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星師  作者: 小糸
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邂逅

 


「あっはっはっは、まっさかこんなに上手く行くなんて!」

「いやー、途中、姫君が本気で怒ってたときにはどうなるかと思ってたけど」

「まあ、それはお前がいかにも本気で陰陽会の元へ走ろうとしていたからじゃないの。私だってあの時、お前を信じていいものか内心かなり迷ったのよ」

「あ、それ俺も俺も」

「……でも信じてくれたんだ?」

 

 数十分後。

 腰を抜かして動けない陰陽会の老人どもをババアの手前助け起こし、寺の住職に声をかけてから、俺達はきちんと正面から寺を出た。

 闇空をカリヤとスリヤがひらりと飛んでいく姿が見えた。

 手を振ると二匹は宙でくるりと一回転して答え、そのまま消えた。

 山牙も眷属たちと話をするということで姿を消し、俺達は三人だけで境内を連れ立って歩いていった。

 そのとき、先輩が言った。

 

「正直、僕もあのときの陰陽会の言葉には考えさせられるものがあった。確かに僕は半星で、だからこそ今までは普通の星師を憎んでいた。僕とアンナが受けてきた謂れの無い差別に侮辱を思えば、確かにあの荒巻とかいうお爺さんの言っていることは正論なのかもしれなかった」

 

 夏の夜の、ぬるい風がうっすらと汗ばんだ肌を撫でていった。

 先輩の金色を帯びた髪が月光を受けてきらめく。

 碧の瞳はかるく伏せられて、長いまつげが頬に影を落としていた。

 俺はなんとも言えない気分になって頭の後ろで手を組むと、空を見上げた。

 深紅はそんな俺の横を黙って歩いている。

 

「……少しだけ迷ったのはほんとうだ。でも、すぐに君たちの事を考えた」

 

 先輩が言った。

 俺は視線を彼に戻した。

 

「俺達のこと?」

「そう。……ここで僕が陰陽会に寝返れば、君たちは何のために僕とアンを救ってくれたのか。そう思った」

「殊勝なことを言って。お前、はじめは私達を殺そうとしていたくせに」

 

 辛らつに突っ込んだのは深紅である。

 こら、と俺はあわてて彼女をなだめたが、先輩はいいんだと淡く笑った。

 

「姫の言う通りさ。そう、殺してやりたいと、思っていた。僕らがこんなに苦しんでいるのに、アンナが死んでしまったのに、五芳の星を持って生まれたというだけで優遇されてのうのうと生きている普通の術者。そして僕らを戦いの運命に落とした五辻の姫。君たちのことが許せなかった。──完全な八つ当たりなのに」

「……そんなことない」

 

 俺は言った。

 また何か言おうとした深紅の口を片手で覆って遮りながら。

 暑い。

 蒸し暑い空気がじっとりと肌に張り付いて、息も苦しい。

 忘れていた。夏がこれほど突然に訪れるものだとは。

 それはまるで──人と人との出会いにも似て。

 

「そんなことないよ。先輩」

「……僕はね」

 

 先を歩いていた先輩が立ち止まり、ふりかえった。

 碧の瞳がきらめく。

 必然的に俺と深紅も歩みを止めて、立ち止まった。

 先輩は言った。

 

「──僕は。君たちに感謝している。こんなことを僕が言っていいのか、わからないけど。でも本当のことだから」

 

 だから言うよ、と先輩は声をふるわせた。

 俺は彼の手に視線を滑らせた。

 固く握り締められた拳がふるえている。

 ……相当な勇気を振り絞っているんだろう、と思った。

 

「迷惑をかけて、ごめん」

 

 その声色の切なさに、俺は眼を伏せた。

 深紅は何も言い返さず、黙ってちゃんと彼の言葉を聞いていた。

 

「でも、君たちのおかげで──ちゃんと、会えた」

 

 誰と、と彼は言わない。

 でもわかってる。俺達にはわかってる。

 彼がこんな声を出して語る人は、こんな表情で想う人は。

 全世界に、たった一人。

 

「会えたんだよ……!」

「もういいよ──先輩」

 

 俺は喉元にこみ上げる熱いものを飲み下しながら、そうかろうじて声を出した。

 これ以上、喋らせたくなかった。喋ってほしくなかった。

 先輩のためにも、自分のためにも。

 これ以上彼女のことを想い出せば──また泣いてしまうから。

 

