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星師  作者: 小糸
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いたわり

 

 

 ─駆け抜けた、その先に待つものがやさしさであればいいと思う。

 みんなの悲しみが報われてくれればいいと思う。

 だから──だから。

 アンナさんも、ハル先輩も。

 最後に会えてよかったと。

 お互いの笑顔が見られて、うれしかったと。

 そう僅かでも思ってくれれば──……

 

 ──俺はもう、それでいい。

 

 ***

 

 涼しい風が頬を撫でる。

 遠くかすかに蝉の鳴く声がする。

 俺はふっと眼を覚ました。

 香が焚かれた部屋のなか、うつ伏せに寝かされていた。

 

「──……」

 

 

 控えめに開け放たれた障子の隙間から陽光がさしこんでいる。

 白く強烈なその眩しさに俺は思わず眼を閉じて、それから何度かまばたきを繰り返した。

 やがて光に眼が慣れてきて、今更のように思ったことは。

 ──夏、だ。

 そうだ。今は、夏だったのだ。

 

「そっか……」

 

 忘れていたのは、単純に季節を省みる余裕がなかったからだろう。

 依頼を受けてからというもの毎日本当に無我夢中だったから。

 当たり前の事実を思い出したところで、目頭から流れ落ちるものに気づく。

 俺は──泣いていた。

 部屋に差し込んでくる太陽の光に重なって見える幻像がある。

 金色の、光。

 固く抱き合った双子を取り巻いていた、あの切ないほど優しい光。

 それが、まだここに残っているような気がした。

 そんなことは、ぜったいに在り得ないのに。

 

「……アン……ナ、さん……」

 

 俺は掠れた声でそのひとの名を呼んだ。

 もう決して、けっして届かない呼び声。

 彼女は去った。遠い場所へ行ってしまった。

 他でもない俺にその魂を、討たれて。

 

 ──これで、よかったんだ

 

 とめどなく流れ落ちる涙とともに、そう思う。

 思い込もうとする。

 けれど何度これでよかったと繰り返しても、胸が引き裂かれるように痛むのは、あの人の笑顔にもう一度会いたいと思ってしまう俺の心のせいだ。

 わがままなんだ。わかっている。

 何も犠牲にせずに誰かを助けるなんてこと、できやしない。

 そうさ、わかっているんだよ。

 でも──どうしても考えてしまう。

 

「……もっと」

 

 もっと。

 一緒に過ごせたら、良かったのにな──と。

 

「ッ」

 

 堪えきれない感情にまた新たな涙があふれる。

 そのまましばらく泣いてやろうかと俺はやけっぱちに思ったが、ふいに部屋の外からぱしゃん、と快い水音が聞こえて来たので我に返った。

 あわてて拳で涙を拭く。

 と、水音とともに誰かが喋る声も耳に届いた。

 

『おや? どうやら星持ちが眼を覚ましたようですな』

『うむ。ずいぶん長いこと眠っておったのう』

「……んだよ、鯉たちかよ……!」

 

 耳をそばだてていた俺は会話の主が庭の池に住む鯉だと悟り、脱力した。

 気にした自分がばかだったと思いつつ、起き上がろうと両腕に力を込める。だが半身を起こすだけでも相当難儀に感じた。

 かなり体が疲れているらしい。

 つーか俺、一体どのくらい眠っていたんだろうか。

 いま気づいたが腹の空き具合も半端ではない。

 

「あれから何が、どうなったんだろ……?」

 

 呟いて俺はようやく起き上がると、足を腹の前に引き出してあぐらの姿勢を取った。

 そこで初めて自分が単衣を身に着けていることに気がつく。

 はだけた合わせを直してから、凝り固まった首や肩を撫でさすろうとしたところ、全身のあちこちに激痛が走った。

 特に痛いのは腹に右肩に背中。

 わけても先輩に負わされた肩と背筋の傷の痛みには堪えがたいものがあった。

 

「そ、そーいえば、背中もやられてたんだっけ……っ!」

 

 うめきながらふたたび前かがみになり、痛みの波が過ぎ去るのを待つ。うつ伏せに寝かされていたのはつまり、傷に触らないようにという配慮だったのだ。

 あああ痛い。それに、ひどく喉が渇いた。

 普段の俺はどちらかというと堪え性のあるタイプなのだが、いまはどうやら、戦いが終わって気が抜けてしまったようだ。

 とにかく誰かはやく来て、と痛みに脂汗を流しながら考えている俺の耳に、再び鯉たちが喋る声が聞こえてきた。

 

『これで姫君もご安心なされるでしょうな』

『うむ。喜代様と二人そろって心配されておったからのう』

『おや? なにやら嫌な気配が──』

 

