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星師  作者: 小糸
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 そして俺はようやく初任務を完遂した。

 深紅にもババアにも助けられたし、先輩は暴走するし、鎮守神も出てくるし、最後には陰陽会までしゃしゃり出てくるというかなり面倒な事態になったが、それでもどうにか終わらせることができた。

 省みればたった一週間ほどのできごと。

 なのに余りにも色々なことがありすぎて、まるでひと夏まるまるを使い切ったかのように濃厚な時間だった。

 たくさんの魂と出会い、その声を聴いた日々。

 人間に獣。

 生きている人、死んでしまった人。

 悲しみを背負う人、憎しみに呑まれた人。

 その立場は、種類は違えど、彼らの「魂」が望んでいることはみな同じだった。

 迸るように、祈るように、ただ一つの方向を目指していた。

 

 ──大切な人が、ただ幸せでいてくれるように

 

 その切なる願いの前に、己の弱さを暴かれて、無力さを思い知った俺だった。

 ほんとうに、何もできなかった。

 できることなんて、本当はひとつだってないのかもしれないと、そう思うほど。

 でも、だからこそ強くならなければと、強くなりたいと──そう思いを新たにした。

 だって、大切な人たちがいるのは俺も同じなのだから。

 命懸けても幸福にしたいと想う人たち。

 そんな人たちが、この依頼を経験したことによってまた増えた。

 

(……確かにちょっと人好きがしすぎるかもなぁ)

 

 そう、戦いを終えて、ようやくのんびり考えることができるようになった俺であった。

 

 ***

 

 しかし! よく考えたらそうそうゆっくりもしていられなかった。現実はきびしい。

 ──追試が間近に迫っていたのだ。

 

「あああ勉強なんにもしてねーよ、っつうか試験範囲すらあやふやだよ! どうしよう俺!!」

 

 わめきながら回復の陣の上で教科書をあさり、とりあえずクラスメートの石岡に電話をかけて試験範囲を教えてもらった。

 予想外に広い範囲に撃沈しそうになるが、ここで諦めていてはお話にならない。何はともあれ試験を受けるまでにこぎつけなくては。

 ……え? 勉強嫌いの俺がなんでここまで試験にこだわるのかって?

 それはだなぁ、ババアの掲げる弟子の条件っていうのが『文武両道』だからなんだよ。

 勉強せざるもの人間に非ず、そう言い切る婆さんであるから、いちおう彼女の弟子である俺は勉強も仕事と同じくらいにがんばらねば即破門されてしまうのだ。

 つーわけで、怪我の痛みと疲労にうめきながら教科書を睨んでいた俺の前に、予想外の助っ人があらわれた。

 

「あーあ蒼路、それじゃ百年経っても試験範囲終わらないよ。僕が教えてあげようか?」

「無駄よ、遙。蒼路は勉強がこの世で一番きらいな物のひとつなんだもの」

 

 ……深紅とハル先輩である。

 力の消耗が予想以上に激しかった俺はしばらく自宅に帰ることを許されず、ババアの屋敷で養生させられていたのだが、二人も同じように屋敷に停留していたのであった。

 俺の任務の依頼人であったハル先輩に、その任務の手助けをするために俺の元へやってきた深紅。

 任務が終わった今、いつそれぞれの場所に戻ってしまってもおかしくない二人であるが、彼らは何も言わずに屋敷で寝起きし、俺と生活をともにしていた。

 俺の、傍にいた。

 

「うーん、考え方は悪くないんだけど……いかんせん要領が悪いな。君らしいと言えば君らしいけど、点の取り方を知らないんだね」


 背後から俺のノートを覗きこみ、先輩がそう判断を下す。

 すると深紅がこう注釈した。


「蒼路はひとつの疑問を抱くとそれにかかりっきりになるのよ。他が見えなくなって勉強が進まなくなるの」

「猪突猛進型っていうことだね。なるほど、では僕は数学と生物を」

「私は英語と国語を」

 

 当たり前のようにそんな風に言って、ふたりとも俺の脇に腰を下ろす。

 そして眼を白黒させる俺を横目に淡々と勉強を教え始めた。

 知的な横顔。落ち着いたまなざし。

 二人の肩の線を、あたたかな体温をすぐ傍に感じて、俺は息を詰まらせた。

 

 ──なんで、何も言わない

 

 これからどうするのか、どこへ行くのか。

 俺に何も言わないで、なんで二人とも、そんなに平気そうな顔をしてられる?

