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星師  作者: 小糸
31/53

声、聲

 

 足もとを衝撃が突き抜けた。

 地の奥底から大地が唸り、雷鳴のような轟きと共に一度大きく揺らめいた。

 闇と光が交錯しながら視界を駆け抜け、絡み合うように明滅する。

 俺はとても眼を開けていられなくなり、まぶたを下ろした。

 風が──土の匂いを、森の匂いをはらんだそれが──竜巻の如く巻き起こって髪を、服を乱してゆく。

 俺は血の気が失せてゆくのを感じた。全身がざっと鳥肌立つ。

 これが──神気。

 脆弱ぜいじゃくな魔物など触れるまでもなく消滅せしめるであろう、凄まじいほどに高貴な気配。

 美しいのに、同時に恐ろしいものだ。

 それが鎮守神を中心に迸り、世界を大きく揺るがしている。

 

「これが……神……」

 

 俺はからからに乾いた喉で茫然とそう呟いた。

 大地が、鎮守神に共鳴している。

 そのことがはっきりとわかる。

 山を守る神にとっては母体ともいえるべき山──それが、彼の感情に呼応してえているのだ。

 

『……命はいつか尽きるもの……』

 

 鎮守神が口を開いた。

 体の中心に直接響くような太く毅い声音だ。

 俺はうすく眼を開こうと試みて、成功した。

 そうして始めて、先ほどまで体を取り囲んでいた風の障壁が弱まっていることに気づく。

 闇は──掻き消えていた。

 

『人の命は、ことさら短い』

 

 彼の声に導かれるようにして俺も双子の姿を目で追った。

 彼らは──彼らも、神気に気押されて微動だにもできないようだった。

 指先さえ動かせぬまま、見開かれた碧の双眸を持つ男女が二人、驚愕と畏怖の色をいっぱいに湛えてこちらを見つめている。

 

『されどそなた等は決して』

 

 鎮守神が風を纏いながら宙を跳んだ。耳元で風が唸る。

 俺は微動だにもできなかった。

 ただ打たれたような心持で、彼の姿を──その声が紡ぐ想いを、聴いていた。

 

『──決して、苦しむために生まれてきたわけではない!』

 

 はっと息を呑んだ。

 鎮守神が、双子を……呑む。

 巨大なあぎとを開いて彼らの闇を喰らう。

 その後はふたたび世界がくるめいた。

 碧色の閃光が爆発し、凄まじい衝撃が空間を揺さぶって、俺はふたたび眼を閉じた。

 頭をどこかに激しくぶつけて意識が急に遠ざかる。

 

「……が、み……!」

 

 呟きは、風の唸りに捉えられて搔き消える。

 今にも意識を失いそうな状況の中で、けれど俺は、遠く彼方からかすかに響いてきた音を捉えていた。

 

(──……醒)

 

 地揺れと風の只中にあるにも関わらず、俺の心に直接触れてくる、それは特別な声だった。

 

(──緋醒ひざめか。良い名だな)

 

 女性の、声。

 ほほ笑みを含んでやわらかな、温かい人の言葉が、俺の脳裏にひとつの画像までをも映し出した。

 

(……お前は、何と言う名前なのだ?)

 

 それは秋深い、紅葉に真っ赤に染まった山の中。

 にしきの様にはらはらと舞い散る落ち葉の向こうに、景色の紅とあざやかな対比をなす漆黒の狼と、その脇腹によりかかって座る着物姿の女性が見えた。

 

(わたしは、八宵やよい

 

 彼女は言った。

 ぬばたまの黒髪を無造作に束ねて、ちいさく白い顔には、声と同じくあたたかな笑顔を浮かべた妙齢の女性。

 

(お前の友人の、八宵だよ……)

 

 彼女がほほ笑みながら髪を掻きあげた拍子、俺ははっきりと見た。

 その右手。ほっそりとした骨格の浮かぶ甲の上。

 俺とまったく同じ場所に浮かんだ──星型の大きな痣を。

 

 ***

 

 ごめんなさいと、繰り返しくりかえし謝る声がする。

 

 ごめんなさい、ごめんなさい。

 あたしはあんたに何をしたの、助けてほしいとねがったのに。

 ごめんなさい、蒼路。

 ごめんなさい。

 でもあたし──

 

『もうあんたに声が届かない──……!』

 

 ***

 

「──アンナさんッ!」

 

 自分で自分の叫び声に飛び起きた。

 拍子に汗が額から、背中から、零れおちて我に返る。

 甘い香りが鼻をついた。これは、紫檀したんだ。

 薄ぼんやりと明るいのは、すぐ脇に置かれている行燈のおかげだ。

 

「ここ……は」

 

