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星師  作者: 小糸
33/53

夢見

 

 つないだ手がふるえている。

 華奢な手のひら、普段のその気丈さからすれば、信じられないほどにやわらかく細い指。

 着物に包まれたなよやかな肩の線に、脳裏をよぎる記憶があった。

 

 ──蒼路

 

 六年前のあの雨の日。

 俺たちの里が魔物に襲われて滅んだ、悪夢の日。

 深紅の親父さんも、俺の親父も、みんなあの日にいなくなってしまった。

 

 ──怖いよ、蒼路……!

 

 この、ひとは。

 この華奢な肩には過ぎる重荷を背負って生きている。

 五辻の後継として、呪われた姫君として。

 ああ──俺はほんとうにバカだな。

 彼女を守るために星師になると決めてここにいるのに。

 結局なにもできずにまた泣かせてしまったんだ。

 

「深紅……」

 

 心底弱り果てた俺が今ひとたび肺の奥から熱いためいきを吐きだし、深紅の手を強く握りしめた──その、刹那。

 

 ──眼が回った。

 

「エ……?」

 

 ぐらりと体が傾ぎ、訳がわからぬままに俺は布団に倒れ伏した。

 耳の奥でざあっと血の気が引く音が聞こえる。

 視界がまっくらになって手足が冷たく縮こまった。

 

「そ──蒼路っ!」

 

 深紅の、悲鳴にちかい声がすぐ耳元で聞こえる。

 

「いやよ、蒼路、蒼路!!」

「み……」

 

 深紅、と、言いたいのに言葉にならない。

 だから未だつないだままだった手に力をこめた。

 意識が急速に闇に呑まれてゆく──貧血だろうか。

 障子が勢いよく開かれる音がして、誰かが部屋に飛び込んできたのがわかった。

 

『何事だ、姫君!』

 

 鎮守神の声だった。

 俺は布団につっぷした状態で怠慢に瞬きをする。

 動きたいが、もはや一歩も動けない。

 意思に反して閉ざされ始めた意識の向こうで深紅と鎮守神の声が交錯した。

 

「蒼路……蒼路、しっかりして!」

『これは──大丈夫だ、血が足りていないだけだ』

 

 深紅の甘い香りが近づいたと思ったら、直後、背に触れてくるやわらかで温かな感触がした。土の香りが匂い立つ。

 鎮守神の前肢あしだろうか、と思ったすぐ後、深紅の金切り声が耳をつんざいた。

 

「蒼路に触らないで、魔物!」

『何を言う、触らねば容体もわからぬであろうが。少しは落ち着け、姫君よ』

「うるさい──お前に……お前に何がわかるっていうのよ!?」

 

 冷静な鎮守神の声が逆鱗に触れたように、深紅はさらに叫んだ。

 

「わかるわけがないわ、お前なんかには、絶対にわからない! 蒼路があたしにとってどれほど大事な存在か、蒼路が、ここにいるということが、どれほど幸福なことなのか──……!」

『──わかっている!』

 

 鎮守神が怒鳴った。

 それに虚を突かれたように深紅が息を飲む。

 

『わかるのだ……姫よ』

 

 声を和らげて、いま一度彼は言う。

 

『そなたの気持ちは、ようわかる』

「……なに、を」

『この者は──蒼路は。なんだか無性にあたたかい。離れがたくなる、際限ない光の子供よ』

 

 大地の香りが俺を包む。

 それはまるで、あたたかな落ち葉に潜り込んだかのような、懐かしく優しいぬくもり。

 なんとか気絶しないようにと頑張っていた意識がその温かさに急に挫けた。

 俺は眼を閉じる。

 とろけそうな眠りに背中から落ちてゆく。

 

『我々は同志なのだ、姫。……同じ者に心惹かれた』

「……ではお前は、言えるの? 蒼路を守ると? そのために、蒼路のためにここにいるのだと?」

『一目で、わかったのだ』

 

 まぶたの裏側で最後に聞こえた二人の声は、なんだか心切なくなるほどに優しい音をしていた。

 

『蒼路を見た瞬間──この者のために我は現世に蘇ったのだと』

「……導かれて……焦がれて」

『そうだ。だから愛しい。だから……傍に、居たいのだ』

 

 理由なんかない。

 大切な人は、ただ大切なだけ。

 だから傷ついてほしくないだけなんだ。

 

 いつだって、誰だって──きっとそうだろう。

 

 *** 

 

 ふたたび夢を、見た。

 ひどく美しい──そう、美しすぎて、なんだか悲しくなるぐらいの──薔薇園に俺は立っていて。

 はしゃいだ声を上げてそこを駆け抜ける、二人の子供を見つめていた。

 

(早く早く、ルカ! ママがバタークッキー焼いたんだよ!)

