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星師  作者: 小糸
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蒼路

 


 強くなりたい、と思っている。

 俺は、彼女を守りたい。

 気丈で、いつも前だけを見ているあいつが、本当は大きな悲しみを抱えているということを知ってしまったから。

 だから助けたい。

 誰よりも、その近くで。

 

 ──蒼路そうろ

 

 六年前、親父さんが亡くなった時、あいつは泣いた。

 

 ──怖いよ、蒼路……!

 

 雨に打たれながら、血まみれの遺体に取りすがるあいつに、俺は何も言えなかった。

 違う、その時だけじゃない、ずっとだ。

 いつも俺は、あいつの背中を見ているばかりで。

 あいつの強さに憧れるばかりで。

 悔しいけれど何もしてはこなかった。

 

 だから俺はあの時誓った。

 強くなると。

 誰よりも、あいつよりも強くなって、あいつを守ると。

 

 ──そしていつのまにか、六年の歳月が経った。


 ***


 朝からクソ暑い日だった。

 できるなら家でじっとしてたいのに、こういう日に限って、屋敷からは呼び出しがかかる。

 しかも、暑っ苦しいことこの上ない、着物着用というドレスコード付きで。

 ……あのクソババアめ、絶対狙ってやってやがる。

 苛々と汗を拭きながら門の前に立つ。じゃりっと草鞋がコンクリートの地面に擦れた。

 街を見下ろす高台に建てられた、このかけい家の巨大な屋敷。

 辺りには一面竹が植えられ、先ほどまではうるさいほどだった蝉の声も、ここまで来るとほとんど聴こえなくなる。

 大きな両開きの門は開け放たれていた。

 だがまだ修行中の身である俺が、そう簡単に通してもらえるはずはない。

 どうせあのババアの事だ、また罠をしかけているに決まっている。

 俺はふっと息を吐き出すと、着物の合わせに手を突っ込んでくないを一本取り出した。

 そのまま手首をしならせ門めがけて放り投げる。

 すると──くないは門を通過することなく、宙のある一点で捕らわれて砕け散ったのだった。

 

「……めんどくせぇ」

 

 ち、と舌打ちをした俺だったが、既に走り始めていた。

 くないは止まっただけではなく、砕け散ったのだから、仕掛けられた罠は決まっていた。

 門番がいるのだ。

 開け放たれた門の中央、先程くないが捕らわれた辺りの空間が、じわりとわずかに光って歪んだ、と思ったら。

 一頭の妖弧が現れた。

 俺はすばやく右手を振りかぶる。

 甲に刻まれた痣に意識を集中し、腹から深く息を吸う。

 握り固めた拳を中心に空気が渦を巻くような感覚が湧き上がるのを見計らい、そのまま妖弧の方へと身体を傾げて飛び込んだ。

 

『ちょ……真正面からっ!?』

 

 妖弧はあわてふためいたが、俺は全く気にしなかった。

 手足をばたつかせて逃げようとする白い狐めがけて、右手を思いっきり振り抜く。ヒュッ、と空気が避ける音が耳朶をかすめた。

 

『いっ、いやーーっ!!』

 

 狐は、額に俺の拳がぶち当たる寸前に悲鳴を上げて遁走した。

 白い姿があっという間に空中にドロンし、俺は身体を捻って受け身を取りつつ着地する。

 しかし、地面に片膝をついたのと同時に今度は背後頭上にかけて気配が駆け上がった。


「暑いからあんま動きたくねえんだけどなあ……」


 シャ、と牙を剥いて顔面すれすれに飛びかかってくる狐に俺の嘆きなど聞こえようはずもない。

 心からのため息が漏れるのを押し殺し、立ち上がり際の反動を利用してもう一度拳の一撃。


 妖怪はいいよなあ、暑さも寒さも感じねえんだろうし。


 狐はよく跳ねる鞠のように素早く弾んで俺の攻撃をことごとく躱す。必然的にこちらも動かざるを得ず、ほんとうにだるくなってきた。

 本日の気温は最高37度。現在朝の8時半だがすでに32度を超えている。

 いくら涼しい紗の着物といえど、この炎天下で濃紺の袴姿はまさに苦行だ。

 

「……悪い。これ以上体力使いたくねえんだわ」


 

 それにしても、屋敷の中に入るだけでもこの面倒臭さ。

 ざくざくと玉砂利の敷かれた車道を歩いて行きながら俺は呪詛の言葉を吐いた。

 

「だぁから嫌なんだよ、あのクソババアがっ!」

「──誰がクソババアじゃと?」

 

 ひぇっ!

