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 簡単に言い訳をするなら、今日はとてつもなく嫌なことが重なった。

 まず母からの電話で叩き起こされた。

「もうすぐ28でしょ? 都会の真ん中で、狭いマンションに一人で、寂しくないの? だれか良い人はいないの? あと何年、そうしているつもり? 事務員のお給料じゃあ、将来老人ホームにすら入れないわよ? 体を壊したらどうするの? 誰も助けてくれないわよ? ね、結婚の話考えてくれた? 隣町の駄菓子屋さんの長男との縁談、考えてくれた?」

 寝起きに、これである。

 確かに私はしがない事務員だ。都会の真ん中で狭いワンルームで一人暮らしで、彼氏もいなくて、正直、日々の仕事だけの生活に疲れていると思う。

 でも、母の用意した縁談は、つまり田舎に帰ってこいと言うことで。それは、嫌だった。

 彼氏はいなくても……、気になる人はいるのだ。

 彼氏じゃないけどね。だから、田舎の駄菓子屋の長男との縁談は嫌だった。

 母の電話をいつもの様に聞き流して、適当に理由をつけてガチャ切りする。

 なんだか、身体が重い。

 気になって体温を計ると37度の微熱。

 微熱で会社は休めないな、と。のろのろ出社した。

 それだけで気分は最悪なのに、出社して、いつもは入らないトイレに入って、聞いてしまったのだ。

「長月センパイって、これからどうするんだろ? 人生につかれたっていうか、事務員のくせに何年も正社員で居座って、しがみついて、哀れだよね?」

「職場結婚でも狙ってるんじゃない? まぁ、無駄だと思うけど?」

「ねー、お化粧だってなんか古臭いし。神無月課長だって、長月センパイには厳しいじゃん? 嫌われてるよねー」

「はっきり言うけど、お局様だよねー」

 キャピキャピとした女の子達の声がトイレに響く。

 ああ、お化粧直しに来たんだなーと、ぼんやり考えた。

 長月センパイと言うのは私のことで、神無月課長というのは社内でも人気のイケメンのことだ。30歳で、独身で、決まった相手がいるわけでもなくて、誰にでも仕事は厳しくしかし優しいフォローも忘れないと言う。アイドル的課長だ。

 嫌われてるよねー。

 嫌われてるよねー。

 嫌われてるよねー。

 後輩の声が耳にこだまする。

 やっぱり、周りからもそう見えるのか。私もそう思います。なんとなく、空気っていうか、私と話す時のテンションがもう低い低い低い。

 自分の席に帰り、伝票を仕分けする。

 自分でもうすうす感じていたけれど、他人の口からはっきりと聞かされるとショックだ。

 最悪な気分で仕事をはじめた。

 ところが、これだけじゃなくて。

 伝票を整理して気づいたけれど、数が全然合わない。聞いていた枚数と実際の枚数が数百単位で違うのだ。内線で営業部に確認すると、信じられない言葉が返ってきた。

「いや、長月君。新人の子、いじめるのやめてくれないかな。睨まれて、驚いて、君に伝票の追加を手渡せなかったって、泣いていたよ?」

 心当たりはない。

 どうせ、庶務課に持ってくるのを忘れてそのまま外回りに出かけて、怒られるのが嫌で嘘をついているんでしょう? と、怒鳴り散らしたい思いを強靭な精神でこらえる。

 だいたい、社会人のいい大人が、睨まれて泣くか?

 それ、絶対、嘘泣きだよね。

 言いたいことは山ほどあるけれど、とにかく伝票を取りに行く旨伝えて受話器を置いた。

 作業中の伝票をクリップで留め、付箋で仕分けの場所に目印をする。窓は開いていない。いつも使っている豚の文鎮を探したけれど、机に見当たらなかった。誰かが持っていったか使っているか。あれ、一応私の私物なんだけど、と。心の中で抗議して、ファイルを重し代わりに伝票に乗せた。


 そして、私は営業部の皆さんの、新入りを泣かせた酷い女という冷たい視線を浴びながら伝票を手に入れた。

 誤解だけれど、誰にそれを訴えればいいのかわからない。

 だって、みんな、もう私が全て悪いと信じちゃってるもんね? 今更声を大にして言い訳を並べても、保身のための嘘だと思われるよね?

 私は、重い体を引きずって庶務課に帰ってきた。


 だから、言い訳をするなら、今日はとてつもなく嫌な事が重なって、イライラとしていたのだ。注意力も緩慢になっていたと思う。

 自分の席に戻ると、作業中の伝票が綺麗サッパリ無くなっていた。

 不思議に思い、席の周りを確認する。

 誰かに伝票の在り処を聞こうとするが、何故かみんながみんな私と視線を合わそうとしない。それどころか、不満気に私を睨んできたり、不愉快な視線を向けてくる。

 いったい、何がどうしたのか。

 呆然と立ち尽くしていると、背中から怒気をはらんだ声が聞こえてきた。

「やっと帰ってきたか。休憩を取るなとは言わないが、みんなは懸命に仕事をしているのに、ちょっとでも申し訳ないと思わなかったのか? 午前中に伝票を振り分けなければ、他所の課に迷惑がかかるんだぞ」

 声を荒げる事はなく、ゆっくりと低い声で私に詰め寄る。

 怒りに顔を歪ませている、目の前の人こそ、社内でも人気のイケメンで、30歳で、独身で、決まった相手がいるわけでもなくて、誰にでも仕事は厳しくしかし優しいフォローも忘れないと言う、社内のアイドル。神無月課長その人だった。

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