無血談判
先輩、と俺は内心で呟く。やっと喋ったな。
ということはやっぱり、出番が近い。
「遙! 余計なことを申すな!!」
深紅が唐突に口を差し挟まれたことに対して苛立ちを露にする。
反対に陰陽会側は嬉しそうで、嫌に耳に障る猫なで声を出した。
「……ほうれ、御覧なさい。この者の方が姫君よりもよほどよく状況を理解しているではありませんか。罪をはっきり認めておる」
「遙は罪など犯していない! 何度申し上げればわかっていただけるのですか!」
「姫。もう、いいのです」
遙の言質を取って巻き返しを狙う荒巻、それに対して火花が散るごとく怒鳴った深紅。
そして彼女に、諦めたような静かな声をかけたのは先輩。
「……いいのです。僕などのために、貴女様がそれ以上御身を盾とする必要はない」
「何を──言っている?」
遙、と深紅は先輩の名を呼んだ。愕然とした響きだった。
先輩はちいさく笑ってそれに答える。
「僕は」
彼は言った。
「自らの犯した罪を、自らの手で償いたいと考えています」
「──遙!!」
「これはすばらしい」
深紅の怒声に覆いかぶさるように響いたのは新巻鮭の嬉嬉とした声。
「実に殊勝で賢い少年だのう。そもかの魔物を解き放つ力を持つ程であるから優秀なことは間違いないと思うておったが。そうか、伊勢遙──そなたは己の罪を認めるか」
「はい」
「遙っ」
「姫。どうか、僕にも発言の自由を」
怒る深紅をやんわりと宥めすかして、先輩は喋り始めた。
さぁ、ここからが核心だ。
「……今年の春。僕は何よりも愛する妹を失いました。彼女もまた異能者であり、それがために死んでしまった。僕は悲しみのあまり暴走しました」
「そなたは不完全な異能者だということだが──?」
「はい。妹もまたそうでした。そしてそのために僕らは生まれたときから謂れの無い差別を受け、馬鹿にされ続けた」
「それは可哀想になあ。辛かったであろうなあ」
鮭が大げさに声を上下させて言う。
俺は本気で殺意を覚えたが堪えた。
先輩は答えずに、やや間をおいてから続けた。
「……しかしそれはもう過ぎたこと。大事なのは、僕が悲しみのあまりに魔物を解き放ち、この街に住む人たちを傷つけようとしたことです。この街には姫も、友人も住んでいるのに」
甘い声が抑えきれない震えを帯び、あまつさえ涙ぐんだのがわかった。
「僕は──僕は、本当に愚かだ……! だから、そのことに気がついた、否、気がつかせてもらった今、本当に心の底から罪を償いたいと思っている」
だから、と彼は言った。
だから僕は。
「僕は、そのためになら……何でもします……!」
「……健気な少年だ」
いまや先輩は声を殺して泣いていた。相当な演技派である。
が、むろんそれが演技だとは知る由も無い新巻鮭はさらなる猫なで声を出して彼に迫った。
「だがね、こちらとしてはそなたを苦しめるつもりなど毛頭ないのだよ、少年。そなたが言うように罪を償ってもらえるならば、我らはそれ以上そなたを咎めはしないし、異能者の資格を剥奪することもせぬ。むろん、星導師を束ねる五辻の家にも、なにひとつ傷がつくことはない」
「私は、私の一族のために遙を救おうとしているわけではない!!」
「──今は私と遙殿が話しているのだ、星の姫様」
怒鳴った深紅を鮭は交わす。
その隙に今度は先輩が口を開いた。
「陰陽会殿。教えてください、僕は何をすればいい──僕の犯した罪を償うために?」
涙を含んだ切ない声。
訴えるように、すがりつくように。
彼は鮭からある一言を誘導しようとしていた。
──つまり。
「……では、我らに力を貸してくれぬか」
つまり──この一言を!