 俺は切ない、のに。

 認めるのは悔しいけれど──また好きになってしまったのに。

 だから離れたくないと、一緒の時間を過ごしていきたいと、そう想っているのは俺だけだっていうのか?

 

「ちくしょう……」

 

 馬鹿みたいだ。俺だけ。

 そう、俯いて呟いた俺の言葉を、ふたりは違う意味に捉えたようだった。

 眼鏡をかけながら先輩が、赤ペンを持ちながら深紅が、笑う。

 

「だいじょうぶだ。蒼路。君は馬鹿じゃない」

「そうよ。頭の出来ならそんなに悪いほうじゃないわ」

「……それは、どうも」

 

 俺は気のない答えを返して息を吐いた。

 ──ああ、この笑顔を。

 この人たちを、失いたくない。

 

「何よ? 蒼路、やる気ないわね」

「疲れてるんだろう。ま、ゆっくり行こうよ。姫」

 

 今一度、二人の顔を見て、俺は悟った。

 ──分かち難い仲間と出会ったのだと。

 

 ***

 

 そんなこんなで。

 切ないような悔しいような気持ちを抱えつつ俺は二人と勉強に励み、追試に臨んだ。

 試験日まえに傷口が化膿して熱を出してしまい、カンカン照りの当日は滝のように汗をかいて大変だったが、それでもなんとかやり遂げた。

 結果もオーライ。

 

「すげえな高村! 五十五位だってよ!」

「……五十五位」

 

 終業式の日、廊下に掲示された学年順位表のまえで俺はあんぐりと口を開けておどろいた。

 学年総員百五十三名中の五十五位。

 はたから見れば微妙以外のなんでもない順位だろうが、俺としては快挙である。

 

「ここ一週間ずっと休んでたのになー、お前。何してたんだよ」

「寝てた」

「嘘付け!」

「いや、マジに」

 

 石岡と言葉を交わしあいながら俺は感慨にふけった。

 はあー、やっぱり先輩と深紅はすごい。

 たった一週間で俺をここまで導けるとは、本当に秀才なんだ。

 教え方も上手かったし、短気な俺を飽きずに面倒みてくれた。

 

「でもお前の幼馴染だという深紅様はもっとすげーぞ」

「え? あいつの順位知ってんのかよ、お前」

「もちろんだ! 聞いて驚け、転校したてだというのに学年三位!」

 

 予想通りの答えに俺はやっぱりねと頷いて、それから思いついて石岡に尋ねた。

 

「なあ、じゃあ三年生の一位は?」

 

 答えはわかり切っているのだが、聞かずにはいられなかった。

 石岡は眼をまるくして答える。

 

「何でお前がそんなこと気にすんだ? 決まってんだろ、生徒会長。いや、前生徒会長か。──伊勢先輩だよ」

 

 ***

 

『……では続きまして。前生徒会長、挨拶』

 

 朝のホームルームが終わると終業式だった。

 だんだん気温が上がり、日差しも照りつけて、式の行われる体育館の中はむっとした熱気が立ち込めている。

 早く終われ終われと呪詛の言葉を吐きながら直立不動の生徒たちの合間に混じっていた俺は、ふいに式の途中でハル先輩が壇上に出てきたのでびっくりした。眼をぱちくりする。

 

『皆さん、おはようございます。本日を持ちまして任期を終了致します、三年E組の伊勢遙です』

 

 甘さと低さが絶妙にブレンドされた声がマイク越しに響き渡った。とたんに体育館は色めき立つ。

 やっぱこの人格好いいんだよなぁと、すらりとした立ち姿を遠目にしみじみ実感する俺であった。

 でも話は短めに終わらせてな。たのむ。

 

