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星師  作者: 小糸
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問われる罪

 

 そして俺は聴かされることとなった。

 ハル先輩は、深紅は。いまどこにいるのか。

 二人が何故いま俺のそばにいないのか。

 

「蒼路」

「はい」

「──遥が陰陽会いんようかいに囚われた。深紅は五辻の人間として、彼の審問に参加しておる」

「陰陽会に……?」

 

 予想だにもしていなかった事実に俺はただその名前を繰り返すしかできなかった。

 陰陽会いんようかい

 日本全国に散らばる異能者たちの組織の名だ。

 陰陽師やら星師やら退魔師やら、その名前やタイプこそ違えど、闇と戦うことを生業としているひとたちは全国に山ほどいるわけで、そういう人間を一括してとりまとめているのが陰陽会。

 星師の管理、育成を行っているのは言うまでもなく五辻家だが、その五辻も陰陽会という森の中ではただの木の一本に過ぎない。

 ……森。いや、どっちかっつーと井戸だろう。

 俺は忌々しく思った。井の中の蛙。

 陰陽会は好きじゃない。特殊な力を持つ者同士の馴れ合い。

 互いのやってることを自慢しあい、その力を誇示しあってはまた魔物を殺そうという士気を高める、偏見と差別意識に凝り固まった人間の集まりだ。

 

 ──けどその陰陽会にハル先輩が囚われた、なんて

 

「なんで……先輩が?」

「なぜだと思う?」

 

 声を低めた俺に対してババアはそう切り替えしてきた。

 虚を突かれながらも、俺は少し考えてからこう答えた。

 

「確かにあの人は暴走して俺と深紅を傷つけたけど、それはあくまで個人的なものだった。五辻の後継としての深紅を傷つけたという罪を責めるなら、陰陽会が出てくる必要はない」

「その通りじゃな。では、何故か?」

「──……鎮守神を解き放ったから?」

 

 俺は重々しく言った。

 ババアは無言のまま首を縦に振った。厳然たる肯定。

 あー、と俺は天井を仰いだ。

 審問、つまり先輩はいま罪を問われているのだ。

 想像するだけで暗澹たる気持ちになる。

 

「陰陽会の主張としては、東京本部の管理下にある君見丘に脅威を及ぼしたことが罪の核心だということなのじゃが。そもそもあの山はこの筧家の所有であり、ひいては現当主であるわたしの私物じゃ。陰陽会が口を出せる領域ではない」

「……しゃしゃり出てくんなってんだよ、バカ陽会」

「全くじゃな」

 

 俺が忌々しく舌打をするとババアも応じた。

 彼女は──彼女も陰陽会を快く思っていないと俺は知っている。

 特に陰陽会東京本部長のジジイと折り合いがよくないらしく、しょっちゅう小競り合いを起こしているとのことだ。

 ため息をつき、しばらくまた沈黙した。

 無視しようと思ってもじわじわと怒りが、不安が滲み出してくる。

 

「……ふたりともさ」

「うん? 遥に深紅か?」

「ああ。二人とも、体は無事なの」

「──うむ。お前が昏倒して運び込まれた後、丸一日は休ませた。同じようにこの、回復の陣の上でな。ふたりともまだ本調子ではないが、戦うわけではない。問題はないじゃろう」

「……そう」

 

 俺は不服に感じながら黙った。膝の上に肘をつく。

 問題がないわけない。

 ハル先輩も深紅もかなり消耗していた。丸一日休むだけじゃとても足りない。

 否、体の傷と疲れは癒えたとしても、その心に負った傷はまだまだ血を流し続けているだろう。

 だのに陰陽会の奴ら、ふたりを無理やり引っ張り出したって言うのか。

 俺だけがのんきに眠り続けていたのかと考えるとそのこともまた腹立たしい。

 

「……ちきしょう」

 

 俺はぎりりと歯噛みした。

 ようやく任務を遂行し終えたというのに、まさかこんな心持になるとは予想谷もしていなかった。

 全然、すっきりしない。

 そして更にはババアに告げられた一つの事実が、俺の心にとてもつもなく暗い雲を投げかけることとなったのだ。

 

「時に蒼路」

「なに」

 

 俺はババアを見ずに答えた。

 かなりあからさまに反抗的な態度だったと思うが、ババアは珍しく何も注意しなかった。

 代わりに彼女はこう言った。

 

「鎮守神のことじゃが。あれだけの大妖を野放しにしておくわけにはいかん」

「……」

 