 俺は跳び退った。

 いつの間に現れたのか、背後に、他でもない『クソババア』が立っていたのだ。

 白い髪にしわくちゃの顔、小さい体を着物に包んで、背中の後ろで両手を組んでいる。

 俺は慌てて弁解を試みた。

 

「い、いやっ、何でもねえよ!!」

「ん~? 何やら私に対してイラついているように見えたんだがのう。違うのか?」

「違います違います」

 

 思い切り首を振って見せる。

 はっきり言ってババアの怒りだけは買いたくなかった。

 この老婆、見た目はただの歳寄りだが、じつは恐ろしい奴なのだ。

 何しろ、齢八十八才にして現役の星師ほしし、しかも、その名門中の名門、筧家の当主を務める器。

 

「……フン。まあ良いわ。それよりもお前には話があって呼んだのじゃ。ぐずぐずしてないで早く中に入らんかい」

 

 ババアはまだ胡散臭そうに俺の顔を覗き込んでいたが、やがてふいと背中を向けて、屋敷の方へと歩き出した。

 俺は心底ほーっとしながらその後を追う。

 玄関から廊下を使って中庭へと回り、やがて池のある裏庭へと辿りつくと、今まで入ったことのない間の前で待たされた。 

 

「ここでしばし待つが良い。勝手にふすまを開けるんじゃないぞ」

「開けねぇよ。っつか、ここどこ?」

 

 いつもは屋敷に呼び出されると、必ずと言っていい程修行道場の方に通されていた俺は辺りをきょろきょろしながら聞いた。

 ババアは口をへの字にしたまま答える。

 

「すぐにわかる。とにかくしばし待て」

「いいけど。また妖怪差し向けてくんじゃねーだろうな」

 

 ババアのいつものやり口を知っているので、完全に筧家不信に陥っている俺は言ったが、ババアは黙ってこう答えただけだった。

 

「……そのようなことはせん」

 

 そして廊下をすたすた歩いて行ってしまう。

 俺は首を傾げたが、取り合えず待てと言われたので、待つ事にする。

 着物の裾を払ってあぐらを掻くと、廊下に座り込んだ。

 

 *** 

 

『また星持ちが居ますな』

『うむ。いつもの姫様とは違うようじゃのう』

『しかし星持ちはうまそうな匂いがしますな』

『うむ。はらわたを喰うと人間になれると聞いたが本当かのう』

 

 ……池の鯉たちがそんな風に会話している。

 しばらく時間が経っていた。

 大した時間じゃなかったが、俺は屋敷の清浄な空気と、さらさら笹の葉が風に揺れる音に聞き入って、すっかりぼうっとしていた。

 池の水面が夏の太陽にきらめいて揺れている。

 ゆったりと泳ぐ鯉の影は綺麗だが、彼らはたぶん本当の魚じゃない。

 さっき話をしていたのから考えて、妖怪の一種だろう。

 ふいに、向こう側からきゃらきゃらと笑う子供の声が聴こえたので顔を上げると、おかっぱ頭の女の子が手に毬を持って、渡り廊下を走って行く所だった。

 

『星持ちが来たよ』 

『みんな、星持ちがいるよ、あそこに』

『お姫様に会いに来たんだ!』

 

 楽しそうな笑い声に、俺はまたかと肘をついて、その子が走って行く様子を眺めた。

 筧家にはあの年頃の子供はいない。

 ──あの子も妖怪なのだ。座敷わらし。

 俺はため息をついて苦笑した。

 相変わらずこの家は、妖怪の吹き溜まりになっているらしい。

 

「待たせたな、蒼路そうろ

 

 名前を呼ばれて、俺ははっと顔を上げた。

 ババアがそこに立っていた。

 またしても、気配を全く感じなかったので俺はビビりながら立ち上がる。

 ……だから怖えんだよ、こいつ。

 

「ああ、待たされた。何だってんだ、一体」

「相変わらずの減らず口じゃの。仮にも星師の卵、もう少し品格を持て」

 

 ババアは眉を跳ね上げながら俺をにらんだが、俺は意に介さなかった。

 肩をすくめて両手を広げて見せる。

 