「そなたは賢く力のある術者。だが不完全な異能者ということでその力の使い方をまだよくわかっておらぬ様子。なればこそ鎮守神を解き放つという愚行に走りもしたのであろう。しかしそなたが我らに力を貸してくれるというのならば、我らはそなたに力の使い方を伝授しよう」
「なんということを……!」
押さえきれぬ怒りに震えた声とともに衣擦れの音が響いた。
深紅だ。衣服の裾を払って立ち上がったとみえる。
彼女はもはや冷静さをかなぐり捨てて叫んだ。
「なんという恐ろしい、浅ましいことを……荒巻様! 陰陽会の重鎮ともあろう貴方様が、こともあろうに人間を賄賂にするおつもりか!」
「なぁんという事を仰る、姫様! 貴方もその耳で聞いていらしたではありませんか。これは他でもない遙殿が望んだこと。賄賂などと、姫様ともあろうお方がなんと汚いお言葉を使われるのか……」
「汚いのはどちらです!」
間髪入れずに叫び返した、深紅の声は、怒りの余り震えていた。
「貴方は今、遙を自らの手勢に加えると言ったも同然なのですよ。序列なき争いなきを謳う陰陽会の貴方が、遙に我らの手助けをせよと、そう言ったのですよ──……!」
「では聞くが、姫」
ここで鮭が切り返した。
「我らが遙を黙って返したとして、あなた方星導師は彼をなんとする? 彼は不完全な術者だという。あなた方は彼のような術者を半星と呼んで差別し、永遠に自分達の仲間としては認めないと言うではありませんか」
「──! それ……はっ」
深紅は声を詰まらせる。
言葉が勢いを失って、急速に途絶えた。
その様子を受けて満足そうに鮭はさらに言った。
「しかし我らは違う。我らは彼を受け入れることができる。その力を生かし、育ててやることができるのです。その方が、あなた方の元へ帰るよりも彼にとって幸福なことだとおわかりになりませんか?」
「……っ」
鮭の言葉に、深紅だけでなく俺も少し、感じ入ってしまった。
確かに──そうなのかもしれない。
半星の先輩を受け入れずに差別してきた俺達が、今更彼を擁護するというのも変な話だ。
それは彼を護る行為じゃない。自分達を守る行為だ。
鮭の言うように、先輩は先輩の力を受け入れて活かしてくれる場所に行くほうが、あるいは本当に幸福なことなのかもしれない。
考えると心が揺らいだ。ここまできて。
(……でも)
俺は思いなおす。
先輩は言っていた、自分のことを信じてくれと。
そしてあの碧の瞳に輝いた情熱を、俺は見たのだ。
だから。だから俺は絶対に。
ここで先輩を疑うことだけは、してはいけないんだ。
「さあ、遙殿。決めるのはそなただ──どうする?」
やがて鮭が、やんわりとそう先輩に問うた。
深紅は黙っている。
俺も息を殺して先輩の答えを待った。
「……僕は」
山牙の耳がぴくりと動く。
先輩は、こう答えた。
「受け入れたいと──思います」
その瞬間、空気が動いた。
***
「……遙っ……!」
深紅が怒りに顔を紅潮させて懐から小刀を抜いた。
そしてそのまま先輩めがけて飛び掛った。
古代紫の着物の袖が翻り、長い黒髪が踊る。
「お前に──お前に星導師としての誇りは無いのか!?」
呪具で手の動きを封じられた先輩は成す術もなく、せめてもと体をひねってその一撃を避けようとした──
──その全てを。俺は目に焼き付けた。
そう、見ていた。
何故ならこのとき俺は襖を開け放ち、室内へと飛び込んでいたからだった。
先輩が体をひねったことによって、深紅の小刀の切っ先は彼の肉まで及ばず、黒衣の襟元を切り裂くに留まった。
そこから覗いたは──五芳の星。
「──山牙!!」
声に答え、轟くような勢いで、漆黒の狼が室内へと飛び込んでくる。驚愕と畏怖の声が陰陽会の面々から上がった。
山牙はまっすぐに深紅と先輩のあいだに飛び込むと、両者をまったく傷つけずに引き剥がした。
横ざまに倒れた深紅の手から小刀が落ちる。
それを目にも留まらぬ速さで銜えて奪うと、山牙は俺の元へ舞い戻った。
「な……っ、い、一体……」
場が静まり返る。
部屋の戸口に立つ俺と、そんな俺につき従う巨大な魔物の姿を見比べて、陰陽会のジジイとババアが腰を抜かしている。
本気で指を指して笑ってやろうかと思ったが、先輩の作戦を遂行するために我慢する。
俺は袴の裾を払うと、きちんと膝を折って一礼した。
「──まことにご無礼を致しました。しかし、これも我が主を護るため」
「……お前は……筧喜代のところの……っ!」
「覚えていて下さったとは光栄の至り」
俺は顔を上げて、いまやたたみの上にひっくりかえっている鮭をひたと見据えた。
あーあ、だっせー。老体で無理してっからこういうことになるんだよ。
そう内心で思ったのは内緒である。
