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8 夢幻の邂逅

 その日の夢は、少し違った。


 見たこともないほどきらびやかな調度品のしつらえられた立派な部屋で、詩野は笛を吹いている。

 彼の前には薄い布で仕切られた一角があり、薄布の奥には誰かがいる気配がする。

 高貴な人は顔を出さないと聞いたことがあるから、そういう人なのかもしれない。と笹は思った。

 詩野の横には黒い衣を着た男も座っていたが、詩野が薄布の奥の高貴な方の為に吹いているのはすぐにわかった。


 いつもであれば一つの風景を切り取ったようにしか見れないのだが、今回は詩野が吹き終えた後も夢は続いた。

 奥の方が笛を置いた詩野に何か話しかけたようだった。


 奥の声は聞こえないが、詩野はうなずいたり首を振ったりして器用に受け答えをする。

 一瞬、そんな身振りが止まった。

 思わぬことを聞かれたというように詩野は瑠璃の瞳を見張っていたが、すぐにその表情は笑みに変わった。笹は、あの夜笛をあげた時のようにうれしそうに笑う詩野に胸の奥がさわりと揺れた。


 なぜだろう、見ていたくない。


 黒い衣の男も会話に加わり、詩野をからかうように気安げに声をかけている。

 音はやはり聞こえないが、会話が弾んでいるのはよくわかり、ますますその思いは強くなる。

 なぜか、あの甘いにおいが強く香った。


 不意にざあっと強い風が室内を吹き荒れ、部屋を分けていた薄布を跳ね上げた。

 そこに座っていたのは身にまとうきらびやかな衣にも勝るとも劣らない美しい姫君だった。

 目を丸くして驚く姿もあでやかだ。

 素早く動いた詩野が暴れる薄布を抑えて、姫君はほっとしたように詩野を見上げて微笑んでいた。


 笹は、急に泣きたい気持ちになった。


 一瞬、瑠璃の瞳がこちらを振り返った気がしたが、美しい人たちから逃げるように笹は覚めようとする体に戻っていった。






 *********





 突然の強風に作為を感じた黒衣の男は腰を浮かせ、厳しくあたりを警戒していたが、それ以上は何も起きなかった。

 だが、御簾を抑えに回っていた友人が虚空を呆然と見つめているの気づき、声をかけた。


「詩野、どうかしたか」


 今の彼はしゃべることができないが、力を持つ同士であれば、意思の疎通はできる。

 もっとも、彼の声は他では考えられないほどたぐいまれなものであり、さらには彼自身もとある理由のために取り戻したがっているため、こうして努力を重ねているのだが。

 詩野は、虚空を見つめたまま心ここにあらずという雰囲気でつぶやいた。


 ”あの子がいた”

「あの子って、お前の神格上げに一役買っているあの娘のことか」


 男は困惑していた。あの娘は唯人だ。

 いくら詩野の形見を持たせていてもその効果は限定的なものだったし、この神域に来ることなどできないはずだ。

 ましてや術を心得ている陰陽師や高僧ならともかく、たかが人間の気配を悟れないほど男は己が緩んでいたとは到底思えなかった。


 ”水葉、どうしよう。あの子が泣いてた”


 詩野はようやく水葉と呼んだ男を見たが、その気が気でない様子に気のせいだと考える心は微塵もうかがえない。


「おい、落ちつけ詩野。ここにあの娘が来る理由……そういうことか」


 詩野を落ち着かせようと言葉をつむごうとした時、妙に甘い花の残り香が鼻をかすめた。

 その香りに覚えがあった水葉は自分のうかつさに気付き、あの突風の意図に舌打ちしたい気分になった。


「離魂の香を使ったな。全くでたらめなことをする。何の修行もしない唯人に使っていいものではないぞ。それにあの突風は大方身分違いだと突きつけようとしたか?」


 離魂の香という言葉に詩野の顔色が変わった。


 離魂の香とは、本来強く結びついている肉体と魂の結びつきを緩め、魂を離れさせることができる呪香だ。心得の無いものが扱えば、下手をすれば魂はさまよい続け、肉体は緩やかに死に向かう。

 もちろん、普通に手に入る香ではない。

 神仙や闇に通じるものしか知らない逸品を、誰かが娘にそれとは知らせず忍ばせたのだ。


「あの風には梔子の気配がいたしました。

 わが妹ながら感心しないことでございますが、水葉様のお考えの通りでございましょう」

「紫陽花殿……」


 奥の姫、紫陽花の姫に後押しをされるように保証された水葉は相手の術中にはまってしまった己の不甲斐なさにため息をついた。

 大方、あの女は詩野と紫陽花の姫が二人でいるところを娘に見せ、意志を削ぐつもりなのだろう。

 それで娘の魂が道に迷ってもよいと考えているのが透けて見えて気に食わない。


 そもそも昔の詩野がその標的になり声を封印されてしまったように、格下の者に気まぐれにちょっかいを出し翻弄されているのを楽しむのは癇に障っていた。

 詩野を助けるついでに釘を刺してやろうと思っていたのだから、出し抜かれたのは面白くない。


 どうしてくれようかとふつふつと闘志を燃やしながらも、青ざめた顔でいる詩野に努めて気楽に笑ってやる。


「良かったな、詩野。あの娘が迷わずここへ来たということはどうやら多少は脈があるようだぞ」

 ”そんなこと言っている場合じゃ……”

「とりあえず落ち着け。今の神格が不安定なお前じゃあ、会いに行っても娘が霊威にあてられて倒れちまう。だから、笛を取りに行かせたり品を置いてこさせるのを式にやらせたんだろう。それに娘がちゃんと体に戻ったのはお前が一番よくわかるはずだ」


 詩野はその声にぐっと言葉を飲んだ。確かに、形代として持たせた髪紐からは何の反応もない。

 とりあえずは無事ということだ。


「お前が、笛に娘の名までつけるほどぞっこんなのはわかってるが、今は耐えろ。神格を安定させるのが今のお前がやることだ」


 揶揄された詩野は頬を赤く染めながらも、決意の表情でうなずいた。

 そうして詩野と水葉は今は御簾をあげて座っている紫陽花の姫に向き直る。


「こういうことでありまして、俺も詩野もあまり時間がありません。どうかお力を貸していただきたく存じます」


 紫陽花の姫は吐息のような溜息をもらすと、広げていた扇をたたみ居住まいを正した。


「そうですね、前々から木霊こだま殿には何ら落ち度はないのに梔子がした所業は目に余ると思っていたところでございます。

 それに木霊殿がこの笛の方をどれだけ想っていらっしゃるのはお話してよくわかりました。木霊殿の恋したこの素晴らしい笛を作る娘に私もお会いしてみとうございますし、微力ながらお手伝いいたしましょう」


 かざした扇越しにほんのり笑みを浮かべた紫陽花の姫に、詩野と水葉は深々と頭を下げて謝意を表した。

少女が涙を流す中、すべてが動き始める。

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