『二年の秋から生徒会長をさせて頂き、約一年。──ほんとうに、色々なことがありました』

 

 ほんとうに、という言葉に深い響きを乗せて先輩は言った。

 

『楽しいこと、嬉しかったこと。辛いこと。時には悲しかったことも。文化祭、合唱コンクール、卒業式、三年生を送る会。入学式。体育祭。いつも僕はここに立って、いつも皆さんの姿を見ていた』

 

 相変わらず彼はものを話すのが上手だった。

 端的に、簡潔に。それでいて詩を読むようになめらかに。

 耳に快い声とあいまって、その言葉はすっと胸の中に入ってくる。

 

『一年を通してここに立って、ひとつ気がついたことがあります。──それは、人は宝だということ』

 

 ふと、俺は体育館が妙に静まり返っていることに気がついた。

 さっきまではいくら静かでもいつも誰かが喋っていて、空気は絶え間なくざわざわと振動していたのだが、今はそれがぴたりと止んでいる。

 みんな先輩の話に引き込まれているようだった。

 

『僕らは普段自覚せずに、多くの人と関わって生活しています。特に学校生活においては、誰かがいつも傍にいるのが当たり前で、独りになる時間の方がすくない。そんな環境だから忘れてしまいがちなことですが、本当に、人は宝なのです。誰かが誰かと関わって、そのまた誰かがまた誰かと関わっていく。……人はそんなふうに、無限の関わりをどこまでも広げていく力を持っている。団結する力。絆といえばいいのでしょうか。──それはひいては人の許容力の高さを示す。僕はその許容力こそが宝だと思う』

 

 許容力。俺は考えた。

 許す力、受け入れる力。

 傷ついても何度だって、前に進んでいく力──。

 

『……僕がここを降りた後も、皆さんの高校生活は続き、文化祭があり、合唱コンクールを終えて、三年生が卒業していく。それは楽しいことでしょう。あるいは、誰かにとっては面倒で、辛いことかもしれない。学校行事とは関係のないところで悲しい思いをする人だって出てくるでしょう』

 

 俺は視線を壇上の先輩から逸らし、二年生の列に遣った。

 探さなくても見つかるのは微動だにもしない綺麗な背。

 深紅はまっすぐな背筋で、じっと先輩の方を見ていた。

 

『でも、覚えていて。人は、宝だ。人は誰でも、自分の中に宝物を持っている。すべてを受け入れることができる力、関わりを広げていく力。そして傷ついても前に進むことのできる力』

 

 先輩が、笑った。

 快い声にさらに微笑みの色が投じられて、ますますずっと聞いていたい声になる。

 

『──そのことを、僕自身もまた、あるひとたちと関わって教えてもらいました』

 

 俺はそのひとことにどきりとする。え?

 

『……誰とは言わない。でも、本当に感謝している』

 

 思わず壇上に向けた視線の先、エメラルドの双眸が俺を、そして深紅を捕えて微笑んだ。

 ほんの一瞬。

 それでも、確かに。

 

『──きらきらと輝く宝をその身に宿して、自分の信じる道をまっすぐに突き進む。どんなことがあっても。何を失っても、傷が痛んでも。それこそが人のあるべき姿だと僕は知った。そして皆さんにもそうであってほしいと思う』

 

 体育館中に響き渡る佳き声で先輩はそう言って。

 マイクを、置いた。

 

『友達を、家族を大切に、どうか懸命に生きて。二度と還らないものは確かに在るのだから』

 

 ***

 

「高村? 帰らないのか?」

「ああ……もう少ししてから。先に帰っててくれ、石岡。またな」

「おう、わかった。じゃ、また連絡すっから」

「おうよ。この間言ってた映画、夏休み中に見に行こーぜ」

 

