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笛愛づる娘と音霊の神霊  作者: 道草家守


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11/16

11 危機



 幼いころからの癖で、大事な笛は常に懐にしまっておいたのが幸いした。


 笹は暗い野道を風を切るように走り、何度も通った野原へとたどり着いた。

 いつの間にか雨はやみ、雲の切れ間からは大きな望月が覗き、冴え冴えとした光を降り注がせていた。

 あの夜のような美しい月に、笹はもうたまらなくなった。


 ただ一目でいい、どうしても詩野に会いたかった。


 笹は懐の上から握りしめていた笛を取り出し、ありったけの思いを込めて息を吹き込んだ。


 笹の心のままに、悲哀に満ちた調べは瞬く間に野へ広がった。

 その悲しみに満ちながらも美しい音に一足早く鳴いていた虫や、夜に活動する生き物、ざわりざわりと葉を揺らしていた草木、時折吹く風でさえも、その笛の音に耳を澄ませるかのようにぴたりと音を立てるのをやめていた。


 振り絞るように吹ききった笹は、ふと何かが野に現れていることを感じた。


「人の子のくせに、神に恋をするなんて大それたことをよくできたものね」


 笹と少し離れて立っていたのは美しい唐衣をまとった女だった。

 長い髪を地面まで垂らした、梔子色の瞳の目元の切れ上がった美しい女だ。

 開けた土地で月も明るいとはいえ、鮮やかな苗色重ねの衣の色や美女の冷然とした様子まで見て取れるのはこの人も詩野と同じモノなのだろうと、笹は理解した。


「わざわざ穏便に分をわきまえさせようと、夫婦になる男に言祝いでやりましたのに。

 厚かましくも未練たらしく笛を届けようとするなんて、結局、妾が出てこなければならなくなったわ」


 山梔子色の美女はどうやら笹に怒っているようだった。

 立ち上るような不機嫌さのままぎろりとにらみつけられ、あまりの迫力に笹はひっと後ずさった。

 反対に、美女は追いつめるように一歩踏み出した。


「そもそも、どうして木霊はこんな小娘の笛を大事にしているのかしら。

 声を戻してあげると申しましたのに笛を手放したくないから断るなんて」


 会話など望まない一方的な独り言だったが、笹は”声を戻す”という一言に思わず尋ねていた。


「お前様は、詩野の声を戻せるのか」


 美女は柳眉を逆立てた。


「詩野……? あなた、木霊に名を教えられたの!?」

「へ……?」

「名前を教え呼ぶことを許すのは、力あるものにとっては強い縁を結ぶ行為なのよ。

 名という己の一部を預けることによって、思いを共有することさえできるのに。

 それこそ特別だと言っているようなものじゃない!!」


 もしかして、あの時はそれで詩野の言いたいことがわかったり夢をよく見たりしたのか。

 美女の話に納得するしながらも、あまりの剣幕に笹はその場から逃げ出したくなった。

 だが、ぐっとこらえてそ場にひざまずき、まっすぐ美女を見上げた。


「詩野は声を無くして泣いていました。おらにできることなら何でもします。

 どうか詩野の声を戻してあげてください」


 地につくほど頭を下げて一生懸命頼んだが、美女は笹が言葉を発するたびに怒気が増すようだった。


「たかが小娘の分際で、気軽にアレを呼ばないでちょうだい!!」


 美女の怒りに引きずられるように、夜空をどす暗い雲がおおい、生ぬるい風が強く吹きだす。

 雷鳴まで落ちようかという不穏な音に震えながらもひたすら頭を下げ続ける笹に、美女は不愉快さに眉をしかめていたがふとよいことを思いついたとにんまりと笑った。


「木霊の声、戻してあげてもよいわ」

「本当か!」


 ばっと顔をあげた笹を見下ろし、美女はうっとりとほほ笑んだ。


「あなたがもう二度と笛を作らないと誓うなら、ね?」

「それは無理だ」

「……は?」



 あまりにも早い拒否に美女はあっけにとられた。



「笛が作れない時間があって初めて分かった。

 おら、笛作ってねえとなんもできなくて死んじまうもん。それ以外のことにしてくれないかな」


 心底申し訳なく言う笹に、得体のしれないものを見る心地になった美女だが、すぐに我に返った。


「なら、そうね。あなたの命と引き換えがいいわ」

「へ?」

「あれの言霊には癒しの効能があるの。神々がこぞって所有したがる貴重なものよ。あれの神力そのものでもあるから、小娘程度の命で返してあげようというのだから安いくらいだわ」


 笹は言われたことが理解できなかった。


「そうよ初めからそうすればよかったわ。

 これがいなかったら木霊もすぐ泣きついてきたでしょうし、ずっと早く妾のものになったのですもの。妖どもの嫌な流行りも立ち消えるでしょうし、一石二鳥だわ」


 なんで気づかなかったのかしらと晴れ晴れとした顔で言う梔子色の美女に、笹は背筋が寒くなった。

 本気で笹を何とも思っていないとよくわかったからだった。

 村で奉じていた神様とも、詩野とも違う、笹とは決定的にちがう思考を持つその存在に震えが止まらなかった。

 かといって笛を作れなくなるのも同じだ。

 それだけはもう譲れないと、笹はもう心に決めていた。


 がちがち震えながらも瞳の強さを失わない笹に少々不満だが、それでもようやく望みの反応が得られたと美女は目を細めた。


「大丈夫、痛いのは一瞬だもの」

「おらが、死んだら、詩野に声が戻ったかわからないよ」

「またそんなに気安く! ……まあいいわ。そんなのあなたは知らなくていいの。よりどころを無くしたあれは唯一の頼みとしてきっと妾のもとに来るもの。そうしたら返したも同じだわ」


 そんなんじゃ返したことにならない!と心の内で叫んだが、美女の周りには一段と黒い雲が集まってきていてバチリと雷光が飛ぶのに怯えて、声は出なかった。

 優雅に衣をまとった繊手が上がり、周囲の黒雲がゴロゴロと音を響かせる。


「では、さようなら」


 足も萎えて動けない。逃げることはあきらめた。

 せめて、笛だけは詩野に届くといいなあと思いつつ、あまりの稲光に視界を焼かれる中、無駄と知りながらも体を丸めた。


 その時。


 ふうわりと、優しい涼風が笹を包んだ。





少女は予感に心を震わせる。

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