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 言い訳をするのなら、最初から気になる存在だったんだ。だから、他の人とは違って、どうにも声をかけることもできない。でも、なにか話をしたい。しかし、正面から見据えられると、優しい言葉が出ない。お茶に誘うことも、軽く触れることも、何もできず、ただ厳しい言葉だけが自分の意志に反して出てしまう。

 長月さんは、俺にとってそういう存在だ。

 気になってしかたがないのに、いざ顔を合わせると辛辣な言葉が口をついて出てしまう。

 どうにも、30歳にもなって恋煩いをしているみたいで……実際、そうなのだが、自分自身が嫌になる。緊張して好きな子に悪態をついてしまうなんて、小学生のようだ。


 俺はそんなことをぼんやり思いながら、部下の訴えを聞いていた。

「この際だからはっきり言わせてもらいますけど、仕事を放り出して、無責任だと思います。伝票を拾うのに、どれだけ手間だったか! 課長、私、長月センパイと一緒にやっていく自信がもてません」

 しかし、俺は長月さんの仕事には信頼を置いている。

 朝からずっと仕事もせずに営業部に遊びに行ったなんてにわかには信じられない。

 考え込んでいると、長月さんの後輩に当たる女子社員が、吐き捨てるように続けた。

「きっと花形の営業部に男あさりに行ったんじゃないですか?」

「……話は分かった。本人と話をしてみるよ」

 いきり立つ女子社員をなだめるように落ち着かせ、席に戻らせる。

 男あさりに?

 そんな……。

 絶望的な気分になった。まさか、そんな、長月さんに限って……!

 しかし、男あさりなどとは言葉は悪いが……、長月さんは確かに結婚適齢期だし。特定の男性とお付き合いをしているという噂も聞かないし。

 ……。

 まさか、恋人……いや、結婚相手を社内で探しているのだろうか?

 婚活?

 最悪、もうすでに営業部に意中の相手が居るとか?

 胸中の悲惨な想像をおくびにも出さず書類に向かう。

 ただ、彼女が他の男を見ていると考えると、勝手なことだけれど腹がたって手が震えた。


 程なくして戻ってきた長月さんに、ついキツイことを言ってしまった。

「営業部に足りない伝票を取りに」

 顔色一つ変えず出てきた彼女の言葉に、カッと胸が熱くなる。

 本当は男を探しに行ったんじゃないのか?!

 問い詰めたくなって、必死に別の言葉を探した。

「言い訳はいい。まったく仕事も進めず、花形の営業部に媚を売りに行ったと。長年務めているからといって、勘違いも甚だしいな。長月さんは庶務課の事務員だ。何か行動する場合は報告をする。当たり前のことができないのか。いったい何年社会人をしてきたんだ!」

 俺の指摘に、長月さんはぽかんとして一瞬首を傾げた。

 まさか、本当に図星なのか?

 必死に否定しないのは、それが本当で言い訳できないからなのか?!

 イライラとしてきた俺に、更に追い打ちをかけるように長月さんは丁寧に頭を下げた。

「申し訳ありませんでした」

 それは、何の言い訳もない、彼女のいつものお詫びスタイルだった。

 何に対して申し訳ないのか分からない。やはり、営業部に男をあさりに媚を売りに行ったのか? そのことを謝罪しているのか?


 時間をおいて、自己嫌悪に陥る。

 長月さんに限って、仕事を放り出すわけないじゃないか。

 彼女は、小さな文具を自前で用意して、いつも黙々と仕事をしている。例えば、豚の文鎮。あれは、可愛かった。ちょこんと机に置かれた豚を、庶務課に訪れる社員が何人も覗きこんだくらいだ。普段はあまり喋らないし派手な印象もない長月さんが、何故豚の文鎮を? そのギャップに、俺は机を影にして肩を震わせて笑いをこらえた。

 付箋だって、毎月変わる。確か、先月は赤ずきんちゃんをモチーフにした付箋だった。今月はシンデレラのようだ。テーマに沿った付箋を、大中小と揃え几帳面に真っ直ぐ書類に添付する。黙々と仕事をしながら、付箋だけちょっとカラフル。その文具の可愛い主張が、なんとも俺のツボを刺激する。

 長月さんの作る資料は、見やすい。余計なことは一文字もなく、欲しい資料だけを抜粋してまとめ上げるのだ。おせっかいのコメントも、邪魔になる解説もない。しかし、コピーで文字が潰れていたりすると、その部分には可愛いメモ用紙で注釈を入れてくれたりする。俺は、そんな長月さんの作る資料を手にするのがすごく好きだ。

 ただ、そういった思いは、素直に伝えられない。

 可愛くて笑ってしまいそうで。

 それを誤魔化すために、いつもしかめっ面になってしまう。

 話を戻すが、つまり、そんな長月さんが朝から仕事を放り出して男あさりにいくか? ということ。

 行かないだろうな、と言う結論。

 長月さんに豚の文鎮を返しに来た研究職の男子社員。あの男が、自然な振る舞いで長月さんと会話する。俺は二人を睨まないよう必死に我慢するハメになった。勝手に彼女の文具を持ち出すなど、言語道断だと思う。が、その背後で二人が会話するさまを睨みつける女子社員に気がついた。

 ああ、と。

 おぼろげながら、理解する。

 女性の嫉妬は怖い。

 女子社員が多く在籍する庶務課の俺だから、それは身にしみて分かっているはずなのに。

 長月さんの悪事を訴えた後輩の社員の話だけを鵜呑みにしてしまった。


 やがて、長月さんが帰り支度を整え部屋を出る。

 なんとか引きとめようと言葉を荒げてみたが、逆効果だった。

 ふらつく背中を見つめ、声をかけようか迷う。

 何より、あのまま一人で歩かせて大丈夫だろうか?

 実際かなり体調が悪いみたいだし……。

 うだうだ考えて、最後に俺は立ち上がった。

 彼女の行動を全て誤解して、的外れに怒鳴り散らして、それをそのまま放ってはおけない。

 彼女が出ていってから、少し間があいてしまった。

 部下に少し留守にすることと今後の指示を与え、長月さんを追いかける。

 もうビルを出てしまったかもしれないと思ったが、丁度ビルを出る寸前の長月さんを見つけることができた。

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