第三話
雨が、降っていた。
悲しみ全てを表すかのような空の涙が、体力を奪っていく。
そんな雨の中、広大な海の上で今、三つの命が消えかけていた。
「父さん! 母さん!」
ボロボロに壊され、今にも海の底に引きずり込まれそうな船の上で、少年の悲痛の叫びが木霊する。
「お前は生きろ! 生きて―――」
「強く生きなさい! 私たちの―――」
自らの体が海の水に半分以上に浸かりながらも構わず、少年の親たちは叫ぶ。
眼前に迫る脅威から、最愛の息子を守るために。
そんな両親の姿を見て、少年は目を逸らしてしまう。
幼い心でも分かっていた。愛する者を失う痛み。
だが、どれだけ叫んでもその愛する者との距離は縮まらない。
そして、悲劇は起こった。
ズズン…!
全てを揺らすような音と共に、船体が大きく傾き少年の体は投げ出されてしまう。
その中で見た、両親が波に浚われる姿。
もともとボロボロだった船が、綺麗に真っ二つに割れて海の中へ沈んでいく様子を。
バシャァン!
悲劇を見た少年の意識は、海面に叩き付けられると同時にぷっつりと切れた。
「―――うわぁぁぁ!!!」
かけられた毛布を蹴り飛ばしながら、ユーブメルトは文字通り飛び起きた。
彼の寝巻であるシャツはたっぷりと寝汗を吸い込み、べとべとになっている。だが、その事を気にする余裕はユーブメルトにはなかった。
顔を引き攣らせ、先ほど見た光景に目を瞑る。
―――10歳になったばかりの頃に経験した、凄惨な事件だ。
「…くそ…。…もう、見ないと思ったのにな…」
顔を手で覆いながら、ユーブメルトは呆れとも取れる感情をあらわにする。
「……仕方ない…って割り切れてたんだけどな…」
人はいつか必ず死ぬ。そんな当たり前のことを知っていても、大切な者を失う悲しみは簡単に拭えない。
「……ま、今はとりあえずシャワー浴びるか。その後に飯だ」
いつまでも沈んだ気分ではいられない。
そう思ったユーブメルトは、まずはべたべたになってしまった体をさっぱりとさせるためにベットから動いた。
「よーユーブメルト。昨日はよく眠れたか―? いや、今日か?」
「昨日だよ。相変わらずめんどくさい髪型してんな、お前」
「な! 馬鹿にしてんのか、お前!」
「馬鹿になんかしてねーよ、不幸少年」
「おまっ! 絶対馬鹿にしてるだろ! そして楽しんでるんだろ、このサド!」
朝。登校してきて早々絡んで来たセリスクをあしらいながら、ユーブメルトは自らの席に座る。
窓際の一番後ろの一つ前の席、それがユーブメルトの席だ。何とも中途半端だが、ユーブメルトはその席が気に入っていた。
ちなみに、セリスクの席はその二つ前の一番廊下側。スフィアは体格のためもあり一番前の真ん中、ユミナはユーブメルトの真ん前だ。
そのため、とある事から気まずい関係になってしまっているユーブメルトとスフィアは、少し授業が憂鬱なのである。
だが、受けるものは受けなければならない。彼らは学生なのだから。
適当に授業の確認を行うために、ユーブメルトがノートをめくっていると、その彼に声がかけられた。
「レディナス。アンタに客が来てるわよ」
「客?」
声のかかった方に向き直りながら、ユーブメルトは怪訝な声を上げた。
声をかけてきたのは少女。少し幼くも見える印象ではあるが、体躯はユミナ程度だろうか。
ユーブメルトの髪よりもさらに赤い赤毛は、頭の横部分で一つに纏められている。時々揺れる髪の房の根元にある黄色い棒のようなものが印象的だ。暗く深い紫色の瞳が、まっすぐにユーブメルトを射抜いていた。
声をかけた少女は、クイッと言う音が付きそうな速度で首を振ると、顎で自らの後ろを示す。
その動きにつられたユーブメルトが見たのは、二か月に一度必ず見る光景だった。
「やぁ。元気にしてたかい、ユーブメルト君」
男としては少し高いぐらいの声で、気さくに手を振りながら歩いてきたのは、艶やかな蒼色の長い髪の毛をなびかせて入ってきた少年。
長いと言っても、それは肩を超える程度。ユーブメルトと同じ黒曜石のような黒い瞳は、端正な顔立ちと相まって輝いていた。
