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星師  作者: 小糸
28/53

怒り

 

「おせぇぞっ」

 

 俺が叫ぶと深紅も負けじと叫び返した。

 

「馬鹿者、結界が張られていたのよ! 壊すの大変だったんだから!」

「結界だって?」

「そう、この人が張ったのよ! お前、気が付いていなかったの?」

 

 凛と声を張り上げながらも深紅はハル先輩の胸に銀針を打ちこむ。

 先輩は悲鳴すらあげずにがくりと頭を落とし、そのまま深紅の腕からすり抜けるとアスファルトの上にうつぶせに倒れ込んだ。

 

「深紅っ!? 何してんだよ!」

 

 とっさに怪我も毒のことも忘れて前へ飛び出した俺に対し、深紅はそれ以上の大喝でもって答えた。

 

「──麻酔針だ、馬鹿者が!! 状況を見極めよ!」

 

 びりびりと、肌に響くような声。

 ひっと俺は息を呑んだ。

 ま、また怒ってるよコイツ! 

 何で!?

 

『……星持ち……』

 

 とたんに竦んだ俺を鎮守神がふり返り、哀れみの視線を向けてきた。

 ついでに言えば、俺の腕の中に横たわったままの眷属も、なぜか首を左右に振って同情のまなざしだ。

 が、そうこうしている内に深紅は先輩の体に何やら術を施し終え、それから俺の方へとつかつか足音を立てて近づいてきた。

 

「言いたいことは山のようにあるが」

 

 やがて深紅は鎮守神の前で立ち止った。

 あああ、と俺は腕の中の眷属をきつく抱きしめながら縮みあがった。

 怖い! 

 妖怪よりも魔物よりも、俺から言わせれば怒った深紅の方が百万倍も怖い!

 

「まず何よりも、蒼路。こちらへ来い」

 

 大きな眼に剣呑さも露わに俺を睨みつけ、深紅は両腕を組んだ。

 今や彼女は怒りの水煙を全身から淡く立ち昇らせていた。

 ゆらゆらと揺れるその煙が、薄衣を一枚通したかのように彼女の全身像をかすませて見せる。

 俺より背が低く、華奢な体をしている癖に、こういう時の深紅の威圧感はどうしたことか。

 完全に上に立つ者の風格だ。

 

「……はい」

 

 俺は真っ青になりながらも立ち上がった。

 腕の中の眷属は何か言いたげに尻尾を振っている鎮守神に預け、深紅の目前までゆっくりと歩み寄ると、そこに片膝をついた。

 そしてビンタの一発ぐらいは喰らうのだろうなと覚悟を決め、すうと頭を垂れた。

 毒のせいか、身体じゅうが異様に熱を持っている。

 しかし、先刻から量に出血しているせいか手足は恐ろしく冷えていた。

 左肩を刺し貫かれた痛みそのものは鎮守神が何かをしてくれたらしくかなり和らいでいたが、それでも完全に消えてはいない。

 そっと傷口に左手を当てると、深紅が細く深いため息を吐きだすのが聞こえた。そしてその後すぐに響いた重い声。

 

「毎度毎度のことながら……その満身創痍はどうしたことだ」

「……申し訳もございません」

 

 俺は殊勝に謝った。同時に体を固くする。

 絶対に殴られるであろうと予期してのことだったが、まったく驚いたことに、深紅はそうしなかった。

 代わりに短くこう言った。

 

「顔を上げよ」

「……」

 

 言われたとおりに顔を上げると、あたたかな光が皮膚にふれた。

 紅い光。

 深紅がいつの間にか眼の前に膝を折っており、俺の肩の傷に手をかざしていたのだ。

 

「……深紅?」

 

 俺は驚きに瞬いた──怒られないことに対しての驚き、ではない。

 無論それもかなりあるが、この時の俺は、深紅の美しい顔があきらかに悲しげに歪んでいる事に対して驚いていた。

 どうしたんだと思った。

 気丈で、いつも強く前だけを見据えている深紅。

 この人がこんな顔をするなんて、記憶の限り、7年前のあの時だけだった。

 

「どうかしたのか?」

 

 俺は尋ねた。ごく当たり前の質問だったと思う。

 だが深紅は眼をみはり、まじまじと俺を見つめるという行動に出た。

 ……まるで俺が驚くべき発言をしたかのように。

 

「な、なんだよ」

 

 困惑してどもると、深紅は何故かやれやれと首を振った。

 そして自嘲するかのように小さく笑った。

 

「……お前の傍にいるということは、楽ではないな」

「は?」

「再会してからずっと、心の休まる暇もないわ」

 

 そして彼女は治癒の術を唱え終えた。立ち上がり、俺の背後に目線を向ける。

 ──その視線を追って俺は急に焦りを覚えた。

 そういえば、魔物に対して冷酷無比との評判高いこの深紅が、鎮守神と眷属を放っておくわけがなかった!

 

「み、深紅、やめろ!」

 

 俺は深紅の腕に取りすがっていた。

 すると彼女は俺に目線を戻し、不思議そうに小首を傾げた。

 

「……何を?」

「あいつらは──鎮守神と眷属は、悪いことはしてない! むしろ俺を助けに来てくれて、そもそも、訳あって今は魔物になっちまってるけど、元々はエライ神様なわけで! だから手を出さないでくれ。頼む。殺すな!」

 

 まくしたてる間じゅうずっと深紅は無表情だったが、俺が話を終えると、やがて小さく息をついた。

 今日何度目のため息だよ! と内心俺が突っ込んだところ、彼女は何故か頷いた。

 

「──大丈夫。わかってる」

「え?」

 

 俺は瞬きをした。深紅の言葉遣いが、普段通りに戻っている。

 ──ということは、怒りが解けたということか?