 一呼吸ついて、俺はやっと、自分が北の対ではない場所にいるのだと気がついた。

 左手の下にやわらかな感触がすると思ったら、布団だった。

 ──俺、寝てたんだ。

 

『気がついたか』

「え……」

 

 耳朶を打った低い声音に顔を上げると、行燈の光が届かない部屋の隅に、闇に溶け込む毛色の狼がうずくまっているのが見えた。

 鎮守神、と口の中で呟くと同時に俺は咳き込んだ。ひどく喉が渇いていた。

 

『……』

 

 そんな俺の様子を見て、鎮守神は無言でのそりと身を起こした。

 少し開かれていた障子の隙間にするりと身を滑り込ませると、そのまま部屋の外へと出て行く。

 俺は彼の姿を眼で追っている内に気がついた──日が、暮れている。

 どうやらかなり長く眠ってしまっていたようだ。

 

「マジかよ……」

 

 寝てる場合じゃないじゃんか、と独りごちながら俺は身にかかっていた布団を跳ね飛ばして起き上がった。

 が、途端に眼が眩み、俺は手足をもつれさせて畳の上にころがる。

 何だろう、手足がうまく動かない。

 特に右手の感覚が全くなく、重い棒が肩からぶら下がっているような違和感しかしない。

 

「っだよ……これ!!」

 

 俺は苛立って声を上げた。

 何で動かないんだ、俺の体!

 俺は、今ここでのうのうと寝ているわけにはいかないんだよ。

 ハル先輩が──それに、夢の瀬で捉えたあの泣き声。

 アンナさんが。

 今も苦しみながら、二人で泣いているっていうのに。

 

「時間が、ない……!」

「──蒼路」

 

 苛立ちに、拳を畳の上に思い切り叩きつけた瞬間だった。

 障子が大きく横に開き、廊下に膝を折った来訪者の姿が闇に浮かび上がる。

 名にふさわしい暗紅色の着物を着て、浅縹あさはなだの帯を締めている。

 きっちりと結い上げられた髪型のために、額の星印が際立った。

 

「深紅……」

「動いては、だめよ。まだ麻酔が効いているわ」

 

 深紅は静かにそう言うと、手にした盆と共に部屋の中に入って来た。

 後ろ手に障子をぴたりと締めてしまうと、彼女は盆を畳の上に置いて、いまだに半ば倒れた体勢でいた俺を助け起こした。

 金刺繍のされた袖が肌に触れたひょうし、甘い香りが匂い立つ。

 体の自由が効かないぶん、俺はされるがままになって、恥ずかしさとも照れともつかない感情に声を荒げた。

 

「……や、やめろよ!」

「怪我人が何を言っているの?」

 

 涼しい顔で答える深紅に俺は必死に首を振った。

 ちがう、そういう意味じゃない。

 焦りともどかしさのために思わず叫んでいた。

 

「そうじゃなくて──俺は、こんなことしてる場合じゃねえんだよっ!」

 

 叫びざま深紅を見る。

 

「先輩が……アンナさんが! 苦しんでる、早く何とかしないと、本当に二人とも──」

「──ええ。二人ともこのままでは死ぬわ」

 

 彼女は何の表情も浮かべない顔でそう答えた。

 冷静な様子に俺の苛立ちはさらに募る。

 わかってるなら何故止める、そう、思い切り言い返してやろうと思った瞬間だった。

 

「けれどそれが……お前まで死んでいい理由にはならないでしょう」

 

 深紅の顔が──ゆがんだ。

 柳眉をきつく寄せて、唇を噛みしめて。

 俺ははっと息をとめた……冗談ではなく、泣かれるかと思ったのだ。

 けれど彼女はそうしなかった。

 俺を揺らぐ瞳でじっと見つめてから俯くと、黙って布団へと誘導した。

 そんな顔をされては俺も逆らえず、しぶしぶ布団の中へと戻るしかない。

 

「……」

 

 微妙な沈黙が流れた。

 深紅が捧げ持ってきた盆の上から水差しを取り、俺に差しだしてくる。

 俺は黙って自由の効く左手でそれを受け取った。

 切り子の水差しはよく冷えていて、中の水は清流のように乾いた喉を潤してゆく。

 

「……っは……」

 

 一しきり喉を鳴らしてそれを飲むと、俺は大きく深呼吸した。

 焦りに逸っていた気持ちがすこし落ち着いてくる。

 ふたたび伸ばされた深紅の手に水差しを手渡すと、口許を手でぬぐいながら彼女の様子を窺い見た。

 きちんと背筋を伸ばして正座する、端整な姿。

 けれどどうしてだろう。

 その長い睫毛も、優美な口許も、いつもより翳りを帯びたように見えた。





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