 俺は無言で眼を瞬いた。

 当然のことだ、と思った。

 俺は彼とともに戦って、その凄まじい力を目の当たりにした。

 いくら今は魔物に過ぎないと言っても、元々はこの君見丘の土地神であった獣。

 そこにいるだけで周囲の空気を動かし、生態系にさえ影響を与えてしまう。

 事実彼が解き放たれて以来、君見丘ではめっきり中級以上の魔物の姿が見られなくなった。

 弱い魔物は強い魔物を恐れて遠ざかる。

 そういうことだが、ババアが懸念しているのは逆のパターンだろう。

 つまり、強い魔物に引き寄せられて、さらに強い魔物が襲来する、ということもあるから。

 

「……じゃあ、また……封印しなきゃいけないってことか?」

 

 沈痛に考えをめぐらせていた俺は、やがて重々しくそう言った。だが言ったあとに自分で自分の発言に打ちのめされた。

 封印。

 鎮守神が──俺の傍からいなくなる。

 ババアが言った。

 

「あるいは、今度こそ息の根を止めるか。選択肢はその二つじゃな。お前にとっては、辛いと思うが。いずれにせよまた上から連絡があるだろう」

「上……」

 

 すなわち、五辻。

 俺はこみ上げる感情に目元を歪ませた。

 辛いどころじゃない。申し訳ないんだ。

 鎮守神は被害者だ、人間に封印されて、また人間に無理やりその封印を解かれて。

 望んで現世によみがえったわけではないのに、あまつさえ。

 あまつさえ今度は──殺す──だって?

 

「……ざけんな……」

 

 強く拳を握り締めて俺は俯いた。

 そんなこと、できるわけがないだろう。

 ──ああ、深紅がいれば。

 彼を殺さないでくれと頼むこともできたろうか。

 いや、しかし殺されなければ彼は封印されるだけだ。

 そのどちらの道が彼にとって幸福かなどと、俺にはとても言えない。

 言いたくない。

 だって俺は──俺の心はもう決まっているのだから。

 

「……なぁ、ババア」

「なんじゃ。蒼路」

 

 今日のババアは心なしか優しかった。

 本当に気のせいかもしれないが、その優しさに俺は甘えてしまった。

 ほんとうはこういうこと、第三者に聞いてはいけないのかもしれないが。かといって鎮守神本人にそれを尋ねるほど俺は傍若無人ではない。

 

「──教えてくれないか」

 

 だから俺はババアに尋ねた。

 今回の依頼で俺はそうとう自分勝手に戦ったが、その上でなおかつまた我儘を言おうとしていた。

 でも、これが最後の我儘だ。

 

「鎮守神が、否、緋醒ひざめが。一体どうして人を喰らって、神から魔物へと成り果ててしまったのか。その話を」

 

 ***

 

「人にあこがれた神様がいたんだよ」

 

 ……ババアは語り始めた。

 

「巨大な狼。百年もの、千年もの時を生き抜いて、やがては生まれた山を守るようにと天から命じられた鎮守神さ。

 彼はいつも一人でねえ。なにしろ見かけが恐ろしかったから、皆が彼を怖がったのさ。彼はとても優しかったのに。ただその牙のため、巨大で恐ろしげな風貌のため、彼の傍には誰も寄り付きはしなかった。同類の狼にすら、優しくて狩ができないという理由で、馬鹿にされていた。

 彼はほんとうにいつも一人ぼっちでいたよ。

 見晴らしのよい山の峠から、人の住む村を見下ろしては、その明かりを暖かそうだと憧れて。

 楽しそうに遊ぶ子供たちを見つめては、自分も一緒に遊びたいなと憧れて。

 人はいくらでも仲間を作る。動物にも妖怪にもできない、自由に絆を広げる力を持っている。

 彼はそれに憧れたのさ。

 憧れて、憧れ続けて……いつかその山から、人を見守る神となった。

 でも神になっても彼は一人だった。

 いつまでもいつまでも一人だった。

 これからもずっと一人なのだろうかと考えていたとき、一人の女性が山の中へと分け入ってきた。」

 

「女性……?」

 

 思わず口を挟んだ俺にうなづいて見せて、ババアは重く次の言葉を口にした。

 

「”右手の甲に不思議な星を持つ女”、だったそうだ」

「──!」

 

 俺は呼吸できなくなった。

 八宵さんだ。

 黙っているとババアは話を続けた。

 

「本当に変な女だったらしい。神である狼の姿が見える上、見えてもちっとも怖がらない。あまつさえ、手にしていたまんじゅうやら団子やらを差し出してくる。そして、彼にこう言ったんだそうだ。

