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星師  作者: 小糸
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エピローグ

 


 星とは一体なんだろう。

 俺たちを翻弄するこの烙印。

 その存在を忌んで無視すれば殺されてしまうことすらもある、まるで生き物のように奇妙で不可思議な力。

 ──だがこの印は、時に俺たちに教えてくれる。

 生まれ持ったものは消せない。

 運命は、受け入れねばならない不条理なさだめは、確かに在る。

 でも包容と諦めることは同義じゃない。

 だから俺は思う。

 星とは──運命を切り開くための力ではないだろうかと。

 

『蒼路、お前と遙と三人で話したいことがあるの。音楽室にいらっしゃい』

 

 程なくして深紅からそんな内容の式が届いた。

 重い気持ちで式を受け取り、俺は緩慢と腰を上げる。

 教室から廊下へと、ゆっくり歩いていきながら考えた。

 ふたりのことを。

 

 ──先輩はたぶん星師にはならないだろう

 

 終業式での挨拶を、俺はそう受け取った。

 アンナさんがいつか言っていた、彼にはやりたいことがあるという言葉を、俺はちゃんと覚えている。

 そして自分でも実感していた。

 あの知的な眼、歌うように言葉を編むことのできる才能。

 彼には星を以って戦うよりもふさわしいことが、確かにあるのだ。

 そして深紅。

 六年の歳月を飛び越えて俺の目の前に現れ、あまりにも美しく、強く、俺の心をうばった彼女は。

 程なく里に戻るだろう。

 五辻の姫として、ゆくゆくは俺たちを統べる主になる身として、彼女はこんなところで普通の高校生をしている余裕なんてない筈だ。

 抱きしめた、あのときの温もりと愛しさが手によみがえる。

 身を焼くような切なさに変わって俺を苛む。

 一瞬、歩くことすらできなくなって、俺はきつく眼を閉じた。

 

 ──……ああ、歌が

 

 人気の無くなった廊下の真ん中で、堪えきれず立ち止まった。

 ふたたび眼を開く。

 光が明るすぎて全てを照らし出してしまいそうな気がした。

 この心。俺の弱さも、脆さも愛しさも何もかも。

 

 ──歌が、聴こえる……

 

 俺はふいにそのことに気がついた。

 音楽室から聴こえる旋律。

 なめらかな弦の音、細く凛とした女性の声。

 歌声は直ぐに止んだが、俺はその声が誰のものかすぐに悟った。

 驚きにかるく眼を見開いて、それからきつく細める。

 しばし逡巡したのち──勢いよく走り出していた。

 音楽室とは、逆方向に。


 ***

 

「……蒼路!!」

 

 まっすぐに俺を呼ぶ声が背後から降ってきた。

 昇降口を出て、校門めがけて走っていたところの俺はその声に思わず足を止めてしまう。

 ほんとうに、思わず。

 実際には立ち止まりたくなんてなかったのに。

 

「蒼路、どこに行くんだよ、待てよ!」

「……先輩」

「よくも呼び出しを無視したわね、このばか者」

「──深紅」

 

 ふたりが、並んで。

 追いかけてきた。俺のことを。

 先輩は大きな楽器のケースのようなものを肩にかついで、深紅も何やら大きなボストンバッグを手に持っている。

 俺は言葉に詰まってただ二人を見つめた。

 

「……何?」

 

 喉に引っかかるような声で、それだけしか言えなかった。

 美しい顔にすっきりとした表情を浮かべているふたりがまるで俺とは別の世界に生きている人のように感じて、完全に置き去りにされた気分になった。

 

「何、じゃないだろ。呼んでたのに、帰っちゃうから」

 

 先輩が俺のそばに駆け寄って言う。

 その碧の眼と眼を合わせられなくて俺は俯いた。

 

「……呼ばれてなんかない」

「呼・ん・だ・でしょ。──何? 具合でも悪いの?」

 