そして、その表情は今、喜びに彩られている。
「…またお前か。毎回来なくていいだろうに、高濃度魔力研究科から」
「いえいえ、毎回来ますとも。私はあなたを認めているんですからね、ユーブメルト・レディナス君?」
「…俺はもういい加減うんざりしてるよ。レオリス・エンディー」
名前を呼ばれたことに、レオリスと呼ばれた少年は顔を綻ばせる。
そして、その笑顔にクラスの大半の女子がため息を吐く。
この少年、レオリス・エンディーは美形である。尚且つ、その言動や魔力測定会での成績が常に上位であることもあり、その人気は凄まじいものがあるのだ。
つまりはアイドル的な存在なのである。
普通、他の男子どもから反感や妬みを買いそうなものなのだが、それは彼が入学してこの地位を確立してから一度もない。
その理由は、ユーブメルトだ。
「今回こそは、あなたの本当の実力を見せてもらいますよ? そして、その暁には私と戦ってください」
「嫌だねめんどくさい」
「…ふむ、今回も断られてしまいましたか。ですが、私は諦めませんからね。そして、今回の結果も楽しみにしていますよ」
そう言いながら、レオリスは自らのクラスに帰るために踵を返す。
その堂々とした歩く後ろ姿を見ながら、ユーブメルトは大きなため息を吐いた。
「…はぁぁーーー……いい加減あきらめろって」
『落ちこぼれ』と『優等生』。それが、教師や全校生徒から貼られているレッテルであり、二人に対する共通認識だ。
そんな二人がなぜ接点を持っているのかと言えば、ユーブメルトに原因がある。
『極端』。その言葉こそが、ユーブメルトの落ちこぼれたる所以だ。優等生と言うのはその名の通りであるし、落ちこぼれもまた同じ。
そんなレッテルを張られた上で、ユーブメルトはさらに極端な才能、稀有な才能を持っているのだ。
「アンタも大変ね。『貴公子』にあれだけ目を付けられて」
レオリスにつけられた、あだ名とでも言うべき呼称を口にしながら、先ほど話しかけてきた少女が再度ユーブメルトに話を振る。
「まったくだ。何なら変わってみるか、委員長」
「止めてよね。それに、別にアンタを心配して言ったわけじゃないから。それに、委員長は止めなさい」
ツーンとそっぽを向いてしまう赤毛の少女。
少女の名は、キルト・メルストイ。地上、スカルブディーア帝国ではかなり有名な家系である、メルストイ家の御曹司である。
だが、そのお家柄と言うのだろうか。その方針が気に入らないらしく、家の事に触れられると不機嫌になると言う厄介な性格を持っている少女だ。
「…なら何て呼べばいいんだよ」
「何でもいいわよ、何でも! キルトでもメルストイでも!」
「いきなり切れんなよ…なら、キルトでいいか」
またもため息を吐きながら、ユーブメルトは半ばうんざりしながら呼び名を決める。
そのだらけきった言葉だが、キルトは少しだけ頬を赤く染めた後、すぐに踵を返して自らの席に戻った。付け加えると、彼女の席は廊下側の一番後ろだ。
ガララッ
「よーし、全員揃ってるか―。揃ってなかったら手を上げろー。今日は朝から魔力測定会になる、迅速に事を済ませること。いいな!?」
キルトが席に座った時、教室の扉を開けると共に、担任の男が声を上げる。
それまではざわついていたクラスの面々も、その声が聞こえた途端静かになり、その声を聞く。
もちろんユーブメルトも席に座ってはいるが、その体勢は机に突っ伏した状態であり、とても真面目に話を聞くつもりが感じられない。
まあ実際、大した連絡事項もなく担任の男は教室から出て行ってしまったが。
「…ユー? 行かないの、講堂?」
「ん? ああ、一応行く」
目の前に座っていたユミナが、中々体を起こさないユーブメルトに声をかける。
その声音には、少し悲しげな雰囲気が混じっていたが、ユーブメルトはそれに気づかず体を起こす。
一度大きく体を伸ばし、だらけきった体を戻すと、重たい足取りながらも教室を後にした。
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