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星師  作者: 小糸
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尊きもの

 

 

 ──父さんに、もう一度だけ会えるなら。

 叶わないとはわかっている、けれど、もしも、本当にもしも。

 ただ一度だけでいい、あの憧れの人に会えるならば。

 聞いてみたいことがある。

 

 *** 

 

 東の空から暁の光が輝きはじめる時刻。

 つまりは早朝、黎明れいめいの時。

 俺は花緒の背にのってひょっこりと、自宅であるマンションの上空に姿を現した。

 見下ろす街が淡い群青ぐんじょうにかすみ、しかしながら、そこかしこに太陽の光である薔薇色を浮かべて、闇を排し、生の色を脈打ち始める。

 

「きれいだな……」

 

 俺は感嘆に思わず声をもらした。

 ひんやりとした朝の空気が頬を撫で、一晩中酷使したせいで熱を持つ眼もとをここちよく冷やしていく。

 わずかに眼を細めて、俺は眼下の情景に魅入った。

 君見丘、これが俺の守る街。

 隆起した丘の上に並ぶ住宅街、人気のない学校、もうすでにぱらぱらと人影のみえる駅。

 いっとう高台である町はずれには、筧家の屋敷が見えた。

 まだ闇の残滓に覆われ、影に覆われている裾野の山林には、眼ざめの早い鳥たちが羽ばたいているシルエットが確認できる。

 

『この街、好き』

 

 花緒の短い言葉に、心から賛同した。

 答える代わりに夜明けの輝きを取りこみ輝く、純白の毛並みを撫でる。

 花緒は己の肩越しに俺の顔を振り仰いで、左右色違いの眼を瞬かせた。

 

『降りるよ。蒼路』

「ああ」

 

 答えると同時に、白い体が優雅にしなった。

 ちょうど水に飛び込む様な姿勢で花緒は空を降下してゆき、あっという間に俺のマンションのベランダに舞い降りる。

 大きな猫の頭が地面に軽く伏せられて、俺は造作なくその背から降りることができた。

 

「ありがとうな、花緒。色々付き合わせちまって、悪かったけど」

 

 花緒の頬に手を伸ばし、そこをそっと撫でながら俺は言った。

 彼女は髭をそよがせながら眼を閉じた。

 

『そんなことはない。鎮守神を捕獲してくれたから、助かったのはこっちのほう』

「うーん。捕獲したつもりはないんだが。まあ、あの体で野放しにされているよりは、ババアの結界の中に保護されてる方があいつにとっても良いだろう。少しは飯も食ってたし、元気になると良いなと思ってる」

 

 俺は頬をかりかりと指先で掻きながら答えた。

 どういうことかと簡単に説明すれば、さっき社で鎮守神とその眷属にまみえた俺は、そのまま彼らをババアの屋敷へと連れて行ったのだった。

 彼らは封印から解かれたばかりで弱っていたし、しかもそのまま放置すればハルに利用されてしまうこと間違いないという酷い状況にあった。

 しかし、いくら弱っているとはいえ神は神。俺がどうにかできるレベルの存在ではない。

 ゆえ俺は花緒とともに筧家の屋敷の門をたたき、ババアに事情を説明して、しばらく彼らを預かってもらう事にしたのだった。

 ……まあ、現実はこんなに簡単にはいかなかったんだが。それはまた後で詳しく説明する事にしよう。

 

『蒼路は本当に、わたしたちの良い理解者だ』

 

 くすくすと花緒はわらうと、そのまま体を通常の猫の大きさに縮め、瞬くたびに明るさを増してゆく天空へと再び飛び立っていった。

 俺は大きく手を振って、薔薇色の空に一点浮かぶ白い小さな姿を見送る。

 やがて彼女の姿が朝日に遮られ、完全に見えなくなると、ふいと体の向きを変えて私室の窓に手をかけた。

 がらがらと横開きにその窓を開き、靴を脱ぐと部屋の中へ踏み入る。

 毎度のことながら、こういう風に星師として戦ってきたあとの帰宅は、ものすごく安心して気が抜けると同時に、ものすごく後ろめたい。

 それは多分、いつも家族に心配をかけているということがわかっていながら、それでも星師としての仕事をやめられない自分に対しての後ろめたさだった。

 

「──ただいま」

 

 呟く声は、低く小さく。ほとんど申し訳程度に。

 けれど、足音を忍ばせて風呂場へと赴き、そこに真新しいタオルと着替えが用意してあるのを見た瞬間。

 シャワーを浴びた後、水を飲もうと出て行ったリビングで、きちんとラップのかけられたハンバーグの一皿が残っているのを眼にした瞬間。

 ──後ろめたさはほんの少しだけ軽くなる。

 許されているのかもしれないなと思う事ができる。たとえ、本当はどうであれ。

 しんと静まり返った家の中で、穏やかに眠っているであろう母と妹、彼女たちのおかげで。

 待ってくれている人がいるおかげで。

 ──俺はこうして、ちゃんと帰ってこようと思うのだ。

 

 *** 

 

 風呂を浴びたあと、ハンバーグを食べて、ベッドに倒れるようにして眠りについた。

 きょう一日で眼にした様々な映像が、色鮮やかで胸に迫る多くの画像が、眼を閉じた後の暗い視界をよぎってゆく。

 遠くを見ているアンナさん、健気な花緒、銀の狼。

 初めて眼にした西洋の魔獣、その、残酷な黄色い眼。

 彼らとかわした言葉の残響が脳裏にひびく。

 すでにうとうとし始めた意識のむこうに、遠く波のように打ち寄せる感情がある。

 怒り、切なさ、悲しみ。


(ハル先輩……)


 彼に対して激怒していた。いや、今も。

 けれどどうしてだ、憎みきれない。あのみどりの眼を思い出すと胸が痛む。

 鎮守神をあんなふうに扱われてさえ。


(……犬っころ……)


 口から泡を吹きながらですら、俺の血に手をつけなかった誇り高き神。いや、もう、神ではない。

 かつては神だった、けれど今は人を喰らい、妖怪へと転じた存在。

 無理やりに封印を解かれて、彼はいまどんな気持ちでこの現世によみがえったのか。


(……堕落した存在だって、あのグリフィンは言ってたけど……)


 俺にはそうは思えない。

 絶対にあいつはそんな奴じゃない。

 なにか理由があるんだ、きっと。人を喰わなければいけなかった理由が。

 

(でなきゃババアがあいつを受け入れるわけはねぇ)

 

 あの人はすごい星師なんだ。

 優しさをきちんと知ってはいるけれど、公私混同は決してしない。

 だから、ババアが受け入れたということは、犬っころは絶対に悪い奴じゃないのだ。


(……親父……)


 俺はそこで、襲い来る睡魔に耐えかねて、白濁しはじめた意識を手放した。

 ゆっくりと、背中から海に沈むようにして、世界が形を失っていく。

 

(なぁ、親父。俺は間違っているのかな)


 眠りに閉ざされる最後の瞬間、俺が想い返したのは、もうずいぶん前の画像。

 闇に向かって歩いて行く、強くまっすぐな背中だった。

 この問いを投げかければ、幼いころと同じように、きっとまた困らせる。わかっている。

 けれどそれでも、どうしても教えてほしい。


(俺は、魔物も尊い魂だと思う)

 

 きちんと呼吸をして、人と同じように必死に生きている、かけがえのない命なんだと思う。

 あいつらは、虐げられるために生まれてきたわけじゃない。

 そんなことのために生まれたんじゃない。

 

 ──そう思う俺は、間違っているんだろうか?

 



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