 俯いた俺の顔を覗き込んで、今度は深紅がたずねる。

 俺はべつに、と短く答えた。

 そしてそれ以上言葉が続かずに沈黙する。

 先輩と深紅が怪訝そうに顔を見合わせたのがわかったが、それでも何も言えなかった。

 だって、二人ともその大荷物。

 まるでどこか遠くへ行くのだと、主張しているようなものじゃないか。

 俺は考えて二人に背を向けた。

 そのまま再び足を踏み出すと、今度は立ち止まらずに歩いていった。

 

「ちょっと──蒼路……? 何を、怒って」

「怒ってねぇ!」

 

 追いかけてくる深紅の声をふりはらうようにそう怒鳴った。

 いきなり、怒りが喉元にこみ上げてきた。

 それは言葉という形を取って俺の体外に飛び出していく。

 

「怒ってねぇよ! 何だよお前ら、さっさと帰れよ!!」

「なっ……お前なんなの、何様のつもり!?」

 

 たちまち激した深紅の声すら気に障った。

 

「うるせえな、それはこっちの台詞だろ!? 放って置けよ! ……ひとことも、何も言わないで来たくせに……っ、今になって!」

「……蒼路?」

 

 呼ぶな、と思った。

 今になって。

 

「今になって……俺を呼ぶのかよ……!」

 

 校門をすり抜ける。

 その瞬間なにかが終わってしまうような錯覚を覚えた。

 肌にはりつく真夏の熱気、照りつける太陽、落ちてきそうに真っ青な空。うるさいほどの蝉の声。

 ──ああ、夏が。

 俺は思った。──夏が、はじまる。

 そして同時に思い知った。

 俺たちにとってのそれは、まだ始まってもいなかったのだ、と。

 

「……ごめん」

 

 すこしの沈黙ののち、落ち着いた声が耳に届いた。

 え?

 俺は振り返らずに目を瞬く。

 

「──ごめん。君の、言う通りだ。本当ならもっと早くに話をしておくべきだった」

 

 先輩が言った。

 その言葉に俺はずきりと胸が痛むのを感じる。

 ああ、じゃあ。この人はやっぱり。

 

「でも言っていいのか迷っていた。あれほど君を傷つけたのに、迷惑をかけたのに、そんな僕がいけしゃあしゃあと君の傍にいていいのかって」

「──……へ?」

 

 世にも間抜けな声が出た。

 俺のその反応に、先輩もまた「え」と沈黙してしまう。

 俺は足を止めて振り返っていた。

 だって。だって先輩。

 今──なんて言った?

 

「……もう一度言ってくんないかな」

 

 碧の眼と視線がぶつかる。

 彼はまっすぐ俺を見つめたまま、尋ね返した。

 

「……何を?」

「だから、その。あんたがこれから……」

 

 言いよどむ俺に、先輩はふいに笑った。

 その瞳が太陽の光を受けて宝石のように輝いた。

 

「僕は、これから。──君と一緒に星師を目指す」

 

 身軽に俺の前まで歩いてきて、先輩は明快に断言した。

 俺は絶句してしまった。

 嬉しい、けど。

 ──本当にそれでいいのか?

 

「喜代様に弟子入りを申し出たんだ。イギリスのアストリアは五辻から見れば分家のようなもの。本家から離れている分、戦い方にも少なくない違いがある。僕はそれを学びなおしたい」

「……けどっ……あんたは、あんたには……」

 

 俺は言葉を捜した。

 目の前に立つ先輩の、その背が背負う楽器ケースにふいに眼が行く。

 夢の中でも聞いたあの歌。

 アンナさんがヴァイオリンを、先輩はチェロを奏でて、楽しそうに笑っていた。

 

「……あんたには、チェリストになるっていう、夢があったんじゃないのかよ……」

 

 囁くように俺が言うと、先輩は驚いたように眼をまるくした。

 