 彼らは二匹でワンセットだ。

 一匹が喋り、また一匹がそれに対して応じようとしたところ、

 

『──それは本当か、化け物鯉どもーーッ!!!』

 

 ばっしゃーん! と盛大に水がはねる音が響き渡った。

 ぎょっと顔を上げた俺の耳に飛び込んできたのは、鯉たちのものとはまた違う、高くよく響く声。

 

『いまの話は真か! 星の子がっ! ようやっと目覚めたと!?』

『おや、これはこれは。神崩れの銀狼どのではあーりませんか』

『うむ。全くもって騒がしいことこのうえないわ。誰が化け物か、このたわけ者っ!』

『質問に答えぬかっ! まこと星の子は目覚めたとっ? 偽りであればただではおかぬぞ、貴様ら二匹とも我らが丸呑みにしてくれるわ!!』

 

 ……どうやら鎮守神の眷属(の片方)だった。

 時刻も場所も全く構わず鯉たちと喧々諤々やらかしている。

 うるせえな。

 それに、迷惑!

 寝起きの頭を押さえながらげんなりと俺は思った。

 眷属とその主をこの屋敷に連れ込んだのは俺だ。つまり、その眷属がなにかやらかせば俺がババアに叱られてしまう!

 そんなの御免だ。

 俺、今回の依頼けっこう本気で頑張ったんだから。

 

「おい、てめーら……っ」

 

 だがしかし、俺が這うように床から抜け出し、半ば開いた障子をさらに大きく開け放とうと、そこに手をかけた時。

 

『──ちょっとちょっと、蒼路起きたの!? 会いたい入れてよっ、お願い喜代のお婆ーっ!!』

 

 今度は──屋敷の上空から発せられた、割れんばかりの大声が。

 ……どいつもこいつも……っ!

 今度こそ呻きながら立ち上がり、俺は障子を勢いよく右に引いた。

 すぱんと快い音が立つ。

 同時に視界にあふれかえった白い陽光に思わず眼を瞑りながらも、あらん限りの大声でこう叫んだ。

 

「──バカヤロウっ、お前らもう少し静かにしやがれ!!」

 

 なかなかの声量であった。

 語尾の余韻が尾をひいて朝の空気に響き渡り、来訪者たちもびっくり仰天してくれたらしく、ぴたりとおとなしくなった。

 が。

 

(……あれ?)

 

 俺は足元がぐらりと傾ぐのを感じた。眼がくらむ。

 明るいはずの目の前の景色が急に降りてきた闇に見えなくなった。

 冷や汗が、額から頬を滴り落ちる。

 あ。

 まずい。

 

(──倒れる)

 

 部屋の入り口から外は、磨きぬかれた白木の廊下だ。

 俺はゆっくりと木の床めがけて倒れ伏す。

 また傷が痛むなあとぼんやり衝撃の瞬間を待っていたが、しかし一瞬後に俺の体に走ったのは、温かくふさふさとしたクッションのような感触だった。

 なめらかな、けれどほんの少しだけ硬い毛並み。

 鼻腔に大地の香りが満ちた。

 

『無事か──蒼路』

 

 低い声が耳朶を打ち、俺は知らずほほえんだ。

 

「……ありがとう。鎮守神」

 

 眼を閉じたままで手を伸ばし、鼻面とおぼしき場所に手を置いた。

 鎮守神も答えるように俺の手に頭を擦り付けて、あまつさえそこを舐めさえした。

 ざらりとした温かな感触におどろいて眼を開ける。

 と、まだ薄暗い視界のなか、俺は自分が狼たちに囲まれていることを知った。

 同時に廊下の向こうから息せき切って駆けて来るババアの姿が見える。

 そういえばさっきの上空からの声は? とゆっくり視線を上向けると、そこにはなんと、結界に張り付くようにして空に留まった白い猫又の姿があった。

 

「……花緒」

 

 俺は彼女の名を呟いた。

 花緒、鎮守神。それに眷属たち。

 みんな心配してくれているんだ。

 

「──ありがたいなぁ」

 

 噛み締めるように呟いて、俺は太陽のまぶしさに眼を細めた。

 

 ***

 

 その後がまた面倒だった。

 目覚めたとたん獣まみれになっている俺を発見するや否や、ババアは烈火のごとく怒って獣達を追い払い、そのまま俺を奥座敷へと連れて行ったのだ。

 式神によって抱えられていった俺は、しばしの後ひろびろとした板張りの空間に降ろされて、横になるようにと命じられた。

 そこには巨大な魔法陣が描かれていた。

 白い光で形作られた、五芳星の陣。

 おとなしくその中央に横たわると、不思議なじんわりとした温かさが感じられた。

 肌を通り越し、内臓までをもやわらかく撫で、疲れを取り去ってくれるような。

 

