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3 月夜の約束

 しばらくして涙をぬぐった白い少年は、初めて会った時よりもずっと明るい顔をしていてホッとした。


 少年はさっき笹がしたように上等な衣で笛の口をぬぐい、笛を返そうとしてくれたが笹はそれを断った。


「お前様にあげるよ」


 驚き、もらえないと言わんばかりに首を振る少年に、遠慮すんなと笑った。


「それはおらが作ったやつだもん。やるのも捨てるのもやめるのもおらが決めるんだ」


 少年の問いかける視線に、笹は嫁に行けなくなるからと父に笛づくりをやめろと言われたことを話した。

 話すうちに、止まらなくなって、悔しい気持ちや悲しい気持ちも思い出していたが、白い少年が笹の話を真剣に聞いてくれて、怒ってくれているのがわかったからうれしくて、話し終えるころにはずいぶん気が楽になっていた。


「父ちゃんの言うこともわかるし、おらにはどうしようもねえからなあ。せめてそいつだけは自分で埋めるために森にきたんだ。だからお前様がもらってくれれば笛もおらもうれしいんだ」


 白い少年は笹が出会った中で一番の吹き手だ。

 自分の楽しみで始めたことだったがそんな人に自分の一番の笛がもらわれていくのなら、笛を作れなくなっても心の支えになる気がした。


 白い少年は考えるように、笹と笛を交互に見つめた。

 瑠璃の瞳は吸い込まれそうに澄んでいて、笹を落ち着かない心地にさせたが、やがて大事そうに笛を胸に抱いてくれてほっとした。


 ”ありがとう”


 少年はゆっくりと唇を動かし、言葉の形を作る。

 華がほころぶような笑顔で紡がれた音のないお礼に、笹はくすぐったいようなこそばゆい気持ちになった。


「どういたしまして」


 弟や、村の友達以外に笛を喜んでもらえたこともうれしかったが、この美しい人に自分の笛を持ってもらえたことが誇らしかったのだ。

 白い少年は不意に、片方の手を胸に当てると、何かを伝えるように唇を動かした。

 一つの単語を繰り返しているのを見て、笹は白い少年が名前を教えてくれようとしていると気づき真剣に読み取ろうとする。



 ”−・−・。−・−”

「い・お?」


 笹が間違えると首をふり、もう一度繰り返す。


 ”シ・-”


「し・お?」

 

 ”シ・ノ”


「し・の?シノっていうのか?」


 ようやく当てることのできた笹も手を叩かんばかりに喜んだが、白い少年、シノも嬉しそうににこにこと笑う。


「おらは笹っていうんだ。小さい竹の葉っぱのことだよ」


 ”さ・さ?”