「知ってたんだ。アン、おしゃべりだったからなあ」

「呑気な顔してんなよ! それでいいのか、あんたは血を見ることが嫌いで、戦いが嫌いで──」

「──蒼路。これは僕が決めたことだ」

 

 遮られる。

 けっして大きくも烈しくもない、なのに心にまっすぐ届く声。

 俺は改めて目の前に立つ人を見つめた。

 穏やかな微笑を絶やさず、いつも柔らかな物腰で本質を見極める先輩。

 一つの大きな悲しみをその身に刻んで、この人は以前よりずっと強くなったのだ。

 

「君のためじゃない。姫のためでも、無論アンのためでもない。これは僕が僕のために考えて選んだ道だ。戦いはほんとうに嫌いだ。力で力をねじ伏せる。こんなに愚かで不毛なことはこの世にない。けれどこれが僕の運命さだめなら、僕は全力で抗ってみせる。そう思うようになったのさ」

「……でも」

 

 俺は瞳を揺らした。

 見つめる先で先輩の目は明るさすら湛えている。

 尚も言い募ろうとした俺を、彼は軽快に押し留めた。

 

「チェロはやめない。あたりまえだ──ひょっとしてそれを気にしていたんだね? まったく、蒼路。きみは本当に優しいんだな」

「……そんなんじゃない」

 

 堪えきれず目を逸らした。

 

「俺はただ我儘なだけだ……」

「──ねぇ、蒼路?」

 

 ふたたび俯いた視界に甘い梅香が漂った。

 その香りが喚起する感情に、俺の心臓は跳ね上がる。

 日に焼けたアスファルトに二人分の影が重なった。

 

「私もしばらくこちらに居るわ」

「──!!」

 

 短いが、それだけでも十分、驚天動地の発言だった。

 思いっきり見開いた視界に深紅のあでやかなほほ笑みが映り込む。

 彼女は、言った。


「実家に許可を取ったのよ。お前は危なっかしくって、とても一人にしておけないって。ちょっとやらなきゃいけないこともできたし」


 それに高校生活もなかなか楽しいから、とつけたしてくすくす笑う。

 俺は驚きのあまり全身の力が抜けていくのを感じた。

 ──なんだよ。

 がっくりと項垂れて、肺からため息を吐き出した。

 ……二人とも結局、戻らないのかよ。

 

「──あああっ、心配して損した畜生っ!!」

 

 驚愕が腹立たしさに変化して、俺はぱっと空を見上げるとそう叫んだ。

 迸るような声が青空に尾を引いて響き渡る。

 深紅がうるさそうに顔をしかめて俺の頭をはたいた。

 

「痛っ!」

 

 思わず叫ぶと今度は耳を引っ張られた。だから痛いって!

 

「何すんだよ深紅っ」

「口が悪いの、お前はまったく! もう少し星師としての品格を持ってはどうなの!?」

「誰のせいだよ!? 言わせてもらえばお前こそ、すぐに手を出しすぎんだよ!」

「当然でしょ! これ位しないとお前は言うことを聞かない子供なんだからっ!」

「子供じゃねえっ!」

「じゅーぶん子供よ!」

「一歳しか違わねーだろー!!」

「……っは!」

 

 深紅とぎゃんぎゃんやり合っていると、やにわに先輩が噴出した。

 っははは、と耳に快い、楽しげな笑い声が辺りに響き、顔を突き合わせていた俺と深紅は我に還る。

 ぱっと先輩を省みると、彼は並びの良い歯を見せて、目に涙すら浮かべて笑い転げていた。

 ちょっと! と深紅が噛み付く。

 

「笑いすぎよ、お前、遙!」

「……ごめんごめん、だってさ、面白くて! 僕がどんなに言っても駄目だったのに、姫はほんとにすごいなぁ」

「ええ?」

「あー、面白い。ほんとにすごいや」

 