 式が終わり、ホームルームが終わり、通知表を受け取ると夏休みに入る。

 歓喜にはしゃぎながら帰っていく生徒たちの中、俺はひとり窓際に腰掛けて外を見ていた。

 声をかけてくれた石岡に笑顔で答え、ひとときの別れを告げると、教室に沈黙が訪れた。

 ざわついていた廊下からも次第に話し声が聞こえなくなり、やがて誰もいなくなったようだ、辺りは完全に鎮まり返った。

 俺は息を吐き出してグランドから教室内に眼をもどす。

 整然と並んだ机に椅子。チョークの色にまみれた黒板。

 夏特有の白い光が照らし出すこの箱型の教室は、人がいないとまるで普段と違って見えた。

 

「……山牙」

 

 ひそやかに名前を呼ぶと、たちまち彼は現れた。

 一般的な召還獣とは違い、俺は山牙を自由にさせている。

 三百年前にできなかったことを存分に楽しんでほしいと思うからそうしているのだが、それでも彼は、基本的には俺のすぐ傍にいた。

 

『どうした? 浮かない顔をしているな』

「うん……あのさ、ここ最近で深紅に動きはあったか?」

『姫君にか? 否、特には。いつもどおり喜代の元で過ごし、そなたと遙と一緒にいたようだが。何故だ?』

 

 山牙は首を傾げた。

 いまの大きさは普通の犬くらいなので、そんなポーズを取ると愛らしいことこの上なかった。

 俺は手を伸ばして彼を抱きしめる。

 山牙ははじめこそ驚いたように毛を逆立てたが、俺がその毛並みに顔を埋めたままじっとしていると、やがて何かに気がついたように、そっと尻尾で俺の頭を撫でてきた。

 

『……心が細くなっておるな』

 

 見透かされて俺はさらに俯く。

 腕の中の温もりが胸中の不安をさらに煽った。

 不安? ──いや。

 

「……俺だけなのかと思うと、悔しい」

 

 静かな教室に響く自分の声を、他人のもののように聴いた。

 低くつぶれた、ふてくされた子供のような声。

 そう、実際俺はガキなんだ。

 全身で感じている恐怖がある。

 この先に訪れるかもしれない孤独が怖くてしようがない。

 

『違うだろう、蒼路』

 

 腕の中で山牙が喉を鳴らした。

 彼は言った。

 

『そなたはただ──寂しいだけだ』

「……うん。そうだな」

 

 頷いて俺は彼をさらにぎゅっと抱いた。

 ああ、本当に。何だろうこの寂しさは。

 今まではなかったもの。

 胸かきむしる、それなのに胸にぽっかり穴が空いたようなこの感覚。

 

『出会いは、悲しいな。一度ぬくもりを知ればそれを忘れることは決してできぬ。離れがたくなるのよ。形あるものはいつか必ず亡びるというのにな』

「……俺さぁ」

 

 山牙の言葉には答えずに、俺は言った。

 彼の言いたいことはわかる。その言葉の裏にひそむ感情も。

 でも、それでも。

 俺はやっぱりまだ幼くて。

 すぐに人を好きになる、馬鹿で正直な子供に過ぎなくて。

 

「やっぱり、選べないよ」

 

 ──道を、選ばねばならぬ時。

 二つのうちどちらか片一方のみしか選べないとき。

 そういう時は自分のためにならない方を選ぶのだ、と。

 いつか山牙が言った八宵さんの言葉。

 

「俺は我儘だから。やっぱり自分のために最後は選んでしまう気がする。アンナさんを殺した。でもそれはハル先輩のためで。彼女のためじゃなかった気がする。深紅を守るのだって、俺が彼女を好きだからで、陰陽会からふたりを助け出したのも、結局俺がふたりに無事でいてほしかったから。それだけだった」

『……蒼路』

「なあ、結局俺は自分のためにしか動けないんだ。好きな人にただ幸せでいてほしい。そして自分の傍にいてほしいから。最後には──離れてほしくない。その一心だけが残る」

 

 星を持って生まれたことも。

 自分が誰かと言うことも。

 大切な人たちがどんな状況に置かれているかということも忘れて。

 俺はけっきょく、ただ走るしかできないんだ。

 

「馬鹿だよな」

 

 ぽつりと呟いた言葉が、妙に際立って響き渡った。

 

「俺は、ほんとうに馬鹿だ……」

 

 ──山牙は何も答えなかった。

 


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