 詩野に確かめるように形作られた自分の名前がなんだか特別なものに思えて笹は照れ臭くて、笹はごまかすようにそういえばと、思ったことを口にした。


「シノっていうのはその笛を作った竹のことだな。シノの名前には意味があるのか?」


 待ってましたと勢い込むようにシノは地面に風に揺れる草原のようなものを書いた。

 それだけでは何が何だかわからないと思いかけたが。


「ああ、歌うような風の吹く野原で、詩野か。きれーな名前だな」


 詩野はその通りだとうれしそうに笑ってくれて、笹はなんでわかったのか不思議に思ったが、そういうこともあるだろうとくに気にはしなかった。


 ふと詩野は、手に持ったままの笛を見やり、笹に問いかけるように首をかしげた。


「笛に名か?付けたことないよ」


 思わぬことを聞かれた笹は詩野が残念そうな表情をしたので、驚いた。


「なくて寂しいんなら、詩野がつけたらいいよ。それはもう詩野のものだもん」


 笹が慌てていうと、詩野は戸惑ったようだが妙にまじめにうなずいた。

 すると、詩野はまた小枝で何かを書き始める。

 その様子があまりにも真剣で、戸惑いつつも覗き込んでいたのだが。


 笹はそれを本物は見たことはないが、絵巻物のようだと思った。

 左端には詩野と笹が描かれ、上のほうには満月がかかっている。

 隣には落ち葉を散らす紅葉の木が、その隣には雪が積もった松の木が、さらに隣には花をが咲いた桜が描かれていた。

 そうして最後に描かれたのはまた満月で。

 そこには最初と同じように笹と詩野が描かれ手を取り合っていた。


 多分、最初の満月は今の笹と詩野のことだろうと笹は考える。

 三本の木はきっと秋と冬と春のことだ。

 すると最後の満月は……

 たどり着いた答えに笹は勢い込んで尋ねた。


「また、おらに会いに来てくれるのか?ここで、ほんとに?」


 詩野がうなずくのを見るや、笹はこの美しい少年との約束に喜んだが、ふとあることに気付いて落ち込んだ。

 そうだ、笹はそう遠くないうちに嫁に行くかもしれないのだ。

 それが近くの村だったら会いに行けるかもしれないが、遠くだったら笹はここに来れないだろう。


 こんな素敵な友達ができたのだ、これっきりにしたくないと相手が望んでいるのなら、笹だってそれがたとえ十年も二十年も遠い先でも、もう一度会いたかった。

 それくらい、詩野といるのは心地よかった。

 だから、来なくていいとは言えなかった。

 ほんの少しの望みでもあったらいいと思ったから、断れないのを申しわけないと思いつつ、


「それはすごくうれしいけど。もし、おらが行けなかったら……」


 ごめんなあと、謝ろうとした笹の手を詩野はぐっと握った。


 ”迎えに行くから”


 心の準備もなく真摯な表情の秀麗な顔が目の前に迫った笹は、恥ずかしいやら照れるやらで混乱の極みに達してあわあわとした。


 ”私は笹と一緒に居たい。一年待っていて”


 詩野が何を言いたいのか読み取ることができなかったが、己の名前と、”いちねん”という単語だけは読み取れたからともかくうなずいた。


「一年後だな。わかったよ、分かったから早く離れてくんろ」


 白皙の美貌をそれ以上直視できずに笹は真っ赤になった顔をうつむけていたから、詩野が笹をせつなげにもどかしげに唇をかみしめた後、何かを決意したように瑠璃の瞳に力がこもったことに気付かなかった。


 影が動いたことで美貌が離れたことを知った笹は息をついたが、詩野が手を放そうとしないのが気になり、おずおずと顔をあげた。


「あの、手、離してくれんか?」


 気恥ずかしくてもじもじしながら見上げた詩野に、笹はなぜか近所のいたずら好きの子供が大人たちに罠を仕掛けているときのことを思い出した。


 詩野は笹の手を取ったまま立ち上がると、とん、とごく軽い調子で地を蹴った。

 それだけであっという間に周囲の木々を超えるほどの高さまで飛び上がったので、心の準備もなかった笹はひょえええと盛大な悲鳴を上げた。

 詩野は成功したと言わんばかりに楽しそうに笑っている。


 ふうわりと着地したのはひときわ高い大樹の枝で、あんまりの高さにまた声をあげかけた笹だったが、詩野に指さされて見上げた空ははっとするほど広く、満天の星々はもちろんいつもよりずっと大きく見える月まで手が届きそうだと思ったらぽけっと見とれて忘れてしまった。


 ぼうっと見とれる笹に詩野は微笑むと、促して木の上に並んで座った。

 そうしていつの間にか懐にしまっていた笛を取り出して吹き始めた詩野と笛の音に笹はうっとりと聞き入った。

 晴れ晴れとした夜空にかかる満月を背景にさえた月明かりに白く浮かび上がる詩野はそれは美しく、澄み渡るような笛の音が軽やかに宙を舞う。


「きれいだなあ……」


 思わずこぼれた言葉に、詩野が笛を吹いたまま目の端で微笑んだ。

 その瑠璃の瞳が自分を見ているのがとてもこの世のこととは思えなかった。

 でも、確かに詩野は隣にいて、笹に笑ってくれている。

 この幸せなできごとは、きっと一生忘れないだろうと笹は一緒になって笑っていた。



一夜の夢。だがそれは希望となる。

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