 ”あなたがこの山の守り神? いつもありがとう。ここにお礼を持ってきたわ”」

「それは……」

 

 俺は胸を打たれた。どんなに嬉しかっただろう、鎮守神は。

 憧れて憧れ続けた人間に、はじめて向けられた好意。暖かな礼儀。

 

「狼は、彼女に自分の言葉が通じることを知った。そして、初めて話をした。人と。ずうっと話をしてみたかった人間と、他愛もない、山の話をした。」

 

 通じる言葉がある。それは幸せなことだ。

 人と魔物の間でさえ。それは確実に存在する。

 

「女はよく笑う人間だった。なぜ言葉がわかるのかとたずねれば、私は星持ちだからと答えたそうだ。狼は、そこではじめてこの世に星を持つ不思議な人間たちがいることを知った。

 さまざまなことを、女と話して知った。とても楽しかった。

 女はそれからちょくちょくやってくるようになった。

 いつもお土産を持って。酒や、きのこや、若鮎や。

 だから狼も彼女の来訪を心待ちにするようになった。

 山菜や、果物や、花を用意して彼女を待った。

 彼女はそれらをとても喜んでくれたから。

 彼女の笑顔を見ると、狼は自分の心が、とても温まるのを感じたから。だからうれしかった。

 たくさん話をした。もっと話をしたかった。

 けれどある時、八宵がひどい怪我を負って山に来た。

 ”どうしたんだ?”

 狼は薬草を採ってきて八宵に渡した。

 ”大したことないのよ”

 八宵は笑って答えた。

 ”いつものことなの。私は人間じゃないから、仲間ではないんですって。せっかく皆のために、悪い鬼を退治してあげてるのにねえ”

 狼はよくわからなかったが、八宵の笑顔がすこし寂しげなことに気がついた。

 ややあって、その怪我が人によって負わされたものだとわかる。驚いた。

 ”人間なのに人間に噛み付くのか”

 ”まあそういうことね。──緋醒、あたしはね、特別なのよ。人はみな星のさだめの下に生まれている。けどあたしは、星そのものから生まれた、星を持つ者。”

 そして女は右手につけた手甲をはずした。

 華奢な甲にくっきりと浮かび上がる、あざ。星の形をしていた。

 ”覚えておきな、緋醒。この星を持つものは、あたしと同類。

 妖を、鬼を、祓う運命を担っているの。あんたがこの山を守る責任を負っているようにね”

 だからあたしは一人でいいのさ、と八宵は言った。

 いつ死ぬかもわからない。奇妙な力を持って生まれて、魔物といえば聞こえはいいが、紛れもない魂を殺す呪われたさだめなのだから。

 帰り際、狼は女に声をかけた。

 なんだかもう会えなくなるような気がして。

 ”また来いよ。八宵”

 八宵は、笑って手を振った。

 けど、来なくなったのさ。

 あるときからぱったりと。

 狼は待った。昼も夜も。雨の日も風の日も雷の日も。

 けれど八宵は来なかった。

 もう来てくれないのだと思った。

 きっと忘れてしまったのだ、八宵は。

 まあいい、どうせ今までどおりの静かな日々が戻ってくるだけだ。

 八宵はうるさいし、酒飲みだし、いないほうが静かでいい。

 ……そう思った。けれど、やっぱりいつも待ってしまう。

 峠で彼女の姿を探してしまう。

 八宵。八宵。どうしてきてくれないんだ。

 我のことを嫌いになったか。

 どうして。どうして。

 まだ話したいことがあるんだ。

 たくさんたくさん、話がしたいんだ……」

「……っ」 


 俺は腕で目をこすった。

 知らぬ間に涙があふれていた。

 かなしい。こういう話は、辛い。

 鎮守神の心が痛い。

 馬鹿野郎、星師はそんなに暇じゃねーんだよ。

 ババアは俺を横目で見たが、何も見なかったかのように話を続けた。


「……時間が経った。ある日、狼が峠から寝床に戻ると、そこに八宵が立っていた。

 喜び勇んで声をかけた。だが、彼女はどこか様子が違った。

 ”八宵?”

 名前を呼んだ。すると、彼女は淡くほほえんだ。

 ”緋醒。すまない”

 狼は人に謝られたことがなかった。だから理解できなかった。

 けれど次の言葉を聴いたときは、とてもとても苦しかった。

 八宵は、こう言ったのだ。


” ──すまない。……お別れを言いに来たんだ”」




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