(待ってよ、アン!)

(早くしないとルカのも全部食べちゃうぞー!)

 

 金の髪が太陽にきらめく。

 碧の瞳が生き生きと互いの姿を眼に映し込む。

 良く似たセーターと靴を履いて、泥に汚れた手をしっかりと握り合った彼らは、笑顔満面でとても仲睦まじそうに見えた。

 甘い薔薇の香りがむせかえるようだ。

 彼らは俺の前を通りすぎると、白い壁にレンガ色の屋根をした家に入って行った。

 笑い声が家の中から聞こえてくる。

 けれど、どうしてだろう。

 こんなに幸福な情景なのに、俺の胸はひどく切なくて、泣きそうだった──。

 

(半星ってなに?)

 

 情景が切り替わった。

 さっきまでとは季節が変わっていた。冬だ。

 金の髪をした子供達は、今は家の中でそれぞれ、楽器を練習しているところだった。

 

(あたしたちもアストリアになるんでしょ? パパとママと、おじいちゃんとおばあちゃんと同じように)

 

 大人びた物言いをする女の子は、ヴァイオリンを顎にはさんでいた。

 まだ小さいから、楽器もちいさい。

 そのすぐそばでは男の子の方が足に挟む楽器──そうだ、チェロ──を、同じように練習している。

 

(おばさんが言ってた。ぼくたちの使命は、星をつかって悪い怪物をやっつけることだって)

(そうだよね、ルカ。がんばろうね!)

(がんばろうね、アン)

 

 そうして笑いあう二人の子供を、心配そうに見つめているのはきれいな女の人だった。

 子供達が外国人風の見かけをしているのに反してその人の髪は黒く、肌もアイボリーの色をしている。

 ソファに物憂げに腰かけて子供達を見つめる瞳は、なんだか例えようもなく暗かった。

 

(どうしてなの……)

 

 やがて子供達が会話に飽き、再び楽器をさらい始めた時、彼女はぽつりと呟いた。

 俯いた拍子に長い髪がさらりと零れおちて、白い首筋が露になる。

 そこには──五芒の星が刻まれていた。

 

(どうして、あたしの子供なのに、半星なんかに生まれたの……!)

 

 重い呟きは、ほとんど憎しみとも言える響きを伴っていた。

 だが子供達はそれに気が付かない。

 二人で夢中で楽器を弾いて、やがては同じ曲を弾きはじめた。

 たどたどしい旋律を耳で追う内に俺はふと首を傾げる。

 この曲。

 聴いたことがある。

 

(夏のー)

 

 女の子が歌い始める。

 

(夏の名残りの薔薇……)

 

 旋律が急速になめらかさを帯びた。

 それだけじゃない。音も変わった。

 低く豊かな──明らかに以前よりも上達した響き。

 それを発しているのは、さっきまでの子供じゃない。

 もう大人になりかけた青年の背中。

 雨のざあざあ打ちつける窓際で……妹から遠く離れて。

 けっして振り向かずに彼はチェロを奏でていた。

 

(どういうこと?)

 

 妹は部屋の戸口に立っていた。

 俺はそのすぐ脇に居たので、彼女の背がどれほど伸びたのかを目の当たりにする。

 すんなりと伸びた手足に、高い背。

 金の髪はすこし色が濃くなった。碧の眼はそのままだ。

 

(ねえ、答えなさいよルカ──どういうこと、アストリアをやめるって!)

 

 激情を隠さずに叩きつけられる声は、雨に振り込められた部屋の中で際立ってよく響いた。

 だがそんな声を出しても俺にはわかった。

 彼女が、ものすごく悲しんでいることが。

 

(どうもこうも。そのままだよ。僕はもう星は捨てる)

 

 兄が背中で言った。

 雨の庭に眼を向けたまま。

 振り向いてくれない事に焦れたのか、妹はさらに声を荒げる。

 

(捨てられるわけがないじゃない! これは──この星は、あたしたちの運命よ! 背負って生まれたものなのよ、ルカ!)

(……煩いな。静かにしてくれよ、君がいると気が散るんだ)

 

 興奮している妹と比較して、兄の声はどこまでも柔らかく、残酷な程に落ち付いていた。

 ぎりり、という音がして俺は顔を上げた。

 妹の方が強く歯ぎしりをして拳を握りしめたのだった。

 

(……いつから)

(何?)