 きれいな指先で目元の涙を拭って、先輩は笑いをかみ殺した。

 それに対してよくわからない、と肩をすくめる深紅、はたまた彼女にひっぱられてヒリヒリする耳たぶを押さえる俺。


(……じゃあ、まだ)


 まだしばらくは、この三人で過ごすことができるんだ。

 俺は思った。

 目の前の友を見つめて、ゆるやかに胸に押し寄せてきた喜びをかみしめる。

 夏の風が吹き付けてくる。

 汗に湿った制服の襟元を、背中を、髪を、心地よく揺らしていく。

 

「……夏だねぇ」

 

 右手を眼の上に置き、日よけにしながら俺は空を見上げた。

 青空にくっきりと浮かぶ緑の丘陵。

 今しもそこを一機の飛行機が飛んでゆくのが見えた。白い軌跡が空を彩る。

 俺の視線を追いかけて、先輩と深紅も一様に同じ方向を見やった。

 そして二人とも微笑んだ。

 そうだね、と。

 

「──なあ、二人ともこれから俺の家こない?」

「え? 何、その。突然過ぎる発言」

「だって今思いついた。そうだ、うん、そうしようぜ! ババアは帰りたきゃ帰っていいって言ってたし」

「……そういう問題じゃなくて」

「お母様は、妹さんのご都合は?」

「ふたりともお前に会いたがってたぞ、深紅。それに母さんはジャニーズ系の美少年が大好きだ、先輩!」

「……ぼくジャニーズ系? っていうか蒼路、妹いるんだ」

「いるよ。すんげえ可愛いよ」


 再び歩き出しながら俺たちは言葉を交わす。

 他愛のないことば。

 けれど俺たちにとっては互いを繋ぐ、きらめく糸となる、大切な言の葉たちを。


「わかる。何歳?」

「六歳」

「ああ、それはほんとに可愛い盛りだ。──姫はきょうだいはいないの?」

「いるわよ。兄が」

「えっ……じゃあ、姫って妹!?」

「そうだけれど。何なのその驚きようは。どうせ可愛げがないとでも言いたいのでしょう?」

「イエ! とんでもない!」

「声が裏返っているのよ、遙! もう一度殴られたいの!?」

「わーわー二人とも、やめろって! 仲良くしろよ! っつうか深紅、だから手が出過ぎだって言ってんだろうが! いったいハル先輩のこと、今まで何発殴ったんだよ!?」

「十五発」

「じゅっ……! マジで!?」

「残念な事にマジなんだ、蒼路」

「……ごめん先輩」

「なんで君が謝るかな。っていうか、遙でいいよ。……」


 ──……星導師、というのだ。

 

 体のどこかに星を持ち、何がしかの異能を持つ者たちのことを。

 彼らは遠い昔に神々たちと契約を交わし、その役目と力を授けられた。

 すなわち、この世のありとあらゆるものに宿るとされる八百万の神、彼らを守るという役割と、そのために必要な異能力を。

 

 世には様々な闇が潜む。

 そしてそれらの殆どは、人の心から生じたものだ。

 憎しみに悲しみ、狂気、嫉妬、差別意識。

 人の弱い心がそういった感情に乱れた時、本来ならば相容れない存在である「悪」や「魔」が取り憑いて、真の「闇」として成長してしまうのだ。

 

 神々は闇を(いと)う。

 光が喰われてしまうからだ。

 ゆえに、星導師たちをこの世に送り、闇を祓って光を取り戻すようにと命じられた。

 

 彼らは決して歴史の表に顕れる存在ではない。

 ひそやかに、だが着実に、その「星」の力と役割を後世へと伝えてきた。

 どんな名声も得られなくとも、彼らがこれまでに救ってきた命は数かぞえきれない。

 その存在は、光の無い闇夜でも人々を照らし、導く、まさしく星そのものだ。

 

 そしていつからか、彼らを知る者は、その在り様をこう呼ぶようになった。

 星を持って闇を祓い、世に光を導く者たち、つまり──

 

 ──星の導師、と。

 



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