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星師  作者: 小糸
23/53

話をしよう 2

 

 

『主様!!』

 

 捕縛を解いた瞬間、銀の狼が天めがけて彗星のように駆けあがった。

 その軌跡が闇の中に尾を引いて、俺が進むべき道を示す。

 湿った草を掻き分けながら走り始めて程なく、社の方角からすさまじい咆哮が響いた。

 鎮守神の声だ。

 

「──犬っころ!?」

 

 俺は走る速度を上げる。

 元より全速力で走ってはいるが、逸る心にとても足が追いつかない。

 灯りを持たせた式神を頭上に飛ばし、寄りつく虫や餓を手で払いのけながら、何とか元来た道を辿った。

 汗が、珠のような汗が、額から首へ、首から背中へと伝い落ちる。

 全身が灼熱のように暑いのに、心は嫌な予感に冷えていた。

 ……だって、今の気配。

 まっすぐ社目がけて飛んで行った、あの邪悪な気。

 まだ信じられない、けれど認めなくてはいけない。

 あれは──星の気配を秘めていた。

 

『──来るな! 小僧!!』

 

 視界が開けた。

 同時に鎮守神の怒号が飛ぶ。

 突風が湧き起こり、熱気を孕んだ風が渦を巻き、社の周囲の草木をなぎ倒してゆく。

 俺は思わず腕で顔をかばった。

 重い音をたてて灯篭がなぎ倒される。森全体がきしむように悲鳴を上げる。

 眷属達が吼えているのが聴こえた──憎しみのこもった威嚇の声。

 その声の上から、鎮守神のものともまた違う、空を裂くような獣の声が重なった。

 鳥類の鳴き声だ。

 

『魔の道に堕落だらくした鎮守神……貴様がこの上抗って、一体何を守るというの』

 

 優美といってもいい、楽の音の如き声色だったが、はっきりと侮蔑の色が込められていた。

 人ではない、雌の魔物だ。

 ……ちくしょう、誰なんだ一体!

 俺が風に抗いながらもなんとか瞼をこじ開けると、まず視界に映ったのは、天を突くほどに巨大な甘茶色の双翼そうよく

 獰猛に湾曲したくちばしを持つ頭部は鷲、しかし、筋肉の隆起した見るからに俊敏そうな胴体は獅子のそれ。

 

「──グリフィン……!?」

 

 驚愕のあまり声が出ていた。だってこの獣、ほとんど伝説上の獣だ。しかも西洋の魔獣だから、実在することすらも知らなかった。

 俺の声に反応して、それまで鎮守神に向けられていた鷲の黄色い双眸が、ぎょろりと俺の姿を捕えた。

 まるで本当の鳥のように、横を向いたままこちらの様子を確認し、瞬きを繰り返す。

 

『その声。五辻の姫の護衛たる少年ね』

「──え?」

 

 俺は茫然としていたと思う。

 このグリフィンの体から発せられている気配、話す内容、全てが俺の予感が正しい事を示している。

 なのにまだ信じられない。信じたくない。

 彼が──あの人が、まさか。

 まさかこんな非道なことをする、わけが──。

 

『──いかん! 小僧、早く逃げよ!』

 

 鎮守神が叫ぶのを、俺は他人事のように聞いた。

 ぼんやりと顔を上げ、そのやせ細った神を見つめる。

 眼に映すたび胸が引き裂かれそうになる、弱った体、それに相反して生への渇望をみなぎらせている強い瞳。

(こいつを……)

 こいつを、無理やり、起こした奴がいる。

 封印をこじ開けて、その眠りを妨げ、こんな体で現世に放り出した人間が。

 俺はそいつを許せないと思った。

 全身から音もなく焔が迸り、気付けば刀を抜いていた。

(こいつを、墓から引きずり出したのは……!)

 

『聞こえぬのか、小僧! こいつは貴様を狙っておる! 早く──』

「──お前。伊勢遥の召喚獣だな」

 

 喚き立てる鎮守神の声を遮って、俺はグリフィンにそう言った。

 闇に響く己の声を聞いて、不思議なほど落ち付いているなと思った。

 怒り狂っているのに、胸の内は氷のように冷たい。

 理由はわかっている。あまりにも怒りが烈しいから、ではない。

 ……悲しいのだ。

 

『だとしたら如何するの。ハルの憎む星師の小僧?』

 

 グリフィンはゆったりと翼を広げながら歌うようにそう言った。

 やっぱり、と俺は胸がふさがるような閉塞感を覚えた。喉が痛む。

 刀を握る手に知らず力がこもり、絞り出すように低い声を出した。

 

「聞きたいことがある。答えろ」

 

 俺はゆっくりと、鎮守神の方へと歩み寄って行った。

 ちょうど、参道の真中だ。二頭の眷属たちが地に体躯を伏せ、微動だにもせずにグリフィンを睨みつけている。

 彼らは主を守るために二頭で結界を張り、その印を結んでいた。攻撃されれば反撃はできないだろう。

 だから、俺は狼たちを背中に庇う位置で立ち止った。

 

『小僧!!』

 

 いま一度、怒ったように叫ぶ鎮守神を黙殺して、刀の切っ先をまっすぐグリフィンに向ける。

 黄色い瞳の瞳孔がまぶしいものを見るように細くなった。

 

「こいつの──こいつらの封印を解いたのは、あいつなのか」

 

 押さえた声で俺は問うた。

 焔がめらめらと、闇を揺らす。

 ここに存在する者すべての色を照らし出しながら。

 銀、あかあお。魔物だろうが神だろうが、みな同じように生きて呼吸しているもの達の色だ。

 グリフィンは答えるまでに間を取った。けれどその反った翼と曲がった嘴は戦意を喪失していない。

 鎮守神が、いつでも飛び出せるように低く身構えたのがわかる。

 俺たちの間に緊張が膨れ上がった。

 頬を、背筋を、つうと汗が伝い落ちる──。

 