「仰る通り、筧喜代が弟子のひとり、高村蒼路と申します」
「高村……っ? まさか、陰陽会歴将にも数えられた、あの高村星将の息子か!?」
「──父の話はまたその内に」
俺はにっこりと微笑んだ。言外に黙れ、という意味を込めて。
この時には体勢を立て直していた深紅と先輩に目をやって、軽く頷いて見せた。
立ち上がり、懐に手を入れる。
そしてそこから一通の書状を取り出して掲げた。
「僕が今日ここに参じたは、他でもない。我が師匠から姫に当てられたこの書簡を届けるようにと申し付けられたが為です──姫、これを」
深紅の傍に移動して俺は手紙を渡した。
先刻までの怒りが嘘のように落ち着き払った態度で深紅はそれを受け取り、目を通した。
長いまつげが伏せられて、それから驚いたようにぱちぱちと瞬く。
彼女は愛らしく首を傾げてこう言った。
「まあこれは。残念なことになりましたわ、荒巻様」
「……何だと?」
鮭の声に怪訝さが滲む。
深紅は未だ立ち上がれない彼を見下ろし、艶やかに微笑んだ。
「これは遙と、そこな蒼路。二人を我ら星導師の名簿に登録したという報せにございます」
「──馬鹿な!!」
鮭が怒鳴った。
いまや彼は身を取り繕う余裕も無いようだった。
着衣を乱し、手を膝を畳について、プライドを傷つけられた怒りに顔を醜くゆがめている。
「そんなことが在り得るわけが無い! 遙は不完全な異能者だと、貴様らはさっき──」
「──ところがもう、そうではないようですわ」
柔らかく深紅は言うと、ゆっくりと遙の傍に歩み寄った。
膝を払って彼の脇に腰を下ろすと、その肩に手を置いた。
「私も、いま書状を受け取るまでは知りませんでしたけれど……遙?」
「はい」
彼女に促されて、先輩は呪具で拘束された手を襟元に伸ばした。ついさっき俺にもそうしたように。
すっぱりと切り裂かれた布地が無造作に引き千切られると、その下に隠れていたものが露になった。
白い肌の上にくっきりと浮かぶ、星型の痣。
もはやいままでの半星ではない。
はっきりと五芳星の形をしたそれが、先輩の首の上に咲いていた。
俺も深紅もそれを認めて、笑顔を浮かべた。
嬉しくないはずがなかった。
「さあ、これで。先ほどのお話は反故ですわ」
明朗な声を上げて深紅が立ち上がる。
輝く黒曜石の瞳はまっすぐに陰陽会の老人達を見据えている。
わずかに微笑んでいるようにも見える瞳をしていた。
「……遙はもう半星ではない。れっきとした我らが仲間の一人です。先刻のお話は遙が半星であるという前提のもとに成り立ったもの。なれば彼が正式な星導師として認められた今、そのお話が成立しえるはずはありませんわね?」
「──まだだっ! まだ、魔物を解き放った罪をその者は償ってはおらんのだ!!」
「……畏れながら」
この上まだ言い募る荒巻を、遮ったは俺だった。
足元の山牙の頭を撫でながら説明する。
「あなた方の仰る魔物とは、おそらく彼かと」
「彼……?」
陰陽会のジジババどもの視線が、一気に山牙に集中する。
山牙は尻尾を打ち振った。
俺は笑う。
「そう、彼です。君見丘の鎮守神でありながら我が友人──ああ、そちら風に言うと式神でしょうか。利こそ多いにあれど、害などは全くありませんよ。彼は俺に従うのですから」
「ばっ、馬鹿な! あれほどの大妖が、人の配下に下るわけが……っ」
「ところが彼は下したのです」
凛々しい声は背後から。
深紅だった。
「彼は、高村蒼路は確かにその鎮守神を配下に下した。それもただの鎮守神ではない。人を喰らい、妖怪としての力も得た鎮守神を──だから何度も申し上げていたではありませんか。鎮守神が我らの脅威になり得るはずはない、と」
「うぬれ、たばかったな……!」
ぎらぎらと、屈辱と怒りに目をぎらつかせながら、陰陽会の一同は歯噛みした。
だが畳に這いつくばり、腰を抜かした状態でそんな風に睨まれても全く、ぜんぜん、怖くない。
まあ人聞きの悪い、と深紅が今一度ほほえんで、それを合図としたかのように俺も先輩も噴出してしまった。
さざ波のように笑いが伝播してゆく。
口元を袂で覆いながら、深紅は誰にともなく呟いた。
「だって知らなかったもの、私。遙が半星じゃなくなってたなんて」
「そうだなあ、僕も知らなかったよ、姫。鎮守神が蒼路の配下に下ってたなんて」
答えるように笑顔を浮かべたは先輩。
俺はただ笑うしかない。
ほんとーに、二人とも、相当な演技派だよ。
「……何が可笑しい!!」
顔を真っ赤にして怒る鮭の声はもう空しい。
俺は深紅と先輩のそばに歩いていくと、広げた両腕でふたりを一時に抱きしめた。
温もりが、達成感が、喜びを倍増させる。
──そのまま俺達は声を上げて笑い転げた。