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星師  作者: 小糸
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鎮守神

 



 注連縄しめなわが切られたとはいえ神域は神域、参道に一歩足を踏み入れた途端、襲い来る魔蟲まむしたちの数は激減した。

 だが彼らが鳴りを潜めているのは結界の効力よりも、恐らくは、この奥に控えている存在への恐怖のためであろう。

 俺は昼間会ったばかりだからさほど驚きはしなかったが、『彼』と初めて見えるらしい花緒はさっきから全身を緊張させて、できれば前に進みたくないというようにじりじりと俺の後を一歩ずつ着いてきていた。

 それはそうだ。何しろ、今も全身に吹き付けてくるこの気配。

 時刻が時刻であるだけに、闇が濃くなる度に肌が凍りそうな──それでいて、焼けつきそうな──そんなただならぬ気配が辺りを支配してゆくのが感じられた。

 妖気、と一口にくくっていいものではない。

 初めて出会うものではあるが、これこそが恐らく神気しんきというものの一種ではなかろうかと、俺は歩を進める度に思った。

 

「蚊がすごいな」

 

 ぱちん、と腕を手のひらで叩いて俺は言った。

 なんと場違いな一言を、と思われそうだが、これは重要なポイントだ。

 魔物が生息する場所には、生き物の虫は決して寄りつかないのだ。

 人よりも本能に依って生きる生物であるだけに、動物や虫たちは彼ら魔物を感ずる力がとても強い。

 だから、今こうして辺りをうわんうわんと蚊が飛び回っているということは、逆にいえば、他に魔物がいないという証明になる。

 それだけあの鎮守神の力は強く、高位にあるのだ。

 証拠に花緒が立ち止った。

 どうしたよとふり返れば、首を横に振ってこれ以上は行けない、と言う。

 

『だめ。さすがに恐れ多すぎる』

 

 言うなり花緒は後ろ足を畳んで、お座りの格好に座り込んでしまう。

 尻尾もしゅんと前脚に巻き付けて、本当に弱った様子である。

 俺は仕方なく頭を掻いた。

 

「じゃあ、ここで待っててくれよ。何かあったら合図するから」

『うん』

 

 花緒は尾を振って答え、それから、思い付いたようにこう言葉を付け足した。

 

『でも、気をつけてよ。蒼路』

「大丈夫だ。──あいつは、悪い奴じゃない」

 

 俺は言うと、いま一度前を向いた。

 さすがに長い夏の日も沈みかけており、一寸先は闇だった。

 鬱蒼と茂る木立のシルエットが不気味に参道に覆いかぶさり、こちらの侵入を拒んでいるように見える。

 だがその奥に、ぼんやりと浮かぶ光があって、それが『彼』の灯したものだと俺には何故かわかった。

 いま一度花緒をふり返り、俺は笑ってみせた。

 ──魔物たちにも笑顔の意味は通じるのだ。

 

「じゃ、行ってくる。ああ、もしも俺の身に何かあったら、高台の筧のババアに伝えてくれ」

『わかった』

 

 花緒がしゃがみこんだまま頷いたのを見届けて、俺は闇の奥深くへと入って行った。

 

 *** 

 

 この神社は、昔は相当な数の参拝者がいたに違いない。

 昔は大きかったであろうと思わせるきちんとした造りをしていた。

 参道をゆっくりと歩いていくと、手を清めるための手水舎ちょうずやを横目に灯篭が立ち並ぶ場所に差しかかった。

 苔むして草花がびっしりと生い茂るそこを過ぎれば、元々は拝殿だったのであろう、崩れ落ちた建物が見え、その前には二頭の狼の石造せきぞうが鎮座していた。

 俺は立ちどまるとその眷属の像を手のひらで撫でた。ひび割れて耳や尾のあちこちが欠けた痛々しい姿。

 かつては訪れる者たちを見守っていたのであろうが、今は石造と呼ぶのすらためらわれる佇まいだった。

 

「……よう」

 

 俺は石造たちの、黒ずんだ瞳を覗き込みながらそう声を発した。

 

「長いお勤めご苦労さん。お前らの主人はどこだ?」

 

 いらえは、無い。

 だが石でできている筈の彼らの瞳が、俺の呼びかけに反応し、濡れたような艶と生き物の細胞を取り戻した。

 虚空を見つめていた瞳に魂の意思が宿り、明確な焦点を伴う。

 ぎょっとして俺が見つめると、その驚くべき変化はひび割れた石造の全身におよび、彼らはたちまちのうちに、輝くような銀色の毛並みを持つ狼と成り変わっていた。

 唖然として物もいえない俺を尻目に、彼らはやがて四肢を踏ん張ってぶるぶると身震いをしはじめた──動いた!