(いつからそんな風になったのよ、あんたはッ!)

 

 迸るような怒号と共に部屋の窓ガラスが砕け散った。

 俺は思わず腕で顔を覆ったが、銀に輝く破片は俺の肉体に触れることなくすりぬけてゆく。

 そこで初めて、これが夢なのだとわかった。

 夢──いや。

 思念、想い出、回想?

 この兄と妹の──遠い日の姿。

 

(……何をするんだ!)

(黙れ! 一人で冷静ぶってるんじゃないッ、ひきょう者! あたし達が、あたし達が星を捨てられるわけないでしょう! そんなの、ただ逃げているだけよ!)

(……黙れ)

(黙るもんですか、いくらでも言ってやるわ──ルカ。あんたは世界一の卑怯者よ! 半星だから、血を見るのが嫌いだからって、自分の背負ったものと向き合わずにただ逃げているだけ!)

(黙れよ!!)

 

 兄の絶叫と共に轟音がとどろいて、世界が一気に暗転した。

 

(……ふっ……)

 

 冴え冴えと明るい満月が、天窓から大きく覗いている。

 俺は今度はどこかの屋根裏部屋に居た。

 窓から見える景色は色あざやかで、日本のそれとは明らかに違う。

 大きな時計塔に石造りの橋──西洋の街並みだった。

 

(……馬鹿、ルカの大馬鹿野郎……!)

 

 すすり泣く声に首をめぐらせれば、部屋の隅の寝台で金の頭がふるえていた。妹の方だ。

 だがさっきの場面からはまた時間が経っているらしい。

 奇妙なことに、月光が照らすその彫りの深い顔立ちはげっそりと痩せて、さっきまでの迸るような生命力の残滓すら感じられなかった。

 明らかに彼女は病気で──そしてとても孤独だった。

 

(誕生日、なのに、今日はあたしたちの……)

 

 涙にぬれた声に、どうして誰も居ないんだろう、と俺は胸を突かれるように思った。

 どうして彼女の兄はここにいないんだろう。

 そして父は。母は。

 あの痩せこけた手足がこんなに切なく伸ばされているのに──どうして誰もそれを掴もうとしてあげないんだ。

 

(おめでとうって……言えないじゃない……!)

 

 ついにたまらなくなって俺は彼女の方へ歩み寄った。

 ベッドの上に投げ出された手に手を伸ばす。

 青く筋の浮いたその指先に触れた瞬間、眼に、碧色の光が差し込んできた。

 それは──

 

(……おめでとう……ルカ)

 

 ──森の輝きを秘めたペンダント。

 

(……ごめん、アン)

 

 彼女の声に応えるようにして、俺の耳には兄の声が届いた。

 そして伸ばした手先が溶ける。

 また場面が切り替わった。

 ぐるぐると回るようにして、俺は時空を超えてゆく。

 

(傍に居られなくて──本当にごめん)

 

 兄はあの薔薇園に居た。

 太陽の光を弾いてきらめく植物たちの緑、むせかえるような薔薇の香り。

 柔らかな芝生の上に膝を突いて彼は泣いていた。

 右手がきつく胸元のペンダントを握りしめている。

 ぽたぽたと透明な滴が際限なく庭を濡らし、不思議な事に、彼の涙に濡れた大地はそのまま──新たな植物を芽吹かせた。

 みるみるうちに若葉が芽生え、茎が伸び、蔓を這わせて、それらはやがて彼の体に絡みついた。

 捕えるように、しがみつくように。

 どこまでも伸びてその姿を覆い隠してゆく。

 知らなかったんだ、と彼は慟哭にむせび泣いた。

 

(星が僕らを喰うだなんて、知らなかったんだよ──……!!)

 

 それから後は、混乱したように画像の断片が飛び交った。

 激昂した様子で両親と言い争う兄。

 白い部屋でベッドに横たわりながら一輪の薔薇を手にした妹。 

 浮かぶ笑顔、それに反して、ベッドに突っ伏して泣き叫ぶは兄。

 ぼたぼたと降る血の雨のなか、巨大な翼を広げたグリフィンに乗って、彼は無表情に魔物の心臓を素手でえぐった。

 

 (助けて)

 (大好きだよ、嘘じゃないんだ)

 (気にしないで。あんたのせいじゃない)

 (助けて、誰か、どうか彼女を!)

 (もういいから……やめてルカ!)

 (誰かアンを助けてくれよ! どうして誰も──)


 『──誰も、助けてくれなかったんだ……!!』


 身を切るようなその叫びを──俺は確かに、この耳で聴いた。 




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