樹下の友
鋤がだんだん重たくなってきて、酒が切れてきやがった、と思う。水代わりの薄酒を腰にぶら下げて、長屋の家主に借りた鋤を持って、川の土手へとやってきた。河っ端は他所よりよっぽど風が冷える。酒の回っているうちは良かったが、それでも額に浮いた汗を拭って体を起こすと、これまで遊んでばかりだった腰が冷や風に吹かれて痛んだ。日が暮れやしねぇか、と辺りを見たが、春の日は長い。暗くなるにもまだまだあるだろう、手を動かせば大抵のことはその内終わる。酒を口に含み、ゆっくりと飲み下した。
「酔狂だよ、本当に」
呟くが、誰にあてた言葉かは知らない。
まだまだ下だったろうか。それとも、場所はこれで合っているのか。何にしたって物覚えの悪い頭だ、てんで見当違いの場所にいるのかも知れない。が、それもすぐに思い直した、ここで間違いはない。土手の桜並木の一番端の、木の根が人の座っているように見える、その一点。馬鹿桜と呼ばれた、花の咲かぬ樹。咲くことも、自分が桜だというのも忘れてしまった、古い古い木。ここだ、ここを掘ればいいのだ。目当てのものに当たるまで。
木の下の土は固い。とにかく根がはびこっていて、人が集まるから散々踏まれて締まっている。おまけに借りた鋤も随分手入れしてなかったと見えて、刃の部分に錆が浮いていた。乱暴に足をかけて踏むと鈍い音で、柄が軋んだ。
「もうこんなに根が出てやがらァ」
鋤の刃が細かな根を千切る感触。崩した土を除け、小さく笑った。馬鹿なことをしているものだ、埋めた時も、掘り返している今も。あの時だってそうだ、止しゃあいいのにと賭場の仲間にはさんざ笑われて。いつもは気のいいつぼ振りが怖い顔をして言った。嗤い者になればまだいい、変に目ぇつけられりゃあ、目明し連れて歩きまわる羽目になるぞ、と。ざくり、とさらに鋤を下ろして笑みを深める。
「馬鹿たァ、あれと一緒か、厭になるなァ」
つぼ振りに応えた自分を思い出す。気の抜けた声で一言、だろうなァ、と。ため息ばかりが返ってきて、付け加えて応えた。約束しちまったモンはしようがあるめぇ、と。寝言だってもう少し気の利いたことを言うのに。これは誰の言葉だろう、もう何年も前のことだ。
なかなか掘り進まないまま、瓶子と日ばかりが傾いた。風はいよいよ冷えてきて、向こうの山のお寺から、暮れ六つが聞こえてきた。いけねぇ、とのたりのたりといい加減に掘っていた手に、ようやく確りと力を入れた。
「こんなに深かったかァ?」
腰まではまった穴から土を掻い出す。
「それとも、あれから自分でもぐっちまったのか、テメェはよぉ」
馬鹿にするように呟いて、投げやるように鋤を立てる。
――こつん。石とも根ともないものに当たって、ほう、と息をついた。こんな所にあったのか、いや、居やがったのか。鋤を放って、指でその下を掘ってやる。暮れまだきの薄闇に、うっすらとその白いかたちが浮かぶ。土に汚れた一つのされこうべ。袂でぐいとその額を拭いてやる。ついていた肉が削げ落ちても、平生絶えなかった笑みは、まだこれにしっかり張り付いていて。けっ、と吐き捨てて、その場に座り込む。何とも力が抜けてしまった。
「骨になってまで笑えりゃあ、上等な人生だよ、馬鹿野郎が」
歪に笑ってやると、されこうべもにんまりと笑みを深めた。くく、と背中を丸めて笑う。風邪も寄らない頭蓋の主は、何を間違えたか流行り病でぽっくりと死んでしまった。下らない話が遺言になってしまうほど、可笑しいこともない。涙が出るほどに、声をあげて、されこうべを膝の上にして笑った。震える足の上で、そいつもかたかたと歯を鳴らして笑った。
あいつは――こいつは、言った。
馬鹿ならよぅ、教えてやらねぇとさ、桜だと思い出させてやらねぇとよぅ。
そうして、じっとこっちを見て言った。俺の頭はこっちに埋めてくれと。
「まぁ、馬鹿には馬鹿同士にしかできねェ話もあったモンだ」
呟いて、穴から這い上がり、すっかり月に照らされている馬鹿桜を見あげる。
ざぁ、と風が吹く。花が舞う。思い出したように咲く、満開の桜だ。
穴の傍に腰かけて、されこうべを隣に置いてやる。薄酒をあおり、残りを全部こうべにかけてやった。薄酒だろうが、肴が上等なら、文句はねぇだろう。
「馬鹿にしたもんじゃねェなァ」
されこうべに風が当たって、応えるように音が鳴る。
「好い夜桜だ、そうだなァ」
久方ぶりに酌み交わす友は、白い面で満足そうに笑う。