 

『ふあーあ。しばらくぶりの来訪者じゃのう』

 

 思わず戦闘態勢を取った俺に対し、彼らは存外穏やかな口調でそう言った。

 先ず口を開いたのは左方の石造、眼も同じように見開かれ、そこにはあの鎮守神とは異なる、澄み切った蒼い瞳が存在していた。

 

『誠に久しき客人じゃ。人の子よ、おぬし星を持っておるな、我ら主人が求める者か』

「……求める者かどうかは知らんが」

 

 続けて口を開いたのは右方の狼。

 麗しい二頭の狼に挟まれて、眼を白黒させながら俺は答えた。

 

「お前たちの主人に用があって来たのは確かだ」

『では先ず名を名乗られい、人の子よ』

 

 右方の狼がひらりと台座から飛び降りた、と思ったら、そのまま地上に足を着けることなく、優雅に宙を泳ぎ俺の目の前に静止した。

 

『我らは主を守る者。素性の知れぬ者を、しかも人の子を、いくら星持ちとて軽々しく通すわけには行かぬ』

『安心せよ、星の子よ。我らは神に通ずる者。おぬしを卑しめる存在ではない』

 

 左方の狼も台座の上で立ち上がると、闇の中でも冴え冴えと蒼く輝く双眸で俺を見つめ、そう言った。

 ……しかしだなぁ……。

 俺はちょっと困って、考える間を取った。

 筧の鬼ババアの顔が脳裏を占拠していたのだ。

 ──よいか蒼路、いくらお主が術者の最下位に位置する者であろうとも、これだけは心せよ。

 彼女はいつもそう言っていた。

 ──呪術を使う身として、どんな理由があろうとも、軽々しく相手に名を与えてはならぬ。

 なぜならば名はその者を体を現し、名を奪うということは命を奪うということだ。

 魔物に名を奪われて殺されてしまった術者は、実際に俺の周りに何人もいる。

 故に、俺たちは本当に信頼のおける存在にのみ己の名を伝え、それ以外の者の前では固く口を閉ざしていなければいけないのだ。

 それが普通。

 それが、大原則。

 ──なのだが。

 

「……高村、蒼路」

 

 俺は名乗っていた。

 二頭の狼が、視界の両端で驚きに眼を見開いたのが見えた。

 いくら自分たちから乞うたとはいえ、ここまであっさりと名乗ってもらえるとは思っていなかったらしい。

 二頭は互いの顔を見合わせて、まったく同じしぐさで瞬きをした。

 その様子がおかしくて、俺は思わず笑みを漏らしながら、もう一度こう言った。

 

「俺は蒼路だ。お前たちの主人に会いに来た。害をなすつもりはない。案内してくれ」

 

 その言葉に嘘はない。

 だからこそ俺は名前を名乗ったのだ。

 

『……誠に変わった人の子じゃ』

『全くじゃ。星を持っているとはとても思えぬ』

『主様は人間がお嫌いだぞ、星の子』

『取って食われても知らぬぞ、星の子』

 

 狼たちはきっちりと順番に俺の顔を見つめて、四つの蒼い瞳をきらめかせた。その輝き。

 闇に潜む、闇こそを好む生き物とはとても思えぬ、鮮やかな光。

 俺は頷くと、はっきりとこう言っていた。

 

「──構わない。だって、襲えるものならとっくに襲っているだろう?」

 

 俺の声は、闇の合間に存在するこの不思議な社の中に、妙にくっきりと響きわたった。

 二頭の狼が再び顔を見合わせたのがわかる。

 彼らはしばらく考えるように互いの瞳を覗き込み、尾を打ち振っていたが、やがてふいに天を向いた。

 

『……主様』

 

 二頭の声が重なり、闇を震わせる。

 急に風が起きて、ざわざわと周囲の林が不穏に重くうごめいた。

 

『主様』

『仰せになられた人の子がここに』

『此処に』 

『星持ちの子供です』

『まばゆい光を宿しております』

『主様』

『主様──!』

 

 彼らの呼びかけの一声ごとに、風は強く、大きくなって、社の全体を包み込むようだった。

 俺はふいに、息が詰まるような圧迫感を感じ、眷属たちと同じように天を見上げていた。

 闇に塗りつぶされた暗い空、だがそこから、何かが来る。

 強大で恐ろしい、凄まじい力が──

 

「──!!」

 

 思わず、眼を閉じていた。

 地面が割れたかと思った。

 足もとから脳天を突きぬける衝撃、これを地震と呼ばずになんと呼ぶのか。

 突如として大地を揺らした巨大な揺れに、俺は軽く脳を揺らされて吐き気を覚えたが、なんとか堪えて眼を開けた。

 するとそこに──『彼』がいた。

 

『……そなたか、星持ち』

 

 緋色の瞳が、触れれば溺れてしまいそうなほどすぐ近くに在った。

 巨大な頭が俺の顔の前に突き付けられ、生温かい吐息が髪を揺らす。

 彼の発する妖気と神気の入り混じったエネルギーによって、周囲の草木がぶちぶちと弾け飛んで空に舞った。

 彼は息を荒く乱していた。ひゅうひゅうと、風を切るような音は、彼の呼吸が立てる音だ。

 まともな音ではない、と俺は思った。

 少なくとも健康な生き物がたてる音ではないと。

 

「腹が減ったか」

 

 俺は緋色の瞳に問うた。

 すると瞳が欲望の輝きにぎらついた。

 黒妖犬の意思が答えているのではない、彼の本能が応じたのだ。

 その瞳を見て、俺は決心した。

 左手を彼の前に掲げ、昨日からまだ解かれていなかった包帯を解いた。するすると流れた白い布の下から現れた、まだ塞がり切っていない生傷。

 とたんにかっと眼を見開いた鎮守神に対して、俺は、こう言った。

 

「──俺の血をやろうか。鎮守神」

 

 


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