして、まおうとたたかったのです。
まおうは3つのめ、4ほんのうで、そしておおきなつばさと、つのがありました。
ひをふき、かみなりをおとし、じめんをわるちからをもつ、おそろしいすがたでした。
けれど、ゆうしゃたちは、ゆうきをだしてたたかいました。
なかまたちと、ちからをあわせて、けっしてあきらめませんでした。
まおうのこうげきを、なんとかかわして、すこしずつおいつめていきます。
そしてゆうしゃのけんが、ついにまおうに、つきたてられました。
するとまおうから、ひかりのうずがたちのぼり、まおうはそのなかに、のみこまれていきました。
とうとうゆうしゃたちは、まおうにかったのです。
まおうは、ひかりのちからによって、うちほろぼされたのでした。
こうして、ゆうしゃたちによって、このせかいにへいわがもたらされたのでした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「さて、どうじゃ?」
一緒になって本を読んで、リーフェに訊ねられた。
絵本の内容は、そこそこにしか入ってこなかった。
何故かって?
この歳になって、絵本の読み聞かせは、予想よりも遥かに恥ずかしいからだ。
しかも見た目は、自分よりも幼そうな女の子にやってもらったのだから尚更だ。
何だか倒錯的な、性癖の扉が新しく開きそうな気がしそうだった。
だから俺は慌てて、その扉を閉じるべく、感想を言った。
「えっと、この絵本の魔王っていうのが……お前なのか?」
「その通り。自由気ままに生きておったら、突然勇者どもに襲われてしまったのじゃ」
「そりゃ暴れたり、盗んだり、好き勝手にしていたら、襲われもするんじゃないのか?」
「ぐぬぬぬぬぬ………。そ、それでも妾は強かったから、誰も刃向えんはずだったんじゃ……」
「でも負けたじゃん」
そう、この絵本の結末では悪の魔王は、光の勇者の手によって成敗されてしまっていた。
「あれは油断じゃ。油断さえしなければ、あんな勇者どもに後れを取ることなどありえなかった!」
「まぁまぁ、自分勝手な王が、勇者をボコボコにしたらお話に出来ないだろ」
「うぬぬぬぬ………。まぁ良い、とにかく妾は負けた。その時、妾は転移して逃げ……戦略的撤退をしようとしたんじゃ」
「転移?」
「そうじゃ。最上級の魔法で、特定の地点から地点へ、自分の身を移動させるものじゃよ。それで、それを使おうとした瞬間に…………うっ……」
「……ん? どうした?」
急に黙り込んでしまった、リーフェの顔を覗き込む。
瞳の色は元々赤かったが、今は目じりに涙を溜めて、ますます赤くなっているように見えた。
ほとんど半泣きだった。
そこにグレーテルさんが、よしよしと慰めるようにリーフェの頭を撫でた。
「やっぱり、こうなっちゃいましたか」
「やっぱり?」
「はい。聞くも涙、語るも涙の話ですので……」
「……ああ」
なるほど、聞く方はともかく、語る方が本当に泣く話なのね。
しかし半泣きになるなんて、よっぽど負けたのがショックだったのかな。
そう考えていると、グレーテルさんが話の続きを語ってくれた。
「お話の続きですけど、その転移魔法を使おうとした瞬間にですね、勇者が相手の魔力を一時的に吸い取るという、道具を使ったようなんです」
「魔力を一時的に?」
「そうです。それほど長い時間ではないもので、足止め程度に使われることが多かったものです。しかし丁度魔王さまの体は、転移を始めた所でした」
「つまり転移の途中で、魔力が吸い取られたということですか?」
「そうなんです。そのとき魔王さまは、どうなると思いますか?」
効果が出始めている魔法の途中で、魔力がなくなったらどうなるか?
一体どうなるんだろう?
「転移が中断されるんですか?」
「それなら問題なかったんですけどね。実は転移には開始時と、転移した後の場所の設定の二か所で魔力を使うんですよ」
「それは、えっと……転移したままどこにも出てこられなくなるという……」
「ええ。魔王さまは空間の狭間から出てこられなくなってしまいました」
うわ~。
それはトラウマになりそうだ。
空間の狭間なんて場所が、どんな所なのかは知らないけれど、ハマったらヤバそうな場所なのは理解できる。
「更に運の悪いことに、魔王さまは空間の狭間にいたので、勇者によって吸い取られた魔力はその帰る場所を失って、世界に散り散りになる形で消滅してしまったのです」
「なるほど」
「……その魔力を取り戻すのが、とりあえずの目標じゃ」
グレーテルさんに慰められていたリーフェは、少し気を持ち直したように話に戻ってきた。
「妾の魔力は世界中にある。それを何がなんでも取り戻すのじゃ!」
「ええ。頑張りましょうね」
「キョウジロウもよろしく頼むぞ!」
「あ、ああ。任せろ」
タダのいい加減なチビッ子魔王だと思っていたけれど、今まで苦労をしてきたことを思うと、大きく「任せろ」と言ってしまうのも無理はなかった。
しかしあの絵本で、気になることがもう一つあった。
そのことをどうしても確認しておきたかった。
「ところで、あの絵本の魔王みたいな三つの目とか、四本の腕とかは本当のこと?」
「いや、あれは嘘じゃ」
「絵本のための脚色でしょうね」
即答してくれた。
それが聞けて良かった。
見た目がいくら可愛らしくても、本性が三つ目に四本腕の怪物なのは精神衛生上よろしくない。
「そりゃそうか。いくら闇の魔王でも、勇者が可愛い女の子をボコるのは絵本としてダメだよな」
「う……うむ。そ、そうじゃな」
俺のちょっとした呟きに、リーフェは少し照れた顔を見せた。
それを見るとやっぱり泣いてるよりも、照れ笑いしている顔のほうが可愛いと思った。
それ以上言うと、多分調子に乗るから言わなかったけれど。