『……ええ、そうよ』

 

 やがてグリフィンは言った。

 主人によく似た、甘く優しい、けれど一欠片だって容赦のない声で。

 

『お前と、そして、五辻の姫。邪魔な星師を消すためだけに、その犬は解き放たれたの』

 

 どくん、と心臓の鼓動が俺の体を貫いた。

 まるで喉元まで心臓が迫り上げているかのようだ。

 血の脈動がうるさい程に耳の中で鳴り響いている。

 怒りのあまり、視界が一瞬、真っ暗になった。

 

『早くその小僧を喰らうのよ、けがらわしい魔物』

「……止めろ」

 

 俺は掠れた声で呟く。

 グリフィンが、嘴を開いて嘲笑する。

 鎮守神が背後で侮辱に身を震わせるのが伝わってくる。

 ああ、傷ついている。俺は悟った。

 そして──

 

『何のためにハルが自分の手を汚してお前などを呼び起こしたのか考えなさい。よぼよぼの鎮守神。それともやはり、山を失い、信仰を失ったお前はもう、なんの力も持たないただの老犬に過ぎないのかしら?』

 

 グリフィンが、翼を広げて飛翔した。

 それと同時に俺も限界を迎えていた。全身から呪力を解き放つ。

 燃え上がる刀を地面に突き刺し、飛び散った土くれを顔に受けながら高速で呪を唱えた。──焔よ!

 

焔縛えんばく!』

 

 叫ぶと同時に、刀を中心として焔が宙に弧を描いた。

 鞭のように長くしなやかに伸びた焔が、高く跳躍し、弾みをつけて突っ込んできたグリフィンの手足を絡め取る。

 動物性のものが焦げる匂いが辺りにたちこめ、高い悲鳴が闇を裂く。

 どん、と重い音を立ててグリフィンの体が地面に倒れ込み、そのまま俺は術を解いた。

 飛び立てないように羽を足で踏みつけて、刀の切っ先を鷲の首元に突き付けた。

 

『小僧、お前……』

 

 黄色い鳥の眼が、苦痛にまみれながら俺を睨みつける。

 俺はじろりとその鷲の頭を見下ろした。

 

「何」

『……お前の任務はハルを守ることでしょう、なのに、私に攻撃を仕掛けて許されると思っているの……!?』

「お前にだけは言われたくねぇんだよ。この言いなり野郎が」

 

 俺は怒っていた。猛烈に怒っていた。

 何がって、ハル先輩もそうだが、そのハル先輩が明らかに悪しき行動をしているのに止めないこの召喚獣に対してもブチ切れていた。

 しかもこいつが言った通り、ハル先輩は俺にとって任務の依頼人なので、ぶっ飛ばしてやることもできやしない。

 だが、だからと言って、このまま引き下がれるわけもない!

 俺は息をひとつ、吸い込んだ。

 刀の切っ先に力を込めて、そして──

 

「俺はてめぇみたいな自己意思のない奴がいっちばん嫌いなんだよ、この獅子鳥。獅子舞野郎」

 

 ──暴言を吐きはじめた。

 脇で、鎮守神とその眷属が、ぱちくりと瞬きをするのが見えた。

 グリフィンが屈辱のあまり身もだえする。

 

『しっ……! け、獣の王たるこの私に何たることを!』

「誰が王だ、バーカ。俺たちにちょっかい出してる暇があったら主人の暴走止めろ。だいたいグリフィンは欲に堕落した人間を処罰するのが役目なんだろう。主の命令だからって何でも従ってんじゃねぇぞ、この召使」

『この……半人前の、忌まわしい星師のくせして……!』

「忌まわしいのはどっちだ!!」

 

 俺はついに怒り心頭に達して怒号を発した。

 空気が揺れた。グリフィンが気押されたように嘴を閉じる。

 

「お前は……お前は、それでいいのか! ハルが星師を憎めばお前も憎む。ハルが魔物をクズのように扱えばお前もそうする。そこにお前の意思はないのか!? お前の正義は、忠義は、そんなものなのかよ! ──召喚獣になったからって己の誇りも品格すらも失うような奴に比べたら、いくら空腹でも俺の血に手をつけなかった鎮守神の方が百倍ましだ!!」

 

 迸るような──我ながら驚くほどの感情の奔流であった。

 鋭利な言葉の余韻が、尾を引いて闇空に響き渡る。

 俺は言いたいだけ言うと刀を引いた。

 大きく見開かれたグリフィンの瞳めがけて呪を唱え、眠らせると、ようやく背中を向けた。

 茫然とした様子でこちらを眺めている鎮守神と眷属たちを横目に、口許に指を当てて高らかに指笛を打ち鳴らした。

 

『蒼路! 大丈夫だった!?』

 

 たちまちの内に、木立を掻きわける音を立てて、白い猫又が登場する。俺は頷くと、柔らかなその背の上に飛び乗った。

 そして僅かに高くなった目線から、鎮守神と眷属達に声をかける。

 

「──おい、行くぞお前ら」

『……行くとは一体?』

『どこに行くのじゃ?』

 

 困った顔で首を傾げる眷属の間で、ただ鎮守神だけが、打たれたような顔をして俺の顔を見つめていた。

 言葉は無い。

 だが、俺には彼が何を考えているのか、少しわかる気がした。

 思い切り頷いてみせ、そして笑ってこう言った。

 

「一緒に行こう。鎮守神。とりあえず飯を食って──それからちゃんと、話をしようぜ」

 

 

 

 

 


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