 考えている間にも、深紅は長い髪をなびかせながら鎮守神の前に進み出た。

 伸びた背筋で、顎を上げ、まるで舞を舞うかのように胸の前で両手を打つ。

 俺ははっとする。

 柏手かしわで──神に対して感謝や喜びを表す、あるいは、邪気を祓うための作法。

 

『……』

 

 空を裂く柏手に反応し、手負いの眷属の体を尾で撫でていた鎮守神は、うっそりと首を曲げてこちらを見た。

 深紅も、いつも以上に固い無表情でもって、その巨大な狼を見上げる。

 そして言った。

 

「礼を、言う」

 

 俺は仰天した。

 この深紅が──魔物を憎しみの対象としてしか見ていない筈の深紅が!

 今や黒妖犬と化した鎮守神に、礼を言った!

 

『……ほう?』

 

 驚愕のあまり口をぱくぱくさせている俺を尻目に、しかし、鎮守神は余裕すら感じさせる動作で大きな口を裂いた。

 どうやら笑っているらしい。

 

『星持ちの姫よ。魔物を憎むそなたが我に、なんの礼を述べるというのだ』

「それはひとえに、我がとも、蒼路を救ってもらったが故」

 

 深紅は迷いなく答えた。

 きっぱりとした言い方に喉元が熱くなる。

 信じられなくて、思わずその言葉を胸の内で繰り返した。

 

(──朋?)

 

『そなたには我を殺す義務があろう、姫よ』

 

 鎮守神はゆっくりと身を屈め、深紅の顔の前にぬうっと鼻面を突きだした。

 鋭い牙の合間から、ぬらりと光る赤い舌が見える。

 はっと身を硬くした俺だったが、しかし、深紅は微動だにもしなかった。

 ただ射るように鎮守神を見据え、落ち着いて言葉を紡いだ。

 

。しかしながら、朋がそれを望んでいない以上、私にはお前を殺すことはできぬ」

『義務は朋よりも軽いものと?』

「愚問だろう」

 

 深紅はふ、と笑みを漏らした。

 そして言った。

 

「かつて同じ選択をした我らの仲間を──お前は知っているのではないのか。鎮守神」

 

 謎めいたこの深紅の言葉を俺は全く理解できなかったが、鎮守神にはどうやら思い当たるふしがあるようだった。

 紅葉の色の瞳を大きく見開き、それから細めて。

 彼はやがて瞑目した。

 その巨大なあぎとも閉じられて、俺はようやく肩の力を抜く。

 

「とにかく、そういうわけで」

 

 わずかな沈黙が流れたあと、俺の元へと戻ってきて、深紅は言った。

 

「お前の手前、鎮守神とその眷属に手は出さない。約束するわ」

「深紅……サンキュ」

 

 俺は心から礼を言った。

 が、次の瞬間深紅にぎゅっと耳朶を引っ張られて飛び上がっていた。

 

「痛えっ!」

「礼は後。いまはとりあえず、お前の流した血の洗浄をして頂戴。昼間だっていうのに、大層汚してくれたわね」

「俺のせいじゃねえよー」

 

 耳元を押さえて俺は呻いたが、言われて見てみれば、確かに周りのアスファルトは血まみれだった。

 そして麻酔を打たれたものの、どうやら意識はまだあるらしく、アスファルトに転がったまま眼だけで俺達を殺しそうに睨みつけているハル先輩が。

 こんな状況、誰かに見つかったら即警察沙汰だと思うのだが、そこはさすがに深紅、抜け目がなかった。

 

「先輩の結界を解除した後、私の方でもう一度結界を張ったから。あんたが洗浄を終えるまでは誰にも見つかる心配は無いわ」

 

 そして深紅は先輩の元まで歩いて行き、立ち止ると、なんとあろうことかその体をローファーの足もとで蹴飛ばしたのだった!

 

「──ええっ!?」

『なんと』

『……哀れな……』

 

 俺はもちろん、鎮守神、眷属までもが揃って驚きに声を漏らしたのを尻目に、深紅は今度は先輩を殴った。グーで!

 よくよく見れば、その背中からは再び怒りの証、水煙がにじみ出ている。

 ああ成程、と俺は悟った。

 ──怒ってたのは、俺に対してじゃなかったんだ。

 先輩に対して、だったんだ。

 

「──お悔やみ申し上げます……ハル先輩」

『呟いている場合ではないのではないか、星持ちよ』

 

 思わず制服の袖で目元を押さえてしまう俺に対して鎮守神が突っ込んだ。

 が、時既に遅し。

 深紅は燃えさかる怒りを今度は言葉にして、ハル先輩に浴びせかけたのだった。

 

「この──愚か者でシスコンかつ情けない半人前の腹黒半星が! 三度目はないぞ!」

 

 俺は黙って血の洗浄作業に取り掛かった。

 鎮守神も眷属の治療を再開し、ただ先輩を罵倒する深紅の声だけが結界のなかに響き渡った。

 

「良いか、今度このような真似をすれば、私がお前を殺してやる。嘘ではないぞ。朋を傷つけられたこの恨み──私は決して忘れ得ぬ!!」

 

 ……アーメン。ハル先輩。

 

 

 

 

 

 


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