「おあいにく様。生まれが悪いもんで、これ以上にはなれねえよ!」

「……まあよいわ。入れ」

 

 やがてババアが襖を開けた。

 小柄なうしろ姿に続いて、俺も入る。

 四面張りの小さな部屋で、奥にはまた襖があった。多分、さらに部屋が続いているんだろう。

 よく滑る畳を足で踏みしめ、促されるままそこに坐す。

 ババアも少し距離を置いて俺の前に座った。

 沈黙が流れ、どこかで風鈴がちりんと鳴った。

 

「……で?」

 

 やがて俺から口を開いた。

 このババアとあんまり長時間一緒にいたくないのだ。なんつーか、居心地が悪すぎて。

 するとババアはすっと眼を上げて俺を見た。

 

「高村蒼路」

 

 まともに名を呼ばれ、俺はビビる。

 老いた顔の中でそこだけ一点、火のように輝く瞳。

 

「……な、なんだよ」

 

 しどろもどろに俺は答えた。

 ババアは一瞬たりとも俺から眼を逸らさないで、さらに続けた。

 

「お前、星師の修行を始めて何年になる?」

「……六年だけど。それが何?」

「今でも星師になりたいか?」

「──は?」

 

 俺は思い切り眉をしかめていた。

 何故ならババアの質問が、俺にとってかなり失礼な質問だったからだ。

 前述した通り、俺は九歳の時から星師──星導師──になるための修行を始め、昼も夜もこの筧家にて猛特訓を重ねてきたのだ。

 筧家は由緒正しい星師の一族であるが故、星師を絶やさぬために若手の育成にはかなり力を入れている。

 そして筧の当主はこのババア、他でもない筧喜代だ。

 ババアによる猛特訓というのが、興味本位で続けられるほど簡単でもラクでもないことは、想像すれば誰にだってわかるはずだ。

 俺は息を吸うとババアを遠慮なく睨みつけた。

 そして言った。

 

「あんた、俺を馬鹿にしてんのかよ? 俺はもう六年間も、あんたの元で命がけの修行をこなしてきた! 星師になりたいから、そのためだけに、俺は今まで生きてきたって言っても過言じゃねえんだ」

「そう怒るでない。相変わらず短気じゃのう」

 

 ババアは嫌味ったらしく長いためいきを吐きだした。おまけに肩まですくめている。

 ますます腹が立つことこの上ない。

 ……畜生、絶対馬鹿にされてる!

 

「短気とはなんだ短気とは!! どっちが言いだしたことなんだよっ」

「うるさいのう、だからそうキレるでないと言っておるのじゃ。私は何もお前を馬鹿にしているわけではない──馬鹿だとは思っているが」

「んだとおぉおっ!?」

 

 俺は激昂して立ちあがった。言わせておけばぬけぬけと!

 懐からくないを取りだし、ババアの頭めがけて振り下ろす。

 するとババアは当然のようにそれを左手の指一本で受け止めて、弾き返した。

 ……ちっ。 

 相変わらず隙がない野郎だ。

 俺が舌打ちをして腕を下ろすと、ババアは何故か微かに笑った。

 

「──フム。少なくとも、すぐに星に頼るわけではなくなったようじゃな」

 

 俺は面喰った。

 ババアの笑った顔など、勿論始めて見るものだったのだ。

 

「……は?」

「昔はお前は、星の力を過信してすーぐに剣を取りだしたり、炎を出したり、無駄な力を使っていたもんじゃが。ちっとは成長したようじゃな」

「は? え? もしかして、試したのかっ?」

「人聞きの悪いことを言うな。それもこれも貴様自身のためなのじゃからな」

「だから、さっきから一体何なんだよっ!」

 

 俺の苛々は頂点に達した。

 回りくどいことは大っきらいなのだ。

 

「言いたい事があるならさっさと言いやがれ!」

「あー、わかった、わかった。本心としてはまだ、お前に任せて良いものか悩むところじゃが……」

「いい加減ぶっ殺すぞ、ババア」

 

 再びくないに手を伸ばして脅すと、今度こそババアはため息を吐いて、俺にこう言ったのだった。

 

「──蒼路。実は、お前に頼みたいことがある」

 

 驚きのあまり時間が止まった。

 ……気がした。

 


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