「全部、わかってるから。だから……もういいよ」

 

 声が震えたことが先輩に伝わらなければいいと願った。

 顔は泣いていなくても、心が泣いていることを悟られたくなくて。

 でも彼はたぶん、わかっていたんだと思う。

 

「──そうだね」

 

 彼は答えた。自らもまた声をふるわせて。

 だから俺は彼がいま、自分と同じ気持ちなのだとわかった。

 全ては終わった。

 でも喪ったものは、負った傷は数かぞえきれない。

 そしてこれからも俺達はこういう夜を何度も迎えてゆくのだろう。

 闇空の下、痛む胸を押さえながら己の無力さを呪い、かろうじて護りきれたぬくもりに安堵しながら。

 

「でも、これだけは伝えるよ。──この星は、彼女がくれた。彼女が残る最後の力を、すべて僕にくれたものだ」


 首筋を愛おしげに手のひらで押さえ、先輩は瞑目した。

 端正な顔に幸福な記憶がよぎる。

 そして、と彼は続けた。 


「彼女は僕に伝言を残した。君たちに……蒼路、君と、姫に」


 碧の眼が開かれる。

 かすかに潤ったその柔らかな視線が、俺と深紅を捕え、ほほ笑んだ。


「──”あんたたちをとても好きになった”って。そう、伝えてくれって」

「……!」


 ──ねえ、あたしね?

 あんたたちの事をとても好きになったのよ。

 もう触れ合うことは叶わないけど、でも本当に会えてよかった。

 だからね。どうぞ、これからは。


「──”あたしの代わりに、ルカをよろしく”」

「……アっ……」

 

 俺は両手で顔を覆った。

 脳裏を、心を、駆け抜けて行ったひとがいる。

 太陽のようにはじける笑顔。

 金色を帯びて輝く髪、そして、夏の森を封じ込めたエメラルド。

 あの、いつも笑っていた碧の瞳。

  

「っ」


 喉元に込み上げてくるものに声が出ない。

 嬉しいのか悲しいのかわからなかった。

 ──……もう会えない。

 泣いても笑っても、ぜったいに。


「……先輩、俺……っ」

「……ありがとう、高村くん」

 

 先輩が近づいて、俺の肩に触れる。

 手のひらがぎゅっと、強くつよく押し付けられる。

 彼は言った。


「ありがとう……!」


 その時、ふいに。

 ばさりと翼が羽ばたく音があたりに響いた。

 俺ははっと顔を上げる。

 優雅な翼持つグリフィンが、眼の前に降りてきたところだった。

 

「オーア……」


 名を呼ぶと彼女はちょっと翼を持ち上げて答えてくれた。

 先輩がかすかにほほ笑んで俺から離れる。

 そして言った。


「じゃあ──僕は先に帰るよ」

 

 言いざま彼はオーアの背中に騎乗した。

 どうして、と俺は思わず引き止める。

 

「なんで、わざわざ一人で帰るんだよ。……どうせ同じところに行くんだから、三人で帰ればいいのに」

「わかってないなあ、高村くん」

 

 すると先輩は笑った。

 さっきまでの切ない空気を振り払うかのように、明るく。

 あまつさえちちちと人差し指を振るというジェスチャーすらしてみせる。

 そしてこんなことを言った。

 

「君には今夜、最後の任務が残っているんだ」


 青天のへきれきだった。

 そんなはずはない。


「あ? 何、それ。俺、仕事は全部終わらせたよ」

「仕事じゃないさ。──姫君が、ね。君に話したいことがあるそうだよ」

「……えっ!」


 目を剥いた俺の呟きは、沸き起こった突風に紛れて消えた。

 オーアが突如として舞い上がったのだった。

 巨大な翼が羽ばたいて、あっという間に彼らは寺の上空に消える。

 

「ちょ、先輩……!?」


 予想外の急展開に驚く俺を見下ろして、先輩は片手を挙げた。


「グッドラック、蒼路! 検討を祈る!」

 

 彼は、どさくさに紛れてはじめて俺の名前を呼んで──そして空の彼方に消えていった。

 

 ***

 

「意味がわからん……!!」

 

 取り残された俺は、とりあえずわなわなと震えた。

 それからはっと気がついて背後を振り返る。

 さっきから一言も喋っていない深紅が俺を見ていた。

 今にも──今にも泣き出しそうな眼をして。

 

「ええ!?」

 

 俺は慌てた。嘘。

 さっきまで普通だったのに、変わり身早すぎだろ!