「……気持ちいいな、これ」

 

 思わず呟くと、ババアがふんと鼻を鳴らしてこう答えた。

 

「失われた体力、呪力を回復させる魔法陣じゃ。お前は過日の戦いで消耗しすぎた。覚えてはおらんだろうが、今日でちょうど一週間も眠り続けていたのだぞ」

「──いっしゅうかん!?」

 

 驚愕の事実に俺は眼を剥いた。

 思わず起き上がりそうになるも、ババアの厳しい声がそれを留める。

 

「寝ていろ、馬鹿者!! でなければ本当に死ぬぞ!!」

「お、おーげさだって、俺この通り元気だし! ……つーか一週間ってマジで!?」

「わしが嘘をつくとでも思うのか、この戯け者」

「いや! 思いません、思いませんが、でも」

 

 必死で首を振りながら、俺は内心で頭を抱えた。やっちまった。

 一週間。あれから一週間も経過しているということは、つまり。

 

 ──期末、受けそびれた……

 

 発覚した恐ろしい事実にほとんど絶望しそうになる。

 いや、っていうかした。俺は絶望した!

 寝ている間に一学期が終わってしまったとは、何たることだ。

 ああ、俺の成績は。

 一体どうなる、学校生活。

 

「……俺の期末……」

「安心せい。お前は追試じゃ。優子が学校に頼んでおいたそうじゃからな」

 

 頭を抱えて沈痛な声を挙げていると、ババアがそうこともなげに言ってきた。

 とたん俺はぴたりと動きを止めて、訴えるように師匠を見つめる。

 

「え、本当!? ……ほんとにほんと!?」

「本当じゃとも。試験日は今月の十五だということだから、一週間後じゃな」

「ありがとう母さん!!」

 

 諸手を挙げて喜ぶ俺を、ババアは冷静に見つめていた。

 ひとしきり喜んだ後は気持ちも落ち着いてきて、俺もその視線に気がつく。

 火のように輝く瞳の奥に横たわる、さまざまな感情や思惑を見て取って、そういえばまだ何も話していないことに気がついた。

 寝ていろと言われたが半身を起こし、姿勢を伸ばす。

 そして師匠に向き直った。

 

「──それで。この一週間のあいだ、一体なにがどうなったんだ?」

 

 俺は言った。

 ずっと心に引っかかっていた疑問が堰を切ったようにあふれ出してくる。

 ハル先輩はぶじなのだろうか。そして深紅は? 

 二人ともいま、どこにいて、一体何をしているのだろう。

 

「それに、鎮守神。あいつもまだここにいるみたいだったけど……」

「──蒼路」

 

 言いかけた俺をババアがさえぎった。

 強い声に、嫌な予感が胸を刺す。

 俺はわずか眼を細めて師匠を見つめた。

 

「師匠……?」

「お前には話さねばならぬこと、聞かねばならぬことが余りにも多くある。休ませてやりたいのは山々じゃが、あまりゆっくりはしておれんぞ」

「それは──」

 

 どういう意味か、と尋ねようとした俺を、ふたたびババアは遮った。

 そしてこう言ったのだった。

 

「──先ずは、よく戻った」

「師……」

 

 驚愕のあまり瞬きを忘れた。

 喉にこみ上げる熱いものに声が出ない。

 俺が微動だにもできずに見つめていると、ババアはさらに言葉を続けた。

 

「深紅も遥も、怪我はしているが命に別状はない。そして二人とも、お前が居なければ助からなかっただろうと口を揃えておる。戦いのあらましも大体聞いた。──……アンナも、成仏できたようじゃな」

「っ」

 

 息が詰まった。

 今度こそ眼に涙が浮かんだが、泣きたくなくて堪える。

 ──ああ、じゃあ、会えたんだ

 その事実が俺の全身を包み込んで、この上もない喜びに代わる。

 会えたんだ。ハル先輩とアンナさんは。

 夢で見たあの笑顔は、あの金色の光は。

 幻では、なかった。

 

「……よかった……!」

 

 それだけ呟くと、俺は唇を嚙み、単衣の裾をぎゅっと握り締めてうつむいた。

 そうしないと感情があふれ出してしまいそうだった。

 ババアのしわくちゃの手が伸びてきて、俺の頭をあやすようにぽんぽんと叩く。

 彼女は、言った。

 

「よくやったな、蒼路」

 

 ──お前は本当に、よくやったぞ。

 

 

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