 

「み……深紅?」

 

 名前を呼びながら、おそるおそる近づいていく。

 たかだか三歩の距離が恐ろしく長いものに思えた。

 深紅はわずか俯いていたが、俺が顔を覗き込むと、世にも悲しそうな瞳でこちらを見つめ返してきた。

 俺は心臓を射抜かれたかのような痛みを覚える。

 なんで。

 なんでそんな──顔をする。

 

「深紅、……」

 

 俺は何か言おうとして、でもできないことに気がついた。

 そんな自分に心底苛立つ。

 この瞳に──会いたかったのに。

 この声が聴きたくて、無事かどうか気が気じゃなくて、話がしたくて。会いたくて。

 そう、誰よりも会いたかった。

 

「……蒼路」

 

 深紅がか細い声で俺を呼んだ。

 同時に白い手が伸びてきて俺の袴の裾を引っ張る。

 どきりとした。

 

「……言うことは、ないの?」

「……っ、え……」

 

 俺はますます言葉を失い、途方に暮れた。

 まるで心の中を見透かされているかのようだ。

 言うこと。言うべきこと。山ほどある。

 無茶してごめん、無事でよかった、本当にありがとう?

 いや──なんだかどれも違う。

 

「深、紅」

 

 馬鹿みたいにその名前だけを繰り返す俺に、やがて深紅は我慢の限界を迎えたらしい。

 ぽろりと、大粒の涙がその白い頬を伝った。

 あああ! またやっちまった!!

 

「みっ……深紅! 深紅、泣くな頼むから……っ!」

 

 毎度の事ながら俺は彼女に心底弱い。

 笑われても怒られてもへなちょこに弱いが、わけてもこうして泣かれると、本当にどうしていいかわからない。全身の機能が制御不能になる。

 

「泣くなよ、ごめん、心配かけたことは謝るから、でも大丈夫だから……!」

 

 何が大丈夫なのかは自分でもよくわからないが、とりあえずおろおろとそう謝った。

 深紅は俺の服の裾を掴んだまま、真珠の涙を惜しげもなくぼろぼろとこぼしている。

 ああ畜生俺の阿呆、どうしたらいいんだ、どうしたら!

 混乱のあまりまともに物も考えられない俺の耳に、しかしやがてかすかな彼女の声が届いた。

 

「……た、のに……」

「……え?」

 

 俺はすがるように彼女の眼を見た。

 もう何でもやっちまえと思ってその手も握った。

 すると深紅は大きな、潤んだ瞳で俺を見つめて、こう言った。

 

「……待ってたのに……!」

「待って、た?」

 

 俺は彼女の言葉を繰り返した。

 すると深紅はうなづいた。まるで子供のようなしぐさで。

 

「そうよ、待ってたの……お前が眼を覚ますの、ずっと……一週間もよ! なのに、心配で気が気じゃなかったのに、お前はこんなところまで出てきてっ! ……何かあったら、どうするつもりだったの!?」

 

 掴んだ細い手が震えた。

 ああ、やっぱりこのパターンかと俺は悟り、かーっと顔が熱くなるのを感じながら、とりあえずもう一度謝った。

 

「……ごめん」

「謝ってほしいわけじゃないの!!」

 

 すると怒鳴られた。あれ?

 予想と違う。

 しかし再び混乱をきたす俺を無視して深紅は続ける。

 

「確かに最初は怒ってた。怖かったし……こんなにまで無茶するなんてって怒りもした! だから遙が憎らしくって、彼に鉄拳制裁も加えたわ!」

「…………」

 

 俺は心の中で先輩に謝った。

 一体何発殴られたんだろう、あの人は。

 

「でも、違うのよ……っ! 違うのよ、蒼路の馬鹿っ!」

「深紅、たのむ。……落ち着こう」

 

 だんだん彼女自身も何が言いたいのかわからなくなってきている感がある。

 涙を絶え間なくあふれさせながら意味を成さない言葉を紡ぐ、そんな深紅がだんだん可哀想に思えてきて、俺はええいと腹をくくった。

 ──どうせ俺のせいなんだから、殴られることぐらいビビるのはやめよう。

 

「あたしは、あたしはただ……っ」

「……深紅」

 

 俺は意を決すると、空いていた片手を深紅の背中のうしろに回した。

 そしてそのままぐっと前に引き、彼女の体を自分の方へ引き寄せる。

 甘い梅香が漂った。

 深紅の温もりが胸の上にぶつかって、彼女が息を呑んだ気配が伝わってきた。

 

「……コウ」

 

 火のように熱い全身を感じながら、俺は彼女を抱きしめた。

 柔らかさが体に沁みる。

 感動に近いものが心にあふれて、俺は知らず手を伸ばし、彼女の髪を撫でていた。

 

「だいじょぶ、だから……」

「……そ、ろ……」

 

 深紅の声が、かすれた。

 殴られるだろうかとぼんやり考えた俺は、しかしながら、一瞬後に自分の背に回された腕の存在に気づく。

 深紅は、しがみつくようにして俺の胸に顔を埋めた。

 俺は息も出来なくなった。

 心臓が、壊れたみたいに早く脈打っている。

 この音、彼女に聴こえてしまいはしないだろうか。

 

「……蒼路……」

 

 深紅の体から、しだいにこわばりが消えていく。

 ゆっくりと大きな呼吸に背を上下させて、彼女は落ち着きを取り戻していった。

 沈黙が落ちた。

 穏やかで優しい、互いの呼吸の音しか聴こえないような──あたたかな沈黙。

 俺は自らもまた息を吐いて、深紅の髪に顔を埋めた。

 ふたたび甘い梅香の香りがした。

 

「……落ち着いた?」

 

 ややあって、俺はそう彼女に尋ねた。

 すると深紅は恥ずかしそうに、胸の上でもごもごと答えた。

 

「ご、御免……混乱、した」

「いーよ。どうせ俺が悪いんだ。いつも心配かけて、迷惑かけて」

「……それは、そう、だけれど」

「何だよ。歯切れ悪いな」

「……違うの」

 

 違うの、と深紅は言った。

 そのまま胸を押されたので、俺は彼女を解放する。

 深紅はじっと、俺を見た。長い睫毛が涙に濡れて、ひと際黒く濃く見えた。

 

「……コウ?」

 

 俺は顔を傾けた。

 彼女のこんな表情を──知らなかった。

 穏やか、なのに、切ないような。

 まぶしいものを見るように眼を細めて。

 彼女は、言った。

 

「……お帰りなさい、蒼路」

 

 手が、優しい手が伸ばされて、俺の頬に触れた。

 その温もりは俺の胸の奥底に──自分でも気がつかないほど深みにある感情に届いて、揺さぶりをかける。

 

「──ああ、そうよ。私は、これが言いたかったの」

「……コウ」

「お帰りなさい。蒼路」

 

 

 柔らかな笑みに、なぜか泣き出したくなった。

 顔がゆがむ。

 そうだ。俺は遠くに行っていた。

 色々な魂の声を聴いて、その魂を追いかけて。

 自分でも気がつかない内に、ともすれば取り返しがつかなくなるほどの遠い場所まで、足を踏み入れていたんだ。

 

「でも、もう終わったわ」

 

 深紅は言った。やさしい声が胸を打つ。

 

「蒼路。あなたは戻ってきたの。彼女を救って、彼を救って、その上でちゃんと私の前にいる。……だからせめて今だけは、自分のことを一番に考えて。その疲れを、負った痛みを、無視しないでちょうだい」

 

 微笑が、月影の元に咲いた。

 ずっと堪えていたものが頬を伝うのを感じた。

 俺はどうしていいかわからなくなり、気付けばもう一度深紅のことを抱きしめていた。

 

「……深紅、俺っ……」

「──帰りましょう」

 

 深紅は、言った。

 

「帰りましょう、蒼路。今度こそ──二人で一緒に」


 そして教えて。

 あなたが聴いたたくさんの声、たくさんの場面を。

 分かち合えるものがあるなら、私にそれを全部教えてほしいのよ。


「深紅……」


 心がふるえる。 

 とてつもなく安堵して、俺はふかいため息を吐きだした。

 そして理解する。ああ、そうだ。


「──ただいま」


 深紅は、深紅もまた──俺の帰